陸上自衛隊大宮駐屯地の第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)で 同隊の活動
を紹介する際に、「大東亜戦争」という言葉を使い投稿していた。 |
第32普通科連隊は4月5日 硫黄島(東京都)で日米合同で開催された「戦没者
の追悼式」に参加したことを「✕」の公式アカウントで紹介し 「大東亜戦争最大
の激戦地硫黄島」や、「祖国のために尊い命を捧げた日米双方の英霊のご冥福を
お祈りします」などと投稿した。
|
第32普通科連隊が「大東亜戦争」という用語を使用した理由について、木原 防
衛相は「硫黄島が激戦の地であった状況を表現するため、当時の呼称を用いて、
その他の意図は何らなかった」と説明した。 |
「大東亜戦争」は 1941(昭和16)年12月の日米開戦直後に、当時の東條
英機内閣が閣議決定した呼称である。戦後 「連合国軍総司令部(GHQ)」より
使用が禁じられて、「太平洋戦争」という米酷側の呼称が日本に広まった。
ただ、日本の1952(昭和27)年の再独立後は、19145年までの戦争に
ついてどう呼ぶか正式な政府決定はなくて、林芳正官房長官は「いかなる用語を
使用するかは文脈にもより、一概に答えられない」とした。 |
|
日本は1940(昭和15)年に、欧米からアジアを解放して 「大東亜共栄圏の
確立を図る」との外交方針を掲げ、1941(昭和16)年12月の開戦直後に、
「大東亜戦争」と呼ぶことを東條内閣が閣議決定した。戦後、「占領軍(連合国
軍総司令部;GHQ)」の命令で「大東亜戦争」の呼称は禁止された。 |
|
先の大戦「大東亜戦争(太平洋戦争)」の終戦から既に79年が経過した今でも、
朝日新聞は「大東亜戦争」を言葉狩りの対象にしている。自由な表現の封じ込め
であり、恥ずべき振る舞いといえるだろう。 |
陸上自衛隊第32普通科連隊が4月5日投稿した「公式X(旧ツイッター)」に、
「大東亜戦争」の表現があった。 |
朝日新聞は4月8日に、この投稿をめぐり 「政府は太平洋戦争を指す言葉として、
この呼称を公式文書では用いていない」,「戦後、占領軍の命令で『大東亜戦争』
の呼称は禁止された」と報じた。第32普通科連隊では 「誤解を招いた」として、
投稿から「大東亜戦争」を削除した。自由の国;日本で、言葉狩りによって表現の
変更が強いられてしまったのは極めて残念である。 |
4月5日の連隊の投稿は、隊員が「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において、開催
された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式」に参加した報告であった。「激戦の
実相を示そう」と、当時の呼称を用いたという。これには何の問題もないし、戦争
自体の賛美でもない。 |
ところが、朝日新聞が「占領軍の禁止命令への言及」で記事を終えたのは 「悪質」
であろう。「大東亜戦争」とは、朝日新聞が記事でも指摘したように、開戦直後の
1941(昭和16)年12月に閣議決定された日本側の呼称である。 |
その使用は、現在 禁じられていないし、政府は 太平洋戦争のみを使うという決定
もしていない。「連合国軍総司令部(GHQ)」は1945(昭和20)年12月
15日の覚書で「大東亜戦争」の使用を禁じたが、この不当な命令は「サンフラン
シスコ平和条約に伴う日本の主権回復で失効した」のである。朝日新聞の記事は、
「占領軍の命令が今も有効である」との誤った印象を与えかねない。 |
「戦時中の日本人は、大東亜戦争を戦っていた」のである。他の呼称の戦争を 戦っ
ていると思っていた者はいないのだ。今、太平洋戦争の使用例が多いからといって、
大東亜戦争の使用を問題視するのはあまりに狭量で自虐的だといえよう。 |
政府は「一般に公文書で使用していない」とするが、公式✕(旧ツイッター)から
削除する理由にはならない。防衛庁防衛研修所戦史部著の戦史叢書(「大東亜戦争
開戦経緯」など)で普通に用いている。国権の最高機関の国会でも、閣僚や与野党
議員が問題なく使ってきた。 |
|
我が国の戦争目的の大義は「大東亜の解放」であったし、戦場は中国大陸などにも
及んだから、それで「大東亜戦争」と呼ばれたのであり、それを「太平洋戦争」と
言うようになったのは、戦後に 駐留軍(占領軍)として、敗戦後の日本に君臨した
米国及び占領軍の「連合国軍総司令部(GHQ)」によるものである。
|
戦前及び戦中の日本の社会制度や国柄の否定だけでなく、検閲の結果によって言葉
を奪われてたことで、私たち日本人は、自分たちの歴史観も失ってしまったのだ。 |
米国に媚びた日本は、同様に中華人民共和国(中共)にも媚びたのだ。「日中国交
回復」以前は、日本人の多くはマスコミも含めて「中共」という言い方をしていた。
しかし、今はどうだろうか。マスコミは全て「中国」で統一されてしまったのでは
ないか。もっとも、小生は敢えて「中共」と綴っている。敢えて「支那」と呼んで
も構わないとは思うが…。 |
不甲斐ない日本人が、危機に対処できるわけがなかろう。言葉を大事にしない国民
が国の文化を語る資格はない。そうした悲惨な現状を直視することから、私たちは
出発して、日本を取り戻さなくてはならないのであると思う。 |