「または私は如何にして心配するのを止めて
国語を愛するようになったか」
実は原題は
Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb
ストレンジラブ博士の名前を翻訳したことで、
「博士の異常な愛情」というタイトルができた。
こういうのが神翻訳だよな。
あと「天使たちのラブソング」
原題はSister's act.
シスターの振る舞い。これもなかなかナイス
ところで進捗どうでしょうか?
勉強できてますか?
すべての科目の根底は算数ではありません。
国語です。
国語があれば理社も算数も追いつきます。
私がそう。
科学的読解法やってますか?
「はい」ならこの記事読んでください。
「いいえ」ならこっちが先
で、コラムに印つけて読んでますか?
「はい」なら続き読んで。
「いいえ」ならこっち
中学進学予定または中学生ですか?
「はい」ならこっちも。
「いいえ」ならこの記事
最後にお子さんを本気で国語得意にしたい?
はいならここ。
いいえならさよなら。
やる気すらない保護者に
何言っても無駄。
過去にいっぱい会ったよ。
金払ってるんだからなんとかしろ、
志望校調べてないけどなんとかしろ、
金出してるんだからお前は勉強しろ、
塾行かせてやってるんだから勉強しろ。
最悪なのだと
「楽しいと言っているが
コースがあがらないので辞める」
これは意味がまったくわからない。
ついていくの大変はわかる。
まあSは引き留めないので、
親と話せたらオートで手続き。
これ
ま、モンペだとこうなるんだよね
どう見ても書いているのが言語に見えず、
解答写してるから、
「やり方が雑。ていねいにやりましょう」
でクレームになる。
受からせる、学力上げるために預けてるんじゃないの?
結局その子は新学年組分け12月のあと、
マンスリーで2段階落ちて
私の担当じゃなくなった。
答案めちゃくちゃ。
でもお客様の願いだからね!
賢くするなって言われたらするわけない。
あのあとどうしたんだろ。
もう中学入ってるはずだが。
とりあえず本当にダメな人には何してもダメ。
読解と読書は違う
スーパー多読モンスターだから
はっきり断言できる。
読んだ本の累積数≠お子さんの国語力
なんでこうなるか説明しよう。
算数に置きかえる。
四則算を100万問解きました。
開成うかりますか?
絶対無理。
しかも正解してると限らない。
新しい解法を見つけたわけでもない。
※ガウスの場合、1から100まで足し算しろって言われて
メンドクセーと思ったから、
1と100、2と99…ってペアにすると101が50個だから
5050と小学生のときに自分で発見した。
このレベルなら別
ま、実際に出るしやるんだけど。
いろんな数列の記事いらないよね、別に。
欲しいならメールかコメントくださいな
私的には
フィボナッチとか
三角数、四角数、奇数、偶数とか習ってるから
要望ないなら書かない。
困ってるなら書く。
で、国語だよ。
国語の厄介なところは成長曲線がガチでこれ
累積時間や入試に出た児童文学を
何冊読んでも、何問解いても
なっかなか上がらない。
つまり国語はダメだと思ったらもうダメ
ってなる。
まず親が指導できない。
算数の方が楽なんでそっちを教えたがる
※なぜか理系私立高学歴父
んで、漢字ことわざ、覚えろ。おわり。
こういう人は理科と社会もそう。
覚えろ。終わり。
終わってるのは親なんだけどね。
そもそも「読み方知らずに読んでる」ほうが
超こわいこと。
てことは自覚なく読んでるわけだよね?
どう?
シュートをどう打つかは知らないけど、
確率でボールが足にあたればゴールに入る
って人。
私はそんな人試合には出したくないね。
でもこんな子だらけで、こんな親だらけなの。
どうしてこうなった?
山手言葉
今わかりやすく言うと山手線の内側、
山手台地には武家屋敷があった。
お国の言葉が違うから正確なやりとりは
〇〇候也(そうろうなり)と書く。
マスター先生、早漏なのかk
ちがうわ、馬鹿タレ。
文語で話すから
「申し申し。吾輩は加賀藩お預かり、
〇〇××右衛門と名乗りしもの。
本日は藩邸よりお迎えにあがり候也」とか言ってた
全国の武士は漢文読めたから
これで会話してたんだね。喋る時も。
全国に国語を普及させるにあたって
これをベースに、
京と大阪の町屋言葉、
つまり上級国民用が標準語。
母のよびかた
これを一つにせねばならない。
そこで人造言語、国語が生まれた。
「オカアサン」の誕生だ。
一つにするのは軍隊として命令を正確に理解、
伝達するためである。
そのため下関方言の「であります」が日本語の中核を占めるようになった。
こうした経緯が何をもたらすか。
ま、東大教授が言ってたが、
「いまの東大生は三四郎池わかんないんですよ」
うん。こんなのだらけみたいだよ。
授業で取り上げたのは、
ごんが兵十の母親の葬儀に出くわす場面である。
そこでは、兵十の家に村人たちが集まり、
葬儀の準備をしているシーンが描かれる。
家の前では村の女たちが大きな鍋で料理をしている。
作中の描写は次の通りだ。
〈よそいきの着物を着て、
腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが、
表のかまどで火をたいています。
大きななべの中では、何かぐずぐずにえていました〉
この場面の小学生の理解
「この話の場面は、死んだお母さんをお鍋に入れて消毒しているところだと思います」
「私たちの班の意見は違います。
もう死んでいるお母さんを消毒しても意味がないです。
それより、昔はお墓がなかったので、
死んだ人は燃やす代わりにお湯で煮て骨にしていたんだと思います」
「昔もお墓はあったはずです。だって、うちのおばあちゃんのお墓はあるから。でも、昔は焼くところ(火葬場)がないから、お湯で溶かして骨にしてから、お墓に埋めなければならなかったんだと思います」
「うちの班も同じです。死体をそのままにしたらばい菌とかすごいから、煮て骨にして土に埋めたんだと思います」
現実はこうなのだ。
てことで、御三家受かるかどうかは