(15)天国のワッカ
80km関門を越えるとすぐ、腰を下ろしているランナーが数多くいます。ここで腰を下ろしたくなる気持ちはわかりますが、気持ちを切らさずに早く走りだしてほしいと祈りつつ通過します。
今までのリズムを守って走ろうと思ったものの、走るときのスピードははっきりと落ちてしまいました。無理もありません。あの走りをあと20kmも続けるなんてとうてい不可能です。10kmでさえ、もう1度やれと言われてもできないかもしれません。でも走るべきところはしっかりと走ります。この苦しみから抜け出すために、少しでも早くゴールしてしまいたいですから。
コースの反対側には、ワッカの出口に向かうランナーが次々とやってきます。8km以上先にある折り返し点を回ってきたランナーたちですから、私よりも16km以上も前を走っているランナーたちです。ここまでくればあと15分あまりでゴールしてしまうでしょう。なんともうらやましい限りです。
そんなランナーたちの中にときどき知っているランナーの姿を見つけます。私がワッカに姿を現すのは5年ぶりです。仲間のランナーはそのことを知っていますから、私の姿を見つけるとみんな一瞬驚きの表情を浮かべます。
「完走おめでとう!」
こちらはまだ80kmを通過したばかりで、まだ20km近くも残っているというのに、気の早い声をかけてくれる人もいます。でも私自身、ここまできたら何が何でも完走してみせると思っていますから、「ありがとう~」と脳天気に答えます。これでリタイアしたりすると格好つきません。簡単に諦めたりできないよう、この期に及んで自分を追い込みます。
7分42秒、7分02秒、7分47秒。走るスピードは落ちましたが、7分台をキープしています。ワッカを7分台で走れれば、ゴール制限時間まではかなりの余裕を作れそうです。
今年は寒いサロマになると思っていました。実際、序盤は雨に濡れながらのレースとなりました。しかし雨が上がってからは寒さもさほど苦になりませんでした。
終盤に差しかかり、ちょっと太陽が覗く時間もあり、そんなときはむしろ暑くさえ感じました。でもいまは15時を過ぎ、気温も下がってきています。風も出ています。だけど全般を通したら走りやすい気候だったと言えるかもしれません。
そういえば、何年か前は今年同様に気温が上がらず完走率も高くなったため、完走メダルが足りなくなり、制限時間ギリギリでゴールしたランナーには後日送られてきたという話を聞きました。もしかすると今年も同様に完走率が高くなり、私のようにギリギリでゴールするランナーはメダルが足りなくなるおそれも十分にあります。でもゴールしてしまえば、メダルはいつでもかまいません。完走メダルが手元に届くのは遅くなっても、自分の心の中にはずっしりと重い完走メダルがかけられるでしょうから。
ワッカは自然の地形にほとんど手を加えない形で道がつけられています。ですから細かなアップダウンがあり、小刻みなカーブも連続し、意外と走りづらいコースです。ここでも私は上りを歩き、平坦なところや下りは走るようにしますが、だんだん平らなところでも歩くようになってきました。8分09秒、8分18秒と、1kmごとの所要時間も少しずつ長くなってきました。
それでも85kmまでの5kmは38分57秒におさまっていました。5kmごとのラップを比較してみると、60~70kmよりも速いペースをまだ維持できていたようです。
85km地点を過ぎて間もなくエイドがあります。ここに立ち寄りました。
このエイドにはスイカがありました。サロマのエイドは30km以降にもスイカが置かれているエイドがいくつかあります。いつもは前半のスイカエイドでスイカを食べるのですが、今日は前半のエイドではあまり滞在時間を多くしたくなかったので、スイカは諦めていました。でも今は、多少足を止めて食べる余裕もあるはずです。迷わずスイカに手を伸ばしました。
このスイカがまた甘くて美味しかった!これでまた生き返ることができました。ゴミ箱にスイカの皮を捨て、コースに戻ります。まもなく通過した86km地点のラップは9分10秒でした。スイカロスは1分程度でしょうか、このくらいではびくともしません。
このワッカはときには天国のワッカとなり、ときには地獄のワッカになると言います。景色は単調です。小刻みなアップダウンもあります。風も強いことが多いです。80kmもの長丁場を越えて疲れ切ったランナーにとって、走っても走っても先が見えてこない最後の苦しみを味わう場所です。
それと同時に、ここまでくればいよいよゴールが現実のものとして見えてきます。50km地点の関門制限時間は、ゴール制限時間のちょうど半分、6時間30分です。ところが60km関門は7時間35分ですから、この間は1時間05分しかありません。70km関門は8時間45分ですからこの間は1時間10分。そして80km関門は10時間ですから、この間は1時間15分と、ここまではけっして楽な関門設定ではありません。でも90km関門は11時間30分、ゴール関門は13時間ですから、ワッカに入れば10kmを1時間30分、つまりキロ9分を維持すればゴールできるということになります。
ワッカに入れば完走の確率がぐーんと高くなり、ゴールがいよいよ現実のものとなる。そんな天国のような気分を味わえる場所でもあります。
体はきつくなってきていますが、順調なラップを刻んで前進している私。こんな私には、ワッカはまさしく天国でした。87km地点も8分02秒というラップで通過します。ここまで10時間50分が経過しています。あとたった2時間で、この苦しみから解放されます。そしてそこは、5年間待ち望んできたゴールです。
88km地点も8分23秒で通過します。キロ9分を切っている限り、90km関門での貯金がどんどん増えているはずです。70kmから無理をした分、ワッカに入ってから足がもつかという不安もありましたが、ここまでは極めて順調です。湖口にかかる橋が見えてきます。これを渡った先には折り返し点があります。いよいよワッカも半分過ぎました。いま来た道を戻れば、その先にはいよいよゴールが待ち受けています。そろそろどんな顔をしてゴールをするか、それを考えなければなりません。
折り返して再び橋を渡り、エイドに立ち寄りました。ここにはレモンがあり、それを一切れ口の中に放り込みました。酸っぱさが口の中に広がります。そしてそれが体を覚醒させてくれます。さらにりんごジュースを飲んで先を急ぎました。
ここまではゴールからどんどん遠ざかってきました。でもこれからはゴールに近づく一方です。いよいよ最後のクライマックスが近づいてきました。
89km地点を9分12秒で通過します。エイドのロスもありますから、走行ペース自体は変わりないでしょう。
往路を行くランナーはまだまだ続いています。その中にはN社長の姿もありました。完走請負人のChamaさんの姿もありましたし、Iさんやなべちゃんもしっかりと残っています。そんな仲間たちとエールを交換しながら進みます。
そして90km関門に到達しました。時間は11時間17分23秒でした。関門制限時間まで12分37秒もあります。こんなに残してここに到達したのは初めてです。これまで2回の完走はいずれも12時間50分台です。でもこの分ならば自己ベストは確実でしょう。6月は利尻、びえいと自己ベストを出しました。このままいくと、52歳にして3連続自己ベストという快挙です。
ゴール制限時間まで1時間42分37秒。この先キロ10分で歩いたとしても時間内にゴールできる余裕があります。
こういう計算は、今年は絶対にしないつもりでした。だから次の関門までの所要時間は意識しないようにここまで走ってきました。
ところが私はこんな場面でタブーを犯してしまったのです。(つづく)