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デビル雅美とオレ※過去ログサルベージ

2004年03月12日

デビル雅美とオレ


という訳で、需要があるのかないのか分からないプロレステキストのコーナーです。この前のジャガー横田に続いて、今回はデビル雅美について熱い思いを無駄に語ります。



デビル雅美は昭和53年に全女に入団した。ちなみに、同期に個人的に大好きなジャンボ堀が、1年先輩にジャガー横田やミミ萩原が、2年後輩に長与千種、ライオネス飛鳥、ダンプ松本などがいる。


デビルはその表情の凄みと恵まれた体格で、若手時代はヒールとして活躍。そのときのリングネームは天神マサミであった。


その後、ベビーフェイス・・・でもないのだが、正統派スタイルにチェンジし、リングネームをデビル雅美に改めた。

今でこそ女帝などと呼ばれ敬愛されているデビルだが、全女時代は優遇されていたとは言えず、強いと思えばコロっと負け、そうかと思うとがっちり勝つという、なんとも微妙な立場だった。


体格に運動能力、そして何より豊かな表情も備わっていたにも関わらず、天才ジャガーやクラッシュ、極悪同盟などの活動時期と被ってしまうという不幸がその原因である。


また、正統派レスラーはデビル以外にも数多く、大森ゆかりやジャンボ堀など、今でも通用するような優れた女子レスラーが何人も活躍していたのだ。


優れたレスラーが多いのはいいことだが、この時期の全女は異常だった。誰がベルトを巻いてもおかしくない状況だった。


そしてやってくるクラッシュ・・・というか、クラッシュvs極悪同盟ブーム。


この流れに乗れなかったデビルは、ますます影が薄くなってしまった。確かに長与とデビル、飛鳥とジャガーの名勝負などはあったものの、結局クラッシュvs極悪同盟という図式が一番の注目カードであり、それ以外の試合は『その他』的扱いに甘んじるしかなかった。


デビルには優れたテクニックもパワーもスピードもあった。そして、プロレスラーにとって最も重要な要素ともいえる『表情』もあった。さらには、その元ヒールとしての経験を活かした面白いギミックもあった。これは、普段は正統派スタイルで戦うのだが、攻め込まれたり感情のボルテージが上がると、凶器である木刀を手にして相手に襲い掛かるという、いわば狂人モードである。普通のレスラーがやると稚拙の一言なのだが、デビルの狂気と凄みのある表情のおかげで背筋が凍るような迫力があった。


これだけの成功要素を持ちながら、デビルは埋もれたのである。いや、普通のレスラーとして考えれば成功したと言えなくもないが、デビルほどの逸材であれば、もっともっと可能性があったはずなのだ。


繰り返すようだが、デビルの不遇の理由はただ一つ。

先にも挙げた『クラッシュブーム』の直撃である。


最近の女子プロファンには理解できないかもしれないが、クラッシュギャルズブーム(ダンプ松本含む)とは、プロレス史上でも屈指の『一般芸能界をも巻き込んだ大ブーム』であった。力道山や馬場&猪木を抜かせば、これに対抗できるのはタイガーマスクブームしかないのではないかと思う。


このクラッシュブームに関してはまた別の機会に話すとして、ともかくそれほど大きいブームの直撃を受けてしまったデビルは、自分自身の能力だけでは到底抗うこともできず、気付くとジャガーと共に全女を引退していた。


ジャガーはその後も全女のTV番組の解説者やコーチとして活躍したが、デビルは違った。新たな戦いの場として、他団体(JWP)に移籍したのだ。


もしかしたら、デビルの本当の活躍はこのJWP移籍後からかもしれない。


JWP移籍後のデビルの名勝負として、引退して女優業に専念していた長与千種の復帰戦が忘れられない。エキシビジョンではあったものの、見事な完成度のプロレスを見せてくれた。長与の師匠でもあるデビルが、現役であり続けた者として弟子の長与を迎え撃つ。デビルの凶悪なまでのパワーと懐の深い受け、長与の天性の色気(天才性)。これが見事に噛みあい、クオリティの高い好勝負となったのだ。ファンはこの試合を見て、長与の復帰に納得した。


もしこの時の対戦相手がデビルではなく、適当な若手レスラーだったとしたらどうだったろう。恐らく長与の復帰にうそ臭さを感じ、それほど好意的に受け入れられなかったのではないかと思う。


そう、デビルはパワーとテクニックと表情に加えて、いつの間にか相手を光らせる技術すら身につけていたのだ。


思えばそれもそうか。デビルはとにかく恵まれていなかったのだ。ありあまる才能を持ちながら、時代の流れに押し込められ、長い不遇時代を過ごしてきたのだ。それを思えば、いまさら相手に塩を送ることなど造作もないことなのだ。


現役生活最年長の女子レスラーとして、確固たる地位を築いている今だからこそ、他人に少し道を譲るくらい何でもないことなのだ。


そして何より、例え自分が道を譲ったとしても、誰も自分に取って代わることは出来ないという余裕もあるのだろう。デビルのポジションまで辿りつけるレスラーは、男でもそうはいない。


才能に溢れ、身体にも恵まれ、客を虜にする豊かな表情を持ち、長い不遇時代にもめげない精神力をも兼ね備え、女子レスラーとしては脅威の25年という現役実績・・・。


こんな化け物のようなレスラーに誰がなれるというのだ?


デビルは一度は時代の流れに負けた。だが、その敗北を自分自身の歴史ではねのけてみせたのだ。


『不屈の女帝』


これこそがデビル雅美にふさわしい称号だと思う。




クラッシュブームとオレ※過去ログサルベージ

2004年04月30日

クラッシュブームとオレ


忘れた頃にプロレステキスト。

今回はクラッシュブームについて熱く語ります。


・クラッシュギャルズ

長与千種(昭和55年入団)
ライオネス飛鳥(昭和55年入団 本名:北村智子)


言わずと知れた、全日本女子プロレスに突如現れた大スターである。先輩であるデビル雅美やジャガー横田に叩きのめされ、同期の大森ゆかりやダンプ松本としのぎを削りあい、タッグ結成後は会社の大プッシュもあって、ブレークへ繋がった。


彼女達には、それまでの女子レスラーが引きずっていた泥臭さや影が少なかった。試合もキックやスープレックスに加えて、ムーンサルトプレスなどの空中殺法を多用する爽やかなスタイルであり、言ってみれば『女子アスリート』といった趣があった。


かといって全く新しい存在だったわけではなく、彼女達の核にあるのは、ジャガーやデビルという巨大な先輩から学んだ(盗んだ)根性と技術である。


そういった偉大な先輩の遺伝子に加えて、積極的に男子プロレスの技術を盛り込み、彼女達ならではの、爽やかで華やかで、それでいて力強いファイトスタイルが生まれたのである。


そんな爽やかな存在の彼女達に、ある時天敵が現れる。それがダンプ松本率いる『極悪同盟』である。


『極悪同盟』はその名の通り、極悪な攻撃でクラッシュの二人をなぶりものにした。極悪とクラッシュがぶつかる試合では、決まって流血当たり前の凄惨な場面が飛び出すのだ。ダンプのまるでクラッシュの人気に、特に長与の人気に嫉妬し、狂ったかのような攻撃は、見ている者を圧倒させるだけの狂気と迫力があった。


そしてクラッシュvs極悪同盟の試合で忘れてはならないのが、悪役レフェリー『阿部四郎』の存在である。レフェリーのくせに『極悪同盟』と共に入場し、とにかく『極悪同盟』びいきのれフェリングを繰り返す。ダンプが反則攻撃をしても見て見ぬフリなのに対し、クラッシュが反撃しようとすると露骨に邪魔をする。また、極悪同盟側がフォールされた時は時間が止まったかのような遅いカウントをするくせに、クラッシュがフォールされるとあり得ない速さでカウントを取ろうとする。


そんな子供でも分かる単純な対立構造の中、プロレスの試合はもとより、芸能活動においてもクラッシュ、ダンプが共に大活躍。どちらかというと、ダンプ松本の方が芸能受けは良かったように思う。


ベビーフェイス(善玉)であるクラッシュが客を呼び、ヒール(悪玉)であるダンプも別の客を呼ぶ。この相乗効果で、『クラッシュブーム』は芸能界をも巻き込んだ空前の大ブームに膨れ上がっていった。


CMに、ドラマに、バラエティにと引っ張りダコ。握手会やらサイン会やらで日本中を回らされ、歌を出せばこれまたヒット。今のうちに稼がせねばと、彼女達は会社の意向でとことん消費されていった。


また、クラッシュ人気(正確にはクラッシュvsダンプ松本人気)が加熱するにつれて、試合の内容もますますヒートアップしていった。ついには長与とダンプの敗者髪切りマッチが組まれ、初戦では長与が、再戦ではダンプが丸刈りにされた。


プライベートが全くないどころか、睡眠時間もロクにないような生活の中、リング上の『ノルマ』はどんどんとキツくなり、遂に長与は長期欠場が必要なまでの大怪我を負ってしまう。


そんな厳しい状況の中でも、クラッシュもダンプも自分に与えられた役割を懸命に果たし続けた。


そして88年に、天敵であるダンプ松本と同期の大森ゆかりが引退を宣言。ダンプ&大森の引退試合として、『ダンプ松本&大森ゆかり組vsクラッシュギャルズ』というタッグマッチが組まれた。


試合はそつなく進んだが、最後になんとダンプが味方の大森を裏切って凶器攻撃。大混乱のうちに、無効試合の裁定が下された。


そして混乱の続くリング上で、ダンプがマイクを取る。


「長与!お前とは敵だけじゃ終われないんだ!」


これを受け、長与もマイクで絶叫。


「ダンプ!最後に一度だけ組んでやるよ!」


このやり取りを経て試合再開。『長与&ダンプ』vs『飛鳥&大森』という、それまでの抗争からは考えられないような組み合わせが実現した。


あれだけ激しい戦いを繰り広げていた長与とダンプが、お互いに協力し合う姿。それを見て、小学生の頃の私は不覚にも泣いた覚えがある。


長与が攻め込まれると、颯爽と救出に来るダンプ。グロッキー状態の長与の上に覆いかぶさり、相手の攻撃から身を挺して守るダンプ。そしてダンプが長与の得意技であるサソリ固めを飛鳥に決めた所で時間切れ。試合後、これ以上ない爽やかな笑顔で飛鳥、長与と抱き合うダンプ。その光景を見た瞬間、私はプロレスをより深く理解し、愛するようになった。


そしてクラッシュブームとは、長与とダンプという二人のカリスマが築き上げてきた物だったということにも。


その翌年の89年。天敵であるダンプの引退以後、消化不良気味の日々を送っていた長与が引退を表明し、『クラッシュギャルズvs西脇&北斗組』という試合が組まれた。


長与が力強いパワーボムで試合を決めると、突如長与の弟子である堀田が乱入。師匠である長与に襲い掛かった。その後も長与との別れを惜しんで、続々とリングに乱入する選手達。山崎が、立野が、ブル中野が、次々と長与から3カウントを奪い続ける。そして最後に長与の前に立ちはだかったのはライオネス飛鳥。クラッシュギャルズ同士の対決は飛鳥が勝利をもぎ取り、長与の引退試合は結末を迎えた。


この長与の引退によって、クラッシュギャルズが、そして全日本女子プロレスの黄金時代が終わりを告げる。


この後の全女は、クラッシュブームと共に去っていった客を取り戻せず、新たなスター選手も出ず。ブーム中の好景気に気を良くして事業を拡大させていたため、かさみ過ぎた経費のために経営が傾き、そのままズルズルと倒産。


クラッシュブームとは、その終焉とともに自らが所属していた会社すらも『文字通りクラッシュ』させてしまうほどの破壊力だったのだ・・・。


今後もプロレス業界に新たなブームが巻き起こる可能性はある。だがこの全女の失敗を噛み締めて、桁違いの祭りの後には、桁違いの空虚が襲い掛かってくるということを肝に銘じるべきだろう。




昭和必殺技名鑑とオレ※過去ログサルベージ

2004年05月27日

昭和必殺技名鑑とオレ


まず始めに、『昭和プロレス』という単語の意味から考えてみよう。


最初に断言しておくが、プロレスは昭和(というか1990年代)までが一番面白かったと思う。八百長うんぬんという程度の低い話で思考がストップする可哀想な方々は放置するが、良くも悪くも『プロレスを信じていられた』からというのが大きな理由である。


今になって言われ始めたことではないが、一つ一つの技の重みや説得力、必殺技の一撃必殺度の低下が著しく、これでは試合を見ていても緊迫感が全く伝わってこない。


また技うんぬんではなく、試合の組み立て方自体が雑な場合も多く、そういった試合は感情移入も出来なければテンションも上がらない。


「裏事情が素人に知れ渡りすぎ、プロレスを見る目が覚めた」という理由もあるが、最も深刻なのは『プロレス頭のないレスラーが多すぎる』ことだと思う。

※プロレス頭=プロレスに対する深い知識、プロレス的萌えツボの心得、プロレス的野生の勘などの総称。


ハッキリ言って、プロレスの裏話をどれだけ知っていたとしても、プロレス頭のあるレスラーの試合は死ぬほど面白いし熱くなれる。別に技や動きが派手である必要はない。

『最も映えるタイミングでのみ、持ち技やお決まりのムーブを出す。』

必要なのはただそれだけなのである。


言い方は悪いが、プロレスとは『プロレス頭の発達した人間の試合』のみを差す言葉だと思う。そしてプロレス技とは、『プロレス頭の発達した人間が使用する技』だと考えている。


レスラーが多くなりすぎたというのもあるが、やはり昔に比べてプロレス頭が足りないレスラーが増えすぎたのだろう。それが技の説得力を無くし、ただ動きが派手で軽くなっただけという結果を招いたのだと思う。


そもそも、総合格闘技がどれだけシェアを広げても、プロレスの奥深さには到底及ばないはずなのだ。にも関わらず、現在はプロレスが追いやられ、総合格闘技がメインのポジションに据えられてしまっている。


プロレスファンであれば現状を憂うのは当然だが、八百長論うんぬんに逃げるのはあまりに下策だ。八百長論をプロレスの衰退の理由として持ち出すことは、プロレス擁護側にとってもアンチプロレス側にとっても、思考停止に陥り易いということを考えておいた方がいい。


『プロレスの裏事情が知れ渡ったから人気が下火になった。』

プロレス関係者ですらこの迷言を口にすることがあるのだが、一番の問題点はそこではない。散々言われつくした感もあるが、WWEの人気を考えれば問題点は試合形式や筋書きのあるなしではないと気づくはずだ。


そう、プロレス衰退の大きな理由は、ただ単につまらなくなったからなのだ。


試合を見ていても心が揺さぶられないというかどいつもこいつも技や動きが似通っていてオリジナリティのかけらもなく過去に存在していた優れたプロレス技術を復権させようともせず無駄に流行の技を乱発するもんだから試合の流れに起伏がなくダラダラと時間だけ過ぎていくような試合があまりに多すぎレスラー側のセンスが足りないがために客の想像力を越えることが出来ず間の取り方が下手すぎて技の繋ぎが必要以上に矢継ぎ早になってしまい試合がつまらないにも関わらず大怪我の確立だけ増えていく…ハァハァ…


さて、前置きが長くなったが、人々がプロレスに熱中していた古きよき時代を理解するのに最適な『ミック博士の昭和プロレス研究室』


このサイトの一番のオススメコンテンツが、今回紹介する『昭和必殺技名鑑』だ。


このコンテンツの力の入りようはハンパではない。リバースじゃないインディアンデスロックの写真なぞ、どこから引っ張って来たんだ!と叫びたくなる代物がゴロゴロ掲載されているのである。


また、『アトミックボムズアウェイ』だの『カーフブランディング』だのといった、今では必殺技としての地位を失ってしまった技はもちろん、『ローリングクレイドル』と『オクラホマヘイライド』と『バナナスプレット』と『ロッキングチェアホールド』の違いの解説や、見たことも聞いたこともない技までこれでもかと写真付きで紹介されているという、凄まじいまでの情報量なのだ。


もしアナタがプロレスファンであるなら、このサイトを即ブックマークに入れ、絶滅種となってしまった昭和必殺技の在りし日の姿に思いをはせつつ、昭和プロレスの奥深さを再認識すべきである。



■参考リンク
ミック博士の昭和プロレス研究室




1990年6月8日 日本武道館 鶴田VS三沢とオレ ※過去ログサルベージ

2004年07月01日
『1990年6月8日 日本武道館 鶴田VS三沢とオレ』



今日取り上げるのは、1990年の6月8日に行われた、ジャンボ鶴田と三沢光晴の一騎打ちである。この1試合のみを取り上げる。

このシングルマッチが組まれた背景は、ズバリ全日本プロレスの経営危機にある。


メガネスーパーという一流企業がバックについた新興団体『sws』の、資金力に物を言わせた引き抜き作戦によって、有力選手のほとんどを引き抜かれてしまった全日本プロレス。


当初は全日を(一応は)円満退社した天龍が一人参加するだけという話だったのだが、日を追うごとに追随者が増えていき、谷津、冬木、カブキ、高野(弟)、北原、石川、寺西、折原などが続々と退団。


そのほとんどが契約的にグレーな退団であったため、さすがに良識派、穏健派で知られたジャイアント馬場も激怒。プロレス誌で恥も外聞もなく「ヤツらは引き抜き工作を仕掛けている!」と怒りのタケをぶちまけるという緊急事態に陥った。


丁度この頃、長年続いた全日本プロレスと新日本プロレスの企業戦争(主に引き抜き合戦)が、猪木が一線を退き坂口が社長に就任したことで終結し、プロレス界は平和な雪解けムードに酔いしれ、今後の夢のカード実現に思いを馳せていた時期だった。


そんな平穏なプロレス界に突如メガネスーパーが参入。露骨な引き抜きを仕掛けたことで、一転して殺伐とした企業戦争モードに逆行してしまったのだ。


選手の入れ替わりや、内部抗争、スキャンダリズムに慣れていた新日ならば、まだプロレスストーリーとして取り込むことも可能だったのだが、swsのマズイところは『聖地全日』を侵略してしまったことにある。言い換えれば、『G馬場』を敵に回してしまったのは失策であった。


猪木ですら、あくまでプロレスストーリーとしてライバル関係をアピールするに止まっていたものを、swsは本気で『プロレス界の絶対不可侵的存在』の馬場に企業戦争を仕掛けてしまったのである。


選手の大量離脱を招いた全日本プロレスは、当初こそ選手不足によるカード編成の難などで危機に陥った。一時期は倒産説も流れたほどだ。


だが、プロレスファンの多くは危機に陥った『全日+馬場』を『完全なる善玉』とみなし、swsを『邪悪な悪玉』とみなした。自然と、全日の会場には『濃いファン』が多数押しかけるようになっていった。


そうしたファンの後押しと、残留した日本人選手の頑張り、外国人選手や海外プロモーター(外国人選手の"輸入代行役")との長年の信頼関係を武器に、全日はなんとか息を吹き返し、この『鶴田vs三沢戦』を迎えるのである。


背景説明が長くなってしまったが、この一線を語るにはこれだけの導入が必要なのだ。これより後は、プロレスファンには耳の痛い内容が多く含まれている。純粋なプロレスファンの方は読まない方がいいかもしれない。




さて、当時の全日本プロレス所属の有名選手といえば、G馬場とジャンボ鶴田の二人だけであった。だが馬場はメインを張るには衰えが激しく、鶴田と並ぶ日本人エースの存在が渇望されていた。本来はそのポジションに天龍がいるべきだったのだが、話したとおり天龍はすでに敵対関係にあるswsに所属してしまっており、残されたレスラーは皆若手か年寄りという有様だった。


その若手レスラーの中に、頭一つ抜けた存在がいた。G馬場をして、「どんな手を使ってもアイツだけは引き抜かれるな!」と言わせた逸材。そう、それが三沢光晴である。


馬場はこの経営危機の状況で、三沢を鶴田と同格に引き上げるという大英断を下した。自分が前線に舞い戻るのではなく、まだまだ荷が勝ちすぎる感が否めなかった三沢を引き上げたことが、その後の全日の奇跡の隆盛を決定付けた。


6月8日日本武道館。満員の会場は、メインイベントである『鶴田vs三沢戦』の終了後、驚きと歓喜で満ち溢れていた。明らかに格下と思われた三沢が、『日本人最強レスラー』と謳われた鶴田を下したのである。


三沢のブレンバスターを切り返し、体を浴びせてフォールにいった鶴田を、さらに切り返しての一瞬の体固め。それが決まり手だった。


加えてフィニッシュの直前、ドロップキックを狙った鶴田は三沢にかわされ、ロープに股間をしこたま打ち付けるという失態を演じている。実はこれも含めて鶴田流の『プロレス演出』だったである。


普通に三沢が鶴田に勝ってしまったら、いくらなんでもうそ臭い。どう考えても、当時の三沢には鶴田に勝つ要因がなかったのだ。断言する。あの当時の三沢では、絶対にまともな形で鶴田には勝てなかった、いや、勝ってはならなかったのだ。


だがここで三沢を勝たせなかったら全日は何も変われず、経営危機のトンネルも抜け出せない。なんとしてもこの一戦は、あくまで納得が行く形で三沢に勝たせる必要があったのだ。


そこで鶴田の自爆である。ドロップキックを空かされ、なんとも無様に股間を押さえてのた打ち回る鶴田。最強の怪物とまで言われた鶴田。気を取り直して三沢に攻めかかるも、ブレンバスターの体勢に捉えられる。なんとかそのブレンバスターを切り替えしフォールの体勢に持っていくも、さらに身体を入れ替えられてフォール負け。なんとも微妙なカウントであり、2.9で鶴田が返していたと言われても仕方の無い状況であった。


だが、判定は鶴田のフォール負け。これはある意味、鶴田の勝ちである。馬場の望みを理解し、自分の立場、三沢との力量差を考え、観客も関係者も皆が納得する形で負けて見せるという難しいミッションを、鶴田は持ち前の『プロレス頭』でクリアしてみせたのである。


この結末を目撃したファンは、一様に新しい流れを感じ取ったはずだ。選手の大量離脱で揺れる全日に、三沢という新たなエースが誕生したと。そして新世代のエースである三沢と、旧世代のエース鶴田の抗争という新たな展開を。


そう、この試合は全日の新たな方向性を示す、起死回生を狙った一戦だったのである。


この後、三沢は『棚ボタだった』『鶴田の自爆がなければ』『一瞬の返し技じゃ勝ったとは言えない』というファンの声を跳ね返すがごとく、高すぎる壁である鶴田に挑み続けた。そして鶴田は三沢を完膚なきまでに叩きのめし続けた。


普段は凶器を一切使わない鶴田だが、対三沢となると狂気を帯びた椅子攻撃などを繰り出したり、必殺技であるバックドロップを”失神している三沢を無理矢理引きずり起こして”連発してみたりと、殺気などという言葉では表現できないような叩き潰し方をしてのけた。


それでも三沢をはじめとする若手は必死で鶴田に喰らい付き、気づくと三沢・川田・小橋・田上は一流外国人レスラーにも引けを取らないほど立派に成長した。


この鶴田を越えるため挑み、毎日のようにボロ雑巾にされた4人は(田上は鶴田のパートナーとしてしごかれた)、後に『全日四天王』と呼ばれるようになる。彼らの身体を犠牲にするかのような激しいファイトは『四天王プロレス』と呼ばれて大人気を呼び、全日本プロレスは経営危機が嘘であったかのような隆盛を誇ることになるのである。


『プロレス初心者はまず全日に連れて行け』


一時期プロレスファンの間で流行ったこの言葉は、鶴田と、三沢をはじめとする四天王の激闘が生み出した産物である。選手全員が危機感を持ち、それぞれの持ち場で必死の頑張りを見せ、それが客に愛され、信用され、不動の全日人気に繋がっていったのである。


鶴田vs三沢戦は、企業のピンチをチャンスとし、新しい流れを産み、逆転勝利を決定付けたプロレス史に残る一戦だったのである。



ちなみに全日をピンチに陥れたswsは、資金力こそ超一流であった。だが、満たされすぎた待遇が逆効果だったのか、旗揚直後から選手のやる気のなさが目立った。選手全員が必死のファイトを見せて連日満員の全日人気とは対照的に、やる気のないファイトを見せる選手の多さに人気が低下。必然的に客の不入りが目立つようになり、遂にはメガネスーパーが赤字を理由にプロレス撤退を表明。すると今度は選手同士の愛憎劇が表面化し、ドロドロの分裂劇を繰り広げた挙句、いくつもの小規模団体に空中分解して果てた。なんとも対照的な結末である。


WWEのようなエンターテイメント重視のストーリープロレスが持てはやされる昨今だが、この『鶴田vs三沢戦』への経緯とその後の展開こそ、どんなストーリーラインにも負けない『プロレスドラマ』なのだと思う。


英断を下した馬場、自らの栄光を捨て、三沢ら若手の踏み台になることを了解して汚れ役を買って出た鶴田、その期待に十分すぎるほど応えた三沢ら若手陣。


この『レスラーが己の人生を賭けて見せるプロレスドラマ・ストーリー』こそ、プロレスが他のスポーツ・格闘技に絶対に負けない『エンターテイメント性』なのだ。




ゲーム業界ちょっといい話※過去ログサルベージ

2003年12月11日

ゲーム業界ちょっといい話


※文中には数多くのデマ、嘘が書かれています。命が惜しいので、そう前置きしつつ始めます。




さて、日本のゲーム史上最大のヒット作品といえば、誰が何と言おうと 「スペースインベーダー」 である。このインベーダーブームがいかに凄まじかったか、もしかしたら今の若者には全く想像がつかないかもしれない。


幼少期のオレにとってインベーダーとは、10円で遊べる暇つぶしにもってこいの存在だった。 しかしこの作品こそが、日本にゲーム文化を根付かせた最大にして、恐らく今後越えられる事のないであろう桁外れのメガヒット作品なのである。


インベーダーが発売された当時はゲームセンターという場がなく、ゲーム筐体といえばデパートの屋上や大きいスーパーの片隅、もしくは駄菓子屋の店先に置いてあるだけの物だった。しかもそれらはTVゲームではなく、パチンコのような盤面で10円玉を弾くといった、かなりアナログな物ばかりだったのである。


それが 「スペースインベーダー」 のヒットで喫茶店などがテーブル筐体を導入するようになり、日本各地に 「インベーダーハウス」 が乱立するという流れが起こる。そしてこの 「インベーダーハウス」 が、そのままTVゲームメインのゲームセンターになって行ったのだ。


今現在一流メーカーと呼ばれている企業が、この 「インベーダーブーム」 の時にインベーダーのコピー基盤を作って銭を稼いでいたとか、今でこそ権利云々を声高に叫んでいる大企業が、業界に参入してきた際の一発目の商品がインベーダーのコピーだったという笑えない事実が…



…あるわけないじゃないか!


何を言ってるんだお前ら!アミューズメントだぜ?健全な娯楽施設だぜ?そんな "ヤクザそのもの" と表現するしかない商売をする企業があるわけないじゃん!



さて、話は変わって 「スペースインベーダー」 といえば 「T社」 であり、「T社」といえば初代社長がユダヤ人という事で話は一気に取り返しがつかないほど生臭くなっていく。


この初代社長のユダヤ人ミハエル・コーガンというのがかなりの傑物で、いわばゲーム業界の伝説の偉人である。現在のT社は、この初代の遺産を食い潰しながら生きているといっても過言ではない。


その方がどれくらい出来る人かというと、「スペースインベーダー」 で社会現象を巻き起こしたという点だけでも素晴らしいのだが、その引き際がまた見事だった。あれほどの莫大な利益を上げた 「インベーダーブーム」 の後に 「これ以上はない」 と判断して勇退してしまったのである。(※注 ここ間違いかもしれない)


とてもじゃないが常人では真似できない凄まじい見切りだ。何が怖いって、実際その読み通りになっているんだから文句のつけようがない。


そもそもT社というのは、この初代社長が貿易業で業績を上げていた会社で、普通のルートで卸すよりはるかに安価で良い物を仕入れてくるという謎のルートを、ユダヤ人ならではn…



はい、という訳でまたも話題を変えよう。


そういえばこのT社とよく似た企業がある。現在色々な意味で大変な事になっているS社がそれ。これは有名な話だが、S社というのは元々アメリカのジュークBOXなどを作っていたメーカーの名前だった。その会社が営業不振になったところを日本企業が買収し、さもアメリカ企業かのようなフリをして再建したのが現在のS社の始まりである。


実はアメリカ人の中にもS社はアメリカ企業だと信じていた人間が多かったらしく、アメリカでのポケモンブームの時に



黄色い猿の作った黄色い電気ネズミなんかゴミだぜ!


アメリカにはハリネズミがいるじゃねえか!



という、歴史に残る迷言を吐いた人間が実在したそうだ。さすがジャイアニズムが具現化した国家、恥ずかしいったらない。残念なことに現在では、S社は日本企業という事で認知されているようだが。


凄い勢いで話がずれたので元に戻すが、この二つの企業のどこが似ているかというと、リストラ候補の社員を自主退社させるための、リストラ社員隔離部屋があっt…



はい、そういう訳で日本のゲーム史にユダヤとアメリカの影があるという、陰謀論好きな方々にとって喜ばしい展開になってきた訳だが、替わりにオレの命の炎が消えかかっている訳であり…。



という訳で、何もなかった事にしてもう少し当りさわりないネタを。


「熱血硬派くにお君」 や 「ダブルドラゴン」 で有名なTJ社(現在好評倒産中) をご存知だろうか?そこの社長が "その筋のとっても暴れん坊さん" だという噂があるのだ。昔コインジャーナルを読んでて、TJ社の社長の顔を見た瞬間に 「そのものやん!」 というツッコミを入れたのはゼッタイ秘密。


間寛平を極道にしたような風貌は、一度見たら忘れられない。



それはともかく、その社長の若い頃の武勇伝を忠実に再現したのが、先にも挙げた 「くにお君」 だという都市伝説があるのだ。あくまで噂なんだが。


しかしこれが事実だとしたら、この社長はかなり凄まじい人生を歩んできた事になる。


駅の構内でのドツキ合いなんて日常茶飯事。ある時は峠をバイクで疾走し、珍走団達と大立ち回りを繰り広げ、またある時は2mを越える大女に襲い掛かられ、走り寄ってくる所にカウンターで飛び蹴りを喰らわす…そんなバイオレンスに満ち溢れた毎日だったのだろう。


さらに時には殴る蹴るは当たり前、隣を走っている人間をメリケンサックや鈍器で殴打するような、町内のノールール運動会に借り出された事もあったはずだ。


そんな荒んだ日々の繰り返しに疲れきった社長は、ある時ふと思った。


「ワシはこのままじゃアカン!もっと人の役に立つ男にならなアカン!そうや、ゲームや!ワシの武勇伝をゲーム化して、日本中の子供達に暴力がいかに無意味な事か教えてやるんや!」


そう思い立った社長は一念発起しT・J社を立ち上げ、「熱血硬派くにお君」 の大ヒットへと繋がって行ったのだ。うん、きっとそうだ。



さて、遂には話がアウトロー方面に進んでしまい、段々と逃げ道が無くなっている事に気付いたオレがいるんだが、最後にライトでポップなこんなお話はいかがだろう?


T社のDOAと略される乳揺れゲーはご存知だろうか?あの巨乳娘達がぷるんぷるんする様を眺めるゲーム。このDOAにも密かにちょっといい噂話があるのだ。


DOAを代表するキャラクターといえば巨乳くの一の"かすみ"だと思うのだが、このキャラクターにはおどろおどろしい出生秘話があるそうだ。


このゲームのデザインを担当したある人物が、当時ある有名なコスプレイヤーを狙っていたそうで、彼女をナンパする時の決め台詞として


「君をモデルにしてみたんだ。これじゃ君の美しさの半分も再現出来てないけど、僕の思いを受け取ってほしい!」


とか何とか言いたいがために描いたのが "例の女忍者" なのだという。(昔からコスプレ業界に精通する人物のタレコミ)


このナンパ自体は見事に失敗したそうなんだが、彼のリビドーに当てられた大きなお友達は、今でも "例の女忍者" でハァハァしているわけで。


方向性がどうであれ、人の気持ちは何らかの形で伝わり、人の歴史に残り続ける物なんだなぁ…と、無駄に綺麗にまとめてみたのだがどうだろう?




という訳で今回のお話は全て作り話でした。


はいはいデマデマ。