(16)地獄のワッカ
90km関門を越えたとたん、いや、キロ10分でもゴールできると計算してしまったとたん、疲れが全身にのしかかりました。
「しまった!やっちまった!」
そう思ったときには手遅れです。危惧していた通り、70kmからの無理がたたり、体には相当な疲労があります。でもそれは、ここで気を緩めたら完走できないという危機感で封じ込めてきました。
ところがここでキロ10分でも完走できると思ったとたん、気が緩んでしまいました。そうしたら、いままで封じ込められていた疲労感が一気に飛び出してきたのです。
地獄のワッカのスタートです。
これまでは歩いているうちに疲労が軽減されて走り出すことができたのに、歩いても歩いても疲労が軽減されなくなってきました。
仕方がない。90kmから91kmは休憩しよう。この間はすべて歩き、91kmからまた元のペースに戻していこう。そう思いました。
91km地点は9分38秒で通過します。疲労につぶされそうな状態ですが、それでも9分台のウォーキングをできていることに安堵しました。この歩きは最後の最後で武器となってくれます。
でもそうして歩いているうちに、N社長に、そして10回目のゴールに飛び込もうとしているNさんにと抜かれていきます。なんとか追いかけたいと思っても、追いかける足までは残っていません。
それでもヨタヨタと走りを交えながらゴールを目指します。
92kmの手前には、往路でスイカを食べたエイドがあります。私はまたスイカをいただきました。今回は序盤から胃の調子が今ひとつでしたが、特に後半いただいたミニトマト、雑煮、オレンジ、スイカ、レモンなどは、弱った胃でもしっかり受け入れることができ、本当に助かりました。スイカで生き返った私は、またコースに戻ります。
残るはワッカを出てからのエイドだなぁ・・・あのエイドには、まだオレンジが残っているかなぁ・・・そんなことを考えながら走っていました。
92km地点は10分20秒かかりました。でもスイカロスがあるからやむを得ません。この先はペースを戻して、一刻も早くゴールに飛び込み、早く楽になりましょう。そんな思いが表れたのか、93kmラップは8分47秒に上がりました。しかし足はますます動かなくなり、これ以降9分を切ることはできなくなりました。
1kmごとのラップが遅くなってきていることもあり、1kmという距離がだんだん長く感じるようになってきました。そろそろ1km走ったかと思い前方を見ても、なかなか距離表示が見えてきません。そうすると足もますます重くなります。なんだかどんどん悪循環の流れにはまっているように思えます。
だんだん走る時間も短くなっています。それどころか、歩くスピードも遅くなっているように思えます。キロ9分台の歩きができていれば、このまま歩き通しても完走できます。でも歩くことすら難しいほど消耗してしまったら、この程度の貯金はあっという間に吐き出してしまうでしょう。それこそ地獄です。ゴールまで6kmあまりと迫りながらリタイアなどという悲劇は演じたくありません。
94kmラップは9分12秒です。大丈夫、まだ10分を切っています。ゴールは近づいています。
95kmの手前で12時間を過ぎました。残り5kmあまりを1時間で。大丈夫だろうと思いましたが、何分で走ればいいかという計算はもうしません。全力でゴールを目指すという姿勢で走るのみです。
しかしそんな気持ちに体はなかなか反応できなくなってきています。95km地点を通過しましたが、9分55秒もかかっていました。かろうじて10分を切るのがやっとという状態です。
あと5km。たったの5km。普段は5kmを走るなんて簡単なことです。でも95kmを走り終えてからの5kmは、とてつもなく困難に思える距離です。
でも、5kmをこんなに長く感じられるのも5年ぶりのことです。この苦しみは、95kmという距離を、12時間という時間を越えてきたからこそ味わえる困難です。地獄のワッカを味わえるのも、こうしてこの地にやってこれたからこそです。
本当の地獄はワッカではありません。ワッカで戦うこともできずに終戦を迎えてしまうことこそが地獄でした。何年もそんな地獄を味わってきた私には、こんな地獄のワッカもやはり天国に思えてしまいます。そんなことを考えながら、必死で足を前に運びます。
あと4km地点を9分20秒で通過しました。ラップが10分を切っているのを見るとホッとします。残り4km。ワッカの出口も近づいてきました。痛む足を懸命に前に出そうとします。
でも体の方はそろそろ限界が近づいてきました。走っても歩くスピードとさほど変わらないように思えます。そして歩くこと自体も苦しくなってきました。ついには足を前に出すこともつらくなり、両膝に手を当てて立ち止まって休む場面まで出てきました。
でも休んでいたらゴールは近づきません。逆に遠のいてしまうかもしれません。そこからまた必死で足を出します。
歩いたり走ったり、ときには休んだりしながら、あと3km地点を通過しました。この間のラップも9分50秒と、かろうじて10分を切っています。その数字を確認してホッと一安心です。苦しみながらも足を前に運んでいる限り、刻一刻とそのときは近づいてきます。
いよいよワッカも終わりが近づいてきました。80km関門があった場所は、すでに撤収されています。70kmから必死の思いで走ってやっとの思いで通過してからまもなく3時間になろうとしています。あれからそんなに時間が経ったというのが現実のこととは思えません。ワッカの1km、1kmは、走っているととても長く感じるのですが、振り返ってみるとそんなに長い時間に思えないというのはどうしてなのでしょう。
最後の急坂を、慎重に下りていきます。弱り切った足に変な力が加わるとすぐに故障をしてしまいそうです。こんなところで劇的なドラマはいりません。あとは静かなゴールを望むのみです。(つづく)