このキレ!ヒッチコックは衰え知らず!
1972年 監督/ アルフレッド・ヒッチコック
アルフレッド・ヒッチコックが、『サイコ』『鳥』という二大傑作の後に発表した三作品『マーニー』『引き裂かれたカーテン』『トパーズ』は、それまでの傑作と比較すると精彩を欠いたと言わざるを得ない出来でした(それでも凡百の作品を観るよりは十分に楽しめますが)。
ヒッチコックは二大傑作を放ち燃え尽きてしまったのか?ヒッチコックはもう終わってしまったのか?そんな言葉が囁かれ始めていました。
そう、この『フレンジー』を放つまでは。
『フレンジー』は、ヒッチコックが生涯に発表した作品の最後から2番目に数えられる作品ですが、ヒッチコックは本作で驚くべき変化を遂げています。
最大の変化は登場人物のキャラクター。本作の主人公ジョン・フィンチ、バリー・フォスター、そしてヒロインのアンナ・マッセイ。それまでヒッチコック作品の登場人物は、絶世の美男美女や紳士淑女ばかりでしたが、本作に登場する男女は極めて現実的。しかも、上品でもなければ、スマートでもないキャラクターばかり。
主人公のブレイニーは、経済的に乏しく、粗野で短気な乱暴者。借金を返すのに札をクシャクシャに丸めて貸主に投げつける描写など、かなりうんざりさせられます。
犯人役のラスクは、レイプ魔であり絞殺魔という異常者。特にブレンダ殺害シーンでは、その異常性で鑑賞意欲を完全に削がれます。
そしてもうひとつの変化は、それまでのA級娯楽大作路線から、テレビのサスペンスドラマながらのこじんまりとした展開(それまでに同路線の作品として『見知らぬ乗客』『サイコ』などがありますけどね)にマイナーチェンジされたこと。
しかし、そのネガティヴ要素を完全に払拭するかのように、ダイナミックで技巧に富んだカットが次々に放たれます。言ってしまえば前作『トパーズ』は映像的ギミック皆無の作品であっただけに、ヒッチコックの完全復活宣言とも取れる快作なのです!
【この映画の好きなとこ】
◾︎青果市場
ラスクが働く市場の活気ある描写と青果の色彩感覚が画面を彩る。陰鬱な作品になりかねない本作を救った。
◾︎オックスフォード夫妻
連続殺人事件を追うオックスフォード刑事と、時に捜査の的確な助言をする妻。料理教室に通う妻は毎日凝った料理を提供。仲睦まじい描写が本作の陰鬱さをカバーした。
◾︎悲鳴
死体を発見した秘書があげた悲鳴に気づくも、やり過ごす通行人。じっくりワンカットで見せる型通りでない演出が出色。
◾︎忍び寄る悪魔
勤務先のオーナーと喧嘩し、店を飛び出したバブス。取り乱す彼女の心情を表すように掻き消される街の騒音。そして静寂の闇から現れる邪悪なラスクの声。スゴい!
◾︎君は好きなタイプだ
バブスを部屋に招き、犯行前の決め台詞を放つラスク。閉まるドアを捉えたカメラは階段を降りアパートを退出。犯行現場を見せずに恐怖を演出するスゴいシーン。
閉まるドア。完全な静けさ
◾︎オックスフォード家の晩餐
料理教室に通うオックスフォード夫人が作る食事がスゴい!食欲を奪うそのビジュアルはもはや拷問!文句を言わずに食べたフリをするオックスフォード刑事は世界一の愛妻家!
うへー!
◾︎フラッシュバック
バブスの絞殺シーンは描かれる事なく省略法で処理されていたが、ここで突如絞殺シーンが映し出される。あまりに鮮烈な演出!
◾︎ジャガイモ袋
バブスを詰め込んだジャガイモ袋から、証拠品のネクタイピンを取り戻しにトラック荷台に乗り込んだラスク。サスペンスフルなシーンをスラップスティック風に見せる。
◾︎法廷から独房へ
裁判官がブレイニーの判決を読み始めるとドアが閉まり、その声が聞こえなくなりヤキモキさせる。ドアが開くと響き渡るブレイニーの罵声で下された判決が明確となる名演出。
◾︎脱走
白衣を纏い鮮やかな脱出劇を見せるブレイニー。廻るドアノブに反射する光。ブライアン・デ・パルマ監督作品『殺しのドレス』に多大な影響与えてますね、間違いなく。
光るドアノブ
◾︎棺桶 ※ネタバレ
死体を運ぶ為、ラスクが用意した大きな黒ケース。現場を押さえられ観念したラスクの手元を離れて倒れた黒ケースが、皮肉にも自身の棺桶に見える素晴らしいオチ。
ヒッチコック作品は、それまで徹底した品の良さ(『サイコ』『鳥』で、その凶暴性を解放していますが) が特徴であった分、かなり刺激的に感じる作品です。クセのある登場人物と過度のバイオレンス描写が抜きん出ていますが、ブラックユーモアと爽快な結末が勝り、結果的に満足度の高い作品になっています。
"好きな映画だけのブログ"というタイトル通り、好きな映画の好きなとこだけを書いてきたこのブログでは本来語られる事のない、出来れば無かった事にしたいくらい嫌いなシーンがあります。本当は触れたくもないのですが、本作を語るうえでどうしても素通りしてはいけない気がするのがブレンダのレイプシーンです。嫌悪感100%の忌まわしさですが、しかしその演出力は評価すべきものなのかもしれません。
なぜならば、そのシーンは即物的な描写を控えており、レイプ行為を匂わせる体の動きすらありません。抵抗を諦めて神に祈りを捧げるブレンダの絶望感と、「Lovely」という言葉だけをひた繰り返すラスクのアップだけで構成されているのです。
それにもかかわらず、ここまで嫌悪感を抱かせる事は並大抵の演出家には出来ない事だと思うのです。そう考えると、このシーンの演出を正当評価すべきではないかと思えるのです。
このシーンでラスクを心から憎みましょう。そうすれば最後に待ち受けるラスクの末路を爽快に味わえます。同時に逆転無罪を勝ち取るブレイニーの勝利感を共に味わえる絶妙な仕掛けになっています。ここに実はヒッチコックの計算があったのではないかとすら思えて来るのです。
物語が終わるまでに憂鬱な気持ちは掻き消され、キレのある作品を心から楽しんだあなたがいることを保証します。なぜなら本作の監督はアルフレッド・ヒッチコック。超一流のエンターテイナーですから。
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