インド亜大陸旅行記 -44ページ目

インド20日目 バラナシ→2144Km(列車で40時間)→チェンナイ

『家族サービス』



列車での睡眠は、寝心地が大変悪いので早く目が覚める。
チェンナイに着くのは明日の昼前。今日は一日ダラダラと横になっていたいけど、下段シートは上段の客と共に座らなければいけないのでそうはいかない。

同じコンパートメントには2組6名の家族がいる。
1組目のゴッタム家(サンジェイ♂、父さん&母さん、の3名)は、チェンナイの田舎へ帰るそうだ。
2組目のプーラン親子(プーランさん♀、ネハーン♀&姉ちゃん、の3名)は、学会で論文を発表するためにチェンナイに行くそうだ。
さて、何して過ごそうか?…いや、選択肢はない。

国際交流しなければならないのである。

安らぎはない。
という訳で、朝から俺は日本語を教え、みんなからヒンディー語を教えてもらう。
俺は暗記力が無いので、覚えるのに時間がかかったが、インド人は“語学の天才”と言われるように、どんどん日本語を覚えてしまう。
さらに、「~は日本語で何て言うのだ?」と矢継ぎ早に質問してくるので大変忙しい。
しかも、インド人独特の英語(“ヒングリッシュ”なんて言われたりする)なので聞き取りにくい。
結構、面倒になってきたので、「ハァ?何?…何言ってるかわからんて!」なんて、笑いながら日本語で返事をしていたら、ネハーン(13歳)に「Forget it!(もういい!何でもない!)」なんて言われる始末。
許せ、ネハーン。俺が悪い訳ではない。ヒングリッシュが悪いのだ。

それでも和気藹々と楽しく過ごしていると、今度は「日本語の歌を教えてくれ」とリクエストが。
仕方ないので、その時お気に入りだった「安里屋ユンタ」という沖縄の歌を紹介し、歌った。
歌詞の内容を訳してくれと言われたが、分からなかったので、「ラブソングだ」と答えておいた(本当はどうだか知らないが…)。

今度はこちらが「インドの歌を教えてくれ」と言うと、「特に意味は無いんだけど…」なんて言いながら悪意ある微笑を浮かべ、プラーン親子が歌を教えてくれた。
一緒に歌ったが、変な歌を歌わされてるのではと心配である。

そんな感じでドタバタ交流を続けていると、プーランさんが「日本にすごく興味を持ったので、帰ったらたくさん写真送ってね。」と言ってくれた。少しは日本のために国際貢献ができたようである。
娘のネハーンの方は相変わらずで「お前、眠たいだろ?疲れてるんだから寝ろよ!」と毒づいてくるのだが。
しかし、俺のことを「バイヤー(兄ちゃん、の意)」と呼んでくれてたので許すことにした。

午後からはサンジェイ(14歳)の「How much?」攻撃を受ける。
最初はインドの物価を参照しながら安めの値段を言って驚かせないようにしていたのだが、あまりにもしつこい攻撃だったので、本当の値段に換算して教えてあげるとヘコんでいた。

あんまり値段の話はインド人にしない方がいいかもしれない。

夕食を食べた後、プーランさんの論文を読ませてもらう。
しかし、難しい単語ばかりで読めず。
感想を聞かれたが、何が書いてあるのか分からないので述べられず、思わず泣きそうになってしまった。
日本へ帰ったら、英語の勉強をしなければ…

夜も10時を過ぎた頃、プラーン一家が突然音楽に合わせ、踊り始めた。
“カタック”という、北インドで2500年の歴史を誇る古典舞踊なのだそうだ。

自分だけ寝るわけにもいかないので、マネしながら一緒にカタックを踊った。

それにしても、このプーラン親子…列車内で一番うるさい。みんな寝てるのに、音楽をガンガンにかけ、大声でしゃべる。
…しかし、誰も注意しない。さすが、インドである。