情報の取捨選択が大事です | セラピールームPearl(パール)/レイキスクール・福岡

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セラピールームパール/セラピストやすよのブログです。
12年ほど神社で巫女をしていました。
そのときに宇宙人に出会い、世界観が大きく変わりました。
自分軸を強くし、自由になりたい人のためのブログです。
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こんにちは、レイキセラピストやすよです^^

 

近年、スピリチュアルに関する情報が爆発的に増えていますね。

以前起こった“オウム事件”以来タブー視されてきたカルトを含む“目に見えない世界”へ対する人々の不信感や嫌悪感が時を経ることによって薄らいできたのだと思います。

 

実は「多くの人が“目に見えない何か、人智を越えた何か”があることを信じている、実感している」という調査結果があります。

ただ多くの人が、それを感じていても、以前まではそれを口にしにくい社会環境であったことと、目に見えない概念的なものを言葉で表現しようとしても真意が伝わりにくかったこと、またそのようなものを表現するための言葉(単語)がなかったかまたは常用されていなかったことなど、様々な理由であまり表面には出てきてなかったのだと思います。

 

そして近年、堰を切ったようにスピリチュアル(この“スピリチュアル”という言葉が使われだしたのも割と最近です笑)に関する情報が出てきています。

どうしても社会的“ブーム”である以上仕方のないことですが、消費者にとっては安易に情報が手に入りやすい反面、間違った情報(=本当の意味で人にとって有益ではない情報)、間違いではないけれど本質からはずいぶんかけ離れたような説明の足りていないような情報、などもしばしば目にします。

 

スピリチュアルというのは人間の五感で実態が捉えられないだけに、正しいかどうかの判別もしにくく、正しいと思われるものでも人間にとってやりすぎてはマイナスに働く場合もあるといような、少しわかりにくいものであったりもします。

また、信じる信じないといった個人の価値観があると同時に、信じる人でも理解度に差があったり、人によってスピリチュアルの中でも信じられるカテゴリーが細分化していたりと、これもまた複雑です。

 

そういった状況が相まってか、近年言われている“スピリチュアル”は若干のカオスですね(笑)

そもそもスピリチュアルというものを大勢の人に向けて語ることは不可能なのではないかと私は思います。(これが宗教なら可能だと思います。がそれについては長くなるのでまたの機会に^^)

 

といいつつ、それでも誰かが何かを言うことは必要だと思うので、こうして私もブログを書いているわけです(笑)

また、私もスピリチュアルに関する本やインターネットでの情報を読みます。

(もちろん中にはなんのこっちゃな情報もありますが笑、)そうした中で、自分とは違う視点や経験を持つ人たちの語るスピリチュアルは学びになりますし、自分と同じような感覚でスピリチュアルと関わっている人たちの存在は励みにもなります。

やはりそうやって情報を発信(シェア)してくれる人たちの存在はありがたいなと思います。

 

何が言いたいのかというと、これだけ情報インフラが発達している現代において、情報の発信元を完全に整備することは難しいと思います。

つまり、情報を受ける側、私たち個人ひとりひとりの情報の取捨選択が必要だということです。

自分にとって必要な情報か否か、情報を発信している人の心の奥底や背景には何があるのか、といった自分や人や社会に対する洞察力や審美眼といったものがますます必要になってきた時代ではないかと思います^^

 

そのためには知恵をつけること自分自身をクリアにしておくこと、もっというと自分自身の内面としっかりつながることが大切だと思うのですが、この考え方もまた“カオスであるスピリチュアル”のひとつですね(笑)

ただ、「自分の内面の浄化なくしてスピリチュアルにおける成功はなし」というのはスピリチュアルをする上で覚えておいて損はないと思いますよ(^∇^)