2011年4月24日(日・曇)
7時くらいに起床。ぼんやりして9時過ぎに出発。今日もエントロピー学会である。10時開会で9時15分着だが、ほとんど人はいない。ちなみに昨日の反省を活かして今日はいつものジャケットポロシャツである。背広を着なくて済むのはほんとうに楽でよい。
10時開会で最初は元東芝技術者の後藤政志さん。原発設計の専門家ということで、いろいろと模式図を用いて今どうなっているのかということについて説明された。細かい技術的なところは理解が追いつかなかったので放っておいて、分かったところだけ書くと、炉心を冷やすポンプなどの構造上、炉心に水が届いていないんじゃないか、ということであった。今頑張って水をかけているのは格納容器の給水口に向かって行っているんだけれども、水はそこからまたいろいろ筒を伝って炉心へ向かうらしい。ここに損傷がありそうだそうで、詳しいところは理解が及ばなかったのだが、どうやら必要な高さまでの水は入り得ないんじゃないか、ということだった。
また、中の圧力を逃がす「ベント」を今やって圧力調整をしているわけだけれども、これにもウェットウェルベントというのとドライウェルベントという2種類のベントがあって、現在は前者をやっている。つまり、間で水に通して少しでも外界に出る放射能を減らそうというもの。ただ、圧力がもっと上がるとドライウェルベントに踏み切らざるをえないということらしくて(枝野官房長官も言及した由)、それを行えばまたとんでもない量の放射能物質が飛んでいくということのようだ。
2番手は井野博満さん。二段階構成のおはなしで、前段では事故の原因について東電は津波を最大の要因にしてるようだけれどもそれは違うんだ、というもの。まず地震被害の時点で配管破損など原発の危機的状況は起こり得たとして、津波をそれに輪を書けたに過ぎないというものである。
後段は放射能の影響に着いてである。ことに被曝労働について言及しておられた。国のガイドラインによると250ミリシーベルトを受けた作業員は5年間は放射線と接す得る作業はさせないよ、という規則を設けている。しかし、現場(財団法人放射線影響協会)は「250ミリシーベルトを浴びた労働者に上記の規則を当てはめると、労働者の就業の機会を奪う」として、規則に当てはめずに管理しているということらしい。つまりは「今回浴びた線量は手帳(受けた線量等を記録)には載らないから、250ミリシーベルトを浴びても翌月は柏崎原発で働けるよ」ということをのたもうているということだ。これはどういう事を示すかというと、年間200ミリシーベルトを浴びると100人にひとりはがんで「死ぬ」(がんに「なる」ではない)という大変危険な労働をさせているということなのである。
また、子供の被爆についても20ミリシーベルトという数値基準、すなわち原発内部で働く作業員と同じレベルを子供に対してかけるということで、つまりは原発内部と同じ程度のところで子どもが生活することを許すということになっていると指摘し、警鐘を鳴らしておられた。
3番手は黒田光太郎さん。黒田さんの話では今回津波が想定外だったという、その想定外は実は想定内だったんだという指摘があった。なんでも2007年にフロリダで開かれた研究会で東電の研究チームが13m(今度の津波と同程度)の津波が原発を襲う確率が0.1%程度存在することや、15m級の津波の可能性まで示唆していたというのである。それでいながら知らない素振りの東京電力、というお話。そこから先は設計云々でよく分からなかった。
4番手は同志社の室田武さん。CO2と原発との関係性のついての報告である。原発というのは当初の計画段階まで長持ちするものでは必ずしもないという前置きの後に、体炭素社会の歴史的背景についてのお話。
室田さんによれば、CO2に伴う地球温暖化を初めて問題として提起したのはワインバーグというアメリカの原子物理学者ということである。この人は広島や長崎の原爆の生みの親であるマンハッタン計画に若くして関与し、航空機用原子炉など核の利用を推し進めた立役者だった。いろいろと研究を進めて行ったのだけれども、1970年代にアメリカの研究者の中に原発の安全性を危惧するコミュニティが出来上がり、推進と慎重のふたつに割れてしまった、ということらしい。しかし、そういう風潮の中で原発を推し進めるためにCO2の問題性を強く提起し、「二酸化炭素の問題に比べれば原発の安全性不安など取るに足りないものだ」として原発推進をしたらしい。
現在推進されている低炭素社会というのはそういう背景を背負ったものなのだ、ということを理解しておく必要があるという報告である。
最後は沖縄大学の三輪大介さん。上関原発建設に関する動向調査である。私も山口県の出身でもあり、上関については興味を持たざるをえないところにある。三輪さんの報告では福島の事故を受けて、以前よりは工事をストップさせようという政治的な動きもあるものの活発ではないということだった。知事や町長あたりも曖昧に、玉虫色に返答するというようなところが見られたということである。また、先だっての統一地方選でも当該地域の原発反対候補は全滅だったというし、こんなもんなのかなあ?
また、中国電力のバラマキについても指摘があった。上関町にはこれまで30億円くらいの寄付が中電からなされてきたらしい。それも数年前までは一応匿名でやっていたものが最近は実名でやったりとどんどんえげつなくなっている。寄付をもとに町ではいろいろと町民センターを作ったり温泉施設を作ったり、一人頭2万円の地域振興券を配る事業も今年度行っているということで、いうなればカネで人身を釣る事業がなされていたという報告であった。
上関については地元民としてもっともっと関心を持っていなければならないことだったのだけれども、いろいろ反省をしながら報告を聞いていた。
午後の討論は遠慮して13時過ぎの終了で帰宅。
今日の食事
朝:-
昼:ネギトロ巻き、牛すじの煮込み(大根、玉ねぎ)
晩:白飯、牛すじの煮込み(大根、玉ねぎ)、ハッシュドポテト、漬物
10時開会で最初は元東芝技術者の後藤政志さん。原発設計の専門家ということで、いろいろと模式図を用いて今どうなっているのかということについて説明された。細かい技術的なところは理解が追いつかなかったので放っておいて、分かったところだけ書くと、炉心を冷やすポンプなどの構造上、炉心に水が届いていないんじゃないか、ということであった。今頑張って水をかけているのは格納容器の給水口に向かって行っているんだけれども、水はそこからまたいろいろ筒を伝って炉心へ向かうらしい。ここに損傷がありそうだそうで、詳しいところは理解が及ばなかったのだが、どうやら必要な高さまでの水は入り得ないんじゃないか、ということだった。
また、中の圧力を逃がす「ベント」を今やって圧力調整をしているわけだけれども、これにもウェットウェルベントというのとドライウェルベントという2種類のベントがあって、現在は前者をやっている。つまり、間で水に通して少しでも外界に出る放射能を減らそうというもの。ただ、圧力がもっと上がるとドライウェルベントに踏み切らざるをえないということらしくて(枝野官房長官も言及した由)、それを行えばまたとんでもない量の放射能物質が飛んでいくということのようだ。
2番手は井野博満さん。二段階構成のおはなしで、前段では事故の原因について東電は津波を最大の要因にしてるようだけれどもそれは違うんだ、というもの。まず地震被害の時点で配管破損など原発の危機的状況は起こり得たとして、津波をそれに輪を書けたに過ぎないというものである。
後段は放射能の影響に着いてである。ことに被曝労働について言及しておられた。国のガイドラインによると250ミリシーベルトを受けた作業員は5年間は放射線と接す得る作業はさせないよ、という規則を設けている。しかし、現場(財団法人放射線影響協会)は「250ミリシーベルトを浴びた労働者に上記の規則を当てはめると、労働者の就業の機会を奪う」として、規則に当てはめずに管理しているということらしい。つまりは「今回浴びた線量は手帳(受けた線量等を記録)には載らないから、250ミリシーベルトを浴びても翌月は柏崎原発で働けるよ」ということをのたもうているということだ。これはどういう事を示すかというと、年間200ミリシーベルトを浴びると100人にひとりはがんで「死ぬ」(がんに「なる」ではない)という大変危険な労働をさせているということなのである。
また、子供の被爆についても20ミリシーベルトという数値基準、すなわち原発内部で働く作業員と同じレベルを子供に対してかけるということで、つまりは原発内部と同じ程度のところで子どもが生活することを許すということになっていると指摘し、警鐘を鳴らしておられた。
3番手は黒田光太郎さん。黒田さんの話では今回津波が想定外だったという、その想定外は実は想定内だったんだという指摘があった。なんでも2007年にフロリダで開かれた研究会で東電の研究チームが13m(今度の津波と同程度)の津波が原発を襲う確率が0.1%程度存在することや、15m級の津波の可能性まで示唆していたというのである。それでいながら知らない素振りの東京電力、というお話。そこから先は設計云々でよく分からなかった。
4番手は同志社の室田武さん。CO2と原発との関係性のついての報告である。原発というのは当初の計画段階まで長持ちするものでは必ずしもないという前置きの後に、体炭素社会の歴史的背景についてのお話。
室田さんによれば、CO2に伴う地球温暖化を初めて問題として提起したのはワインバーグというアメリカの原子物理学者ということである。この人は広島や長崎の原爆の生みの親であるマンハッタン計画に若くして関与し、航空機用原子炉など核の利用を推し進めた立役者だった。いろいろと研究を進めて行ったのだけれども、1970年代にアメリカの研究者の中に原発の安全性を危惧するコミュニティが出来上がり、推進と慎重のふたつに割れてしまった、ということらしい。しかし、そういう風潮の中で原発を推し進めるためにCO2の問題性を強く提起し、「二酸化炭素の問題に比べれば原発の安全性不安など取るに足りないものだ」として原発推進をしたらしい。
現在推進されている低炭素社会というのはそういう背景を背負ったものなのだ、ということを理解しておく必要があるという報告である。
最後は沖縄大学の三輪大介さん。上関原発建設に関する動向調査である。私も山口県の出身でもあり、上関については興味を持たざるをえないところにある。三輪さんの報告では福島の事故を受けて、以前よりは工事をストップさせようという政治的な動きもあるものの活発ではないということだった。知事や町長あたりも曖昧に、玉虫色に返答するというようなところが見られたということである。また、先だっての統一地方選でも当該地域の原発反対候補は全滅だったというし、こんなもんなのかなあ?
また、中国電力のバラマキについても指摘があった。上関町にはこれまで30億円くらいの寄付が中電からなされてきたらしい。それも数年前までは一応匿名でやっていたものが最近は実名でやったりとどんどんえげつなくなっている。寄付をもとに町ではいろいろと町民センターを作ったり温泉施設を作ったり、一人頭2万円の地域振興券を配る事業も今年度行っているということで、いうなればカネで人身を釣る事業がなされていたという報告であった。
上関については地元民としてもっともっと関心を持っていなければならないことだったのだけれども、いろいろ反省をしながら報告を聞いていた。
午後の討論は遠慮して13時過ぎの終了で帰宅。
今日の食事
朝:-
昼:ネギトロ巻き、牛すじの煮込み(大根、玉ねぎ)
晩:白飯、牛すじの煮込み(大根、玉ねぎ)、ハッシュドポテト、漬物
2011年4月23日(土・曇)
13時頃起床。今日は新町校地でエントロピー学会。福島原発事故をテーマとしていろいろと解説してくれるらしい。学会ということで背広を着込んで出発したが、会場には普段着がいっぱい。背広は少数派である。今回のテーマがテーマなので一般の人々もかなり着ているようだが、それにしても背広組が少なすぎる。たぶん型にとらわれないというか、そういう学会なのだろう。
14時開始で代表世話人である精華大の先生の挨拶と震災被害者への黙祷、エントロピー界隈で高名な先生の追悼式の後の一発目はジャーナリストの広瀬隆さんによる基調講演。危険厨の筆頭だ。パワポスライド300枚を用意しての熱弁である。これまでの経緯からこれからの見通しまで熱弁をふるって語られる。語り口そのものも上手なのだが、やはりその反原発、未曾有の危機の喚起に対する思いが我ら聴衆にぶつけられ、話に引き込まれ、そして胸を打たれるのだ。
広瀬さんによれば、今回の原発事故というのは必ずしも津浪のみに寄って起こされたものではないということである。耐震構造そのものに問題があるとのことだ。津波被害というのは相乗効果としてあげられるものだという。これはその後に報告された人々も指摘していた。また、M9.0というのもまやかしの数字だそうで、普通我々が耳にするM(マゾヒストではなくマグニチュード)というのは気象庁マグニチュードというもの。これが研究者間で使われる別種のMにいつの間にか摩り替わって提示されていたということだ。普通はこれを表記するときは断りを入れて出すのだが、今回ばかりは黙ってこっちの数値だけを出した。ここには「古今未曾有の大災害」を演出し、東電の損害賠償責任を免除する、という政治的意図があったという指摘もあった。
また、氏によれば今の日本というのは関東も関西も地震の周期に入ってきているということだ。つまり、本来なら正確な周期をたどるとするならば13年前に起こるはずだった小田原地震(関東大震災)は今か今かとその登場を待っているし、東南海地震にしても、阪神大震災以降の北陸地震などを見ると、前回の昭和東南海地震と同じような経過をを示しつつあるという。世界的に見てもニュージーランド地震やスマトラ地震などプレートの境界での大地震がどんどん起こってきており、これはプレートの移動が活発化している証左であるということだ。
原発の耐震の面では大地震に対する設計とは言えないようなお粗末なものだそうだし、津波も全国の原発での想定は5メートルとかそんなモノらしい。今危険とされている浜岡原発や假屋崎原発も同様。また、浜岡がドカンといくとその避難必要地域は東は東京・千葉、西は兵庫から岡山まで広がるということだ。えらいことである。
そして最も喫緊の問題であるのが放射性物質が飛散しているという現状である。空気中に飛散し東北や関東各所を中心にばらまかれているというのは周知のとおりだが、これは低線量だから大丈夫だ、というものではなく、ちょっとでも体内に入って、ちょっとでも細胞が傷つけられてがん細胞が作られたら、あとは放射能関係なくどんどん増殖していくということである。これは小さい子供であればあるほどリスクは高まるし、小さい子供ががんを発症すれば20代、つまり今の私くらいの都市で彼岸へ渡ってしまうということも大げさな話ではない。それを避けるためには少しでも早く緊急疎開をさせるべきであったということであるし、今でも少しでも早く西日本へ非難させねばならないという強い発言もあった。広瀬さんタイムは2時間とってあったが、ノンストップでしゃべり続けられてもあっという間であった。時間の制約からかなり端折って、スライドも3割くらいは飛ばしておられたように見える。個人的にはもっともっと話を聞きたかったが、時間を少し過ぎた位2時間15分くらいで終わってしまった。
続いては福本敬夫さん(阪大)による海洋汚染の話。原発の汚染水が海に流されたというのは周知のとおりであるが、そんなに簡単に薄まるものではないよ、という話である。つまり、ニュースなんかでは海に流せばいっぱい水もあるんだから拡散して全体へ広がって薄まってしまうんだ、というような論調で喋っているんだけれども、コーヒーにミルクをつつっと流しても、そのまま筋になるだけでスプーンでかき混ぜないと混ざらないのと一緒で海に流しても簡単には混ざることはないということである。具体的には潮の流れにのって海岸伝いに南下するものと指摘されている。潮と潮とがぶつかるのが大体銚子の辺りなのでそのあたりに滞留するのではないかという話だ。ただ、広瀬さんの話だと木更津のあさりもやられているということなので、現実には東京湾の方までぐるっとまわっているのかもしれない。
ともあれ問題は、海に流された放射能は簡単には拡散しない、ということである。報道を賑わせたコウナゴ被害のようにまずは小さい魚から汚染が始まる。今度はそれを餌にするちょっと大きい魚、またそれを餌にするもっと大きい魚へとどんどん伝播していくのである。そしていわゆる生物濃縮というやつでお魚さんの体内にギュッと濃く蓄積されるのである。これを聞いて思い出すのが水俣病。あれは水銀だったけれども、同じことが放射能で起こっているということである。また、福本さんの話だとトロとかの脂の部分に放射能はよく貯まるということらしい。
続いては精華大の山田国広さん。もともとプログラムには入っていなかったけれど報告された。首相官邸などから出された膨大なデータを解析されてのご報告である。話の中心は小学校の土壌汚染であり、その汚染が世間一般で考えられているよりもものすごく深刻だ、という趣旨である。特に強調されたのが福島市内における学校(幼稚園・小学校・中学校)の線量データで、原発から50kmも60kmも離れたところでさえ年間20マイクロシーベルトをこすようなところがいくつもあるということである。しかも、その地域の学校ではあくまで「皇帝で運動をしてはいけない」にとどまるのみで子どもを守る体制になっていないということだ。そして、山田さんの怒りが頂点に達していたのが、そのような状況の中で基準線量を瞬間的にちょっと下回っただけで再び皇帝での運動を許すという、政府の危機感の無さ、甘さについてのものであった。つまり、累積で図らねば意味を成さないものを瞬間の数値で判断し、あまつさえその結果を弱い子どもに対して行使するという点である。
最後は国学院の菅井益郎さん。公害の歴史を研究しおられる先生とのことである。今回は話題の飯舘村に足を運んで実際に線量を計ってきた、そのリポートである。菅井さんも福島市の時点でかなり高い線量を示しており、安全靴を履かねばならないほどだったという。それでいて、福島市の人々は普段と何ら変わらない生活を平然とおくっている、それが非常に恐ろしかった、異世界を見るようであったということであった。
飯舘村についても、山のくぼみと線量との関係なんかの説明があったが、どちらかというと脱線しがちで冗長な報告であった。
18時40分くらい、菅井さんの報告途中にはばかりついでに帰ってしまった。様態して戻ってきたらたぶんお開きになってしまってたと思うので。スーパーで晩ご飯の買物をして帰宅。23時過ぎ頃に就寝。
それにしても一応今日まで自分も危険厨の端くれだと思っていたが、なんちゃって危険厨レベルだったのではないかというくらい現状は深刻だということが分かった。こういうときだからこそいろんな情報を得ることは必要だし、それに基づいて自分で考えて判断することがより一層求められるということである。
今日の食事
朝:-
昼:-
晩:白米、おかずは失念(とうとうボケたか?)
14時開始で代表世話人である精華大の先生の挨拶と震災被害者への黙祷、エントロピー界隈で高名な先生の追悼式の後の一発目はジャーナリストの広瀬隆さんによる基調講演。危険厨の筆頭だ。パワポスライド300枚を用意しての熱弁である。これまでの経緯からこれからの見通しまで熱弁をふるって語られる。語り口そのものも上手なのだが、やはりその反原発、未曾有の危機の喚起に対する思いが我ら聴衆にぶつけられ、話に引き込まれ、そして胸を打たれるのだ。
広瀬さんによれば、今回の原発事故というのは必ずしも津浪のみに寄って起こされたものではないということである。耐震構造そのものに問題があるとのことだ。津波被害というのは相乗効果としてあげられるものだという。これはその後に報告された人々も指摘していた。また、M9.0というのもまやかしの数字だそうで、普通我々が耳にするM(マゾヒストではなくマグニチュード)というのは気象庁マグニチュードというもの。これが研究者間で使われる別種のMにいつの間にか摩り替わって提示されていたということだ。普通はこれを表記するときは断りを入れて出すのだが、今回ばかりは黙ってこっちの数値だけを出した。ここには「古今未曾有の大災害」を演出し、東電の損害賠償責任を免除する、という政治的意図があったという指摘もあった。
また、氏によれば今の日本というのは関東も関西も地震の周期に入ってきているということだ。つまり、本来なら正確な周期をたどるとするならば13年前に起こるはずだった小田原地震(関東大震災)は今か今かとその登場を待っているし、東南海地震にしても、阪神大震災以降の北陸地震などを見ると、前回の昭和東南海地震と同じような経過をを示しつつあるという。世界的に見てもニュージーランド地震やスマトラ地震などプレートの境界での大地震がどんどん起こってきており、これはプレートの移動が活発化している証左であるということだ。
原発の耐震の面では大地震に対する設計とは言えないようなお粗末なものだそうだし、津波も全国の原発での想定は5メートルとかそんなモノらしい。今危険とされている浜岡原発や假屋崎原発も同様。また、浜岡がドカンといくとその避難必要地域は東は東京・千葉、西は兵庫から岡山まで広がるということだ。えらいことである。
そして最も喫緊の問題であるのが放射性物質が飛散しているという現状である。空気中に飛散し東北や関東各所を中心にばらまかれているというのは周知のとおりだが、これは低線量だから大丈夫だ、というものではなく、ちょっとでも体内に入って、ちょっとでも細胞が傷つけられてがん細胞が作られたら、あとは放射能関係なくどんどん増殖していくということである。これは小さい子供であればあるほどリスクは高まるし、小さい子供ががんを発症すれば20代、つまり今の私くらいの都市で彼岸へ渡ってしまうということも大げさな話ではない。それを避けるためには少しでも早く緊急疎開をさせるべきであったということであるし、今でも少しでも早く西日本へ非難させねばならないという強い発言もあった。広瀬さんタイムは2時間とってあったが、ノンストップでしゃべり続けられてもあっという間であった。時間の制約からかなり端折って、スライドも3割くらいは飛ばしておられたように見える。個人的にはもっともっと話を聞きたかったが、時間を少し過ぎた位2時間15分くらいで終わってしまった。
続いては福本敬夫さん(阪大)による海洋汚染の話。原発の汚染水が海に流されたというのは周知のとおりであるが、そんなに簡単に薄まるものではないよ、という話である。つまり、ニュースなんかでは海に流せばいっぱい水もあるんだから拡散して全体へ広がって薄まってしまうんだ、というような論調で喋っているんだけれども、コーヒーにミルクをつつっと流しても、そのまま筋になるだけでスプーンでかき混ぜないと混ざらないのと一緒で海に流しても簡単には混ざることはないということである。具体的には潮の流れにのって海岸伝いに南下するものと指摘されている。潮と潮とがぶつかるのが大体銚子の辺りなのでそのあたりに滞留するのではないかという話だ。ただ、広瀬さんの話だと木更津のあさりもやられているということなので、現実には東京湾の方までぐるっとまわっているのかもしれない。
ともあれ問題は、海に流された放射能は簡単には拡散しない、ということである。報道を賑わせたコウナゴ被害のようにまずは小さい魚から汚染が始まる。今度はそれを餌にするちょっと大きい魚、またそれを餌にするもっと大きい魚へとどんどん伝播していくのである。そしていわゆる生物濃縮というやつでお魚さんの体内にギュッと濃く蓄積されるのである。これを聞いて思い出すのが水俣病。あれは水銀だったけれども、同じことが放射能で起こっているということである。また、福本さんの話だとトロとかの脂の部分に放射能はよく貯まるということらしい。
続いては精華大の山田国広さん。もともとプログラムには入っていなかったけれど報告された。首相官邸などから出された膨大なデータを解析されてのご報告である。話の中心は小学校の土壌汚染であり、その汚染が世間一般で考えられているよりもものすごく深刻だ、という趣旨である。特に強調されたのが福島市内における学校(幼稚園・小学校・中学校)の線量データで、原発から50kmも60kmも離れたところでさえ年間20マイクロシーベルトをこすようなところがいくつもあるということである。しかも、その地域の学校ではあくまで「皇帝で運動をしてはいけない」にとどまるのみで子どもを守る体制になっていないということだ。そして、山田さんの怒りが頂点に達していたのが、そのような状況の中で基準線量を瞬間的にちょっと下回っただけで再び皇帝での運動を許すという、政府の危機感の無さ、甘さについてのものであった。つまり、累積で図らねば意味を成さないものを瞬間の数値で判断し、あまつさえその結果を弱い子どもに対して行使するという点である。
最後は国学院の菅井益郎さん。公害の歴史を研究しおられる先生とのことである。今回は話題の飯舘村に足を運んで実際に線量を計ってきた、そのリポートである。菅井さんも福島市の時点でかなり高い線量を示しており、安全靴を履かねばならないほどだったという。それでいて、福島市の人々は普段と何ら変わらない生活を平然とおくっている、それが非常に恐ろしかった、異世界を見るようであったということであった。
飯舘村についても、山のくぼみと線量との関係なんかの説明があったが、どちらかというと脱線しがちで冗長な報告であった。
18時40分くらい、菅井さんの報告途中にはばかりついでに帰ってしまった。様態して戻ってきたらたぶんお開きになってしまってたと思うので。スーパーで晩ご飯の買物をして帰宅。23時過ぎ頃に就寝。
それにしても一応今日まで自分も危険厨の端くれだと思っていたが、なんちゃって危険厨レベルだったのではないかというくらい現状は深刻だということが分かった。こういうときだからこそいろんな情報を得ることは必要だし、それに基づいて自分で考えて判断することがより一層求められるということである。
今日の食事
朝:-
昼:-
晩:白米、おかずは失念(とうとうボケたか?)
2011年4月22日(金・雨)
今日からまたひっそりと日記を始めよう。いつまで続くかは知らんが、続くときまで続ければ良いのだ。
そういうわけで、15時頃起床。月曜日の晩からの発熱でぐったり寝ていたら変な生活習慣になってしまっている。16時45分からのTAがあるのでこの時間に無理やり目を覚ましたが、就寝が9時くらいだったため、7時間睡眠派の人間としてはもう少し寝ていたいところであった。熱でしばらく風呂にも入ってなかったのでシャワーを浴びて髭を剃れば、唇を斬って出血。押さえてもどうしても止まらず。傷自体は小さなものだが、結局1時間くらい止まらなかった。血が出るたびに抑えていたハンカチは、血濡れて真っ赤になってしまった。なお咳は依然として止まらず。
研究室に寄って、16時15分ごろTA教室へ。プロジェクト科目のTAである。講師控え室でパソコンを借り、授業教室の機器に繋ぐが、どうもプロジェクターが映らない。試行錯誤するもどうにもならないので、講師控室に聞くと担当のところに電話をしてもらえた。そこでのやりとりだが、どうやら私は講師控室の人に先生だと思われていることが発覚。ま、いつものことなので発覚という程でもないか。係の人に来てもらって、結局は機器の不具合というか接触不良というかそんならしかった。
講義自体はこれから授業をすすめるに当たっての役割分担(リーダーや会計etc)なので、さほどのこともなし。担当の先生役であるTDさんに加えて区役所からも数人こられているので、TAとしてはあまり仕事もないのである。
授業後、鞍馬口のハウディに寄ってお買い物。食材がないので買っておかねばならない。当初の目論見としてはこの間仕込んだ大根あめの絞りかす大根と牛スジでも煮込もうかと思っていたのだが、売り切れだったので、今日の晩用のおかず云々を購入。
帰途、なんとなく映画について考えていた。日本で最初のカラー映画は「カルメン故郷に帰る」(松竹)という作品なんだけれども、その主役であるリリー・カルメン(高峰秀子)の役柄はストリッパーなのである。東京の踊り子が故郷(長野だったかな?)に帰ってひと騒動、という話。今までなんともなしに見ていたけれど、考えて見れば当時はそれほどストリップというものが人口に膾炙していたということなのであろう。松竹としても日本初のカラー映画という社運を書けた一作であるからして、生半可なものではなかったはずである。その作品の主人公の職業であるからして。しかも、カルメン自身は踊り子という職業を誇りにして生きているという描写が劇中に見られる。監督をした木下惠介が何を考えていたのかは知らないが、ちょっとモノを考える余地のある作品なのかもしれない。
それはそうと、ぬか漬けを切ったら手がずっと糠味噌臭くなってしまった。とれぬ。
今日の食事
朝:-
昼:-
晩:白飯、豚の生姜焼き(豚、玉ねぎ)、かいわれ大根、漬物
そういうわけで、15時頃起床。月曜日の晩からの発熱でぐったり寝ていたら変な生活習慣になってしまっている。16時45分からのTAがあるのでこの時間に無理やり目を覚ましたが、就寝が9時くらいだったため、7時間睡眠派の人間としてはもう少し寝ていたいところであった。熱でしばらく風呂にも入ってなかったのでシャワーを浴びて髭を剃れば、唇を斬って出血。押さえてもどうしても止まらず。傷自体は小さなものだが、結局1時間くらい止まらなかった。血が出るたびに抑えていたハンカチは、血濡れて真っ赤になってしまった。なお咳は依然として止まらず。
研究室に寄って、16時15分ごろTA教室へ。プロジェクト科目のTAである。講師控え室でパソコンを借り、授業教室の機器に繋ぐが、どうもプロジェクターが映らない。試行錯誤するもどうにもならないので、講師控室に聞くと担当のところに電話をしてもらえた。そこでのやりとりだが、どうやら私は講師控室の人に先生だと思われていることが発覚。ま、いつものことなので発覚という程でもないか。係の人に来てもらって、結局は機器の不具合というか接触不良というかそんならしかった。
講義自体はこれから授業をすすめるに当たっての役割分担(リーダーや会計etc)なので、さほどのこともなし。担当の先生役であるTDさんに加えて区役所からも数人こられているので、TAとしてはあまり仕事もないのである。
授業後、鞍馬口のハウディに寄ってお買い物。食材がないので買っておかねばならない。当初の目論見としてはこの間仕込んだ大根あめの絞りかす大根と牛スジでも煮込もうかと思っていたのだが、売り切れだったので、今日の晩用のおかず云々を購入。
帰途、なんとなく映画について考えていた。日本で最初のカラー映画は「カルメン故郷に帰る」(松竹)という作品なんだけれども、その主役であるリリー・カルメン(高峰秀子)の役柄はストリッパーなのである。東京の踊り子が故郷(長野だったかな?)に帰ってひと騒動、という話。今までなんともなしに見ていたけれど、考えて見れば当時はそれほどストリップというものが人口に膾炙していたということなのであろう。松竹としても日本初のカラー映画という社運を書けた一作であるからして、生半可なものではなかったはずである。その作品の主人公の職業であるからして。しかも、カルメン自身は踊り子という職業を誇りにして生きているという描写が劇中に見られる。監督をした木下惠介が何を考えていたのかは知らないが、ちょっとモノを考える余地のある作品なのかもしれない。
それはそうと、ぬか漬けを切ったら手がずっと糠味噌臭くなってしまった。とれぬ。
今日の食事
朝:-
昼:-
晩:白飯、豚の生姜焼き(豚、玉ねぎ)、かいわれ大根、漬物
2011年1月8日(土)
注文していたパソコンのハードディスクが届く。Eee PCはハードディスクの換装が楽々である。ドライバーで簡単に交換して、あとは外付けハードディスクから流しこむだけだ。以前より動きも軽快になったし、エラーも出ていないようだ。よかったよかった。
2011年1月7日(金)
アカデミック・スキルのTA。今日から個人報告である。学生によって差が大きい。よくできた学生は4回生ゼミ生レベルのものを出してくるし、出来てない学生は何も言いたくなくなってしまう。それはそれとして、おおむねのところは悪くないできだろうとは思う。商店街に関する報告には、昔とったなんとやらであの頃の話をする。昔話じじいである。まあ、それなりに私も指摘したり、レポートにまとめる上での助言のようなものもできたし、よしとしよう。
それにしても腰痛がひどい。
それにしても腰痛がひどい。