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3月の終わり

そろそろ3月が終わりに近づいています。
前にいましたが、今月は大きな意味で、転機になるということです。

それにたぬきのことも書きましたが、あれ以来、姿を見ません。そしておそらくこれからも姿を出さないでしょう。なぜかというと、家の前に家が建つので、造成されているからです。今まで藪だったところが更地になり、木がきられているので、わずかだったけどあった、たぬきの居場所がなくなったからです。

おそらくこれはものすごく大きな転機のような気がします。まだ少しうちの庭が手を入れていない小さな藪のようになっていて、裏の家が輪をかけてそんな風です。裏の家の方がどんどん昔の風景がなくなっていく、と嘆いていました。

木が倒れる音が響く中で、自分はこれからもっと土を身近に、地べたに近く意識を持って生活したいと、思ってしまいました。

ゆうどさんでの企画展

今日から東京目白のギャラリーゆうどさんでの企画展が始まります。
昨年に続いて2回目。今年も多くのお客様に見ていただけたらと思っております。よろしければ足をお運びください。
http://blog.yu-do.noor.jp/

ゆうどさんとの出会いは一昨年秋の催事で声を掛けていただいたのが最初でした。それからのご縁で時々うかがってはいろいろな方の作品を見せていただいたり、お話を伺ったりしています。
ゆうどさんでは単に作品を見ていただくというより、根底に、文化の復権というか人間本来の感性の再認識、アジアのなかの日本としてのアイデンティティーを再構築するような流れみたいなことがあって、それにまつわるいろいろな企画をされています。伺うたびに、刺激されたり触発されたりするようなことがあり、面白い空間です。
古民家を少し改築していて、お水は井戸の湧き水。それでいて新宿区。東京ど真ん中。

ぜひお越しください。ちなみに私は土曜日日曜日在展予定です。

親の背中

春の海で一緒にカヤックをこいでいた友人は茅ヶ崎で個人で数年前から幼稚園をやっている。(規模が小さいので正式には幼稚園ではない。)手づくりで、小さい、だから目が行き届く子供のための幼稚園。うつわだけでなく、子供たちのために、というストレートな意気込みにいつも感心させられている。

今回茅ヶ崎に行った理由は、長男の茅ヶ崎時代の幼稚園の同窓会。友人の長女も同じところに通っていた。
その子は、親が少しづつ準備をして幼稚園を作り上げていったところ見て育っている。当然子供が好きだ。うちの一番下の女の子(まだ4ヶ月)をかわいがってくれた。妻が「将来何になりたい?」と聞くと「幼稚園を作りたい」と言っていたそうだ。

幼稚園の先生になりたい、と言う話をする子はいる。けれど幼稚園を作りたい、というのは自分が子供たちのために、と言う主観がなければ思いつくものではないし、親の苦労を見ていれば、簡単に言えるものではないと思う。きっとお父さんとお母さんの背中をじっと、目を凝らして見ていたに違いない。

自分の子にも、もっと背中を見せなければ。


その前に見せる背中をもっと、もっと磨かなければ。

春の海

春の海に行ってきました。
場所は茅ヶ崎。前に10年近くすんでいたところ。

ひねもすのたりのたりかな、という有名な句の通り、春の陽気の中でのったりとした海でした。そこでのんびりとしながら、カヤックをこぎました。

久しぶりだったので、海の上にいるのが気持ちよかった。暖かかったからかもしれない。一緒に海に出ていた友人はウッドのお手製タンデム艇。私のこいでいるオープンデッキのシットオンタイプに比べてさすがに早い。あっという間に離される。彼らは烏帽子岩まで行ってしまったらしい。

この季節海はまだきれいで、春の陽射しで底がきれいに見れた。

帰りがけに4歳の息子が、友人の船にも乗りたかったと言っていた。4歳でも大人でも、海の上の気持ちよさは同じ。そんな感じの春の海でした。

転機

この3月は大きな転機である、と先日のフラワーエッセンスの会でも話しが出ていた。
うちでは長男長女がそれぞれ小学校、幼稚園から卒業ということで、それだけでも転機である。

そして自分は医者から糖尿病の可能性があるといわれた。

発端は今年になってから何度か熱を出していることである。今までになかったことなので検査をしてもらうと、言われたのである。「単純に太っている、運動不足でだんだんなっていくパターンと、感染症や風邪が引き金になっていきなりなるパターンがある。後者の可能性が高い。」

検査結果が出るまでの数日ものすごいブルーになりネガティブな想像が頭を駆け巡ってしまった。

結果そうではなかったのでものすごくほっとした。でもそんなリスクがあること、健康にはもっと気を配らなければならないことを再認識することができたという意味では、いい機会であった。

これが転機か。
もしかすると、ここでこんな風に思わなかったら本当にそうなっている可能性だってあったかもしれない。
これが転機か。もう一度思って、かみしめる。大きな転機だった。

今までの戒めをこめて、坊主にした。            だからなんだ。