スピリチュアルをどう捉えるか | セラピールームPearl(パール)/レイキスクール・福岡

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セラピールームパール/セラピストやすよのブログです。
12年ほど神社で巫女をしていました。
そのときに宇宙人に出会い、世界観が大きく変わりました。
自分軸を強くし、自由になりたい人のためのブログです。
セッションは全国Zoom対応しています。

こんにちは、レイキセラピストやすよです^^

 

世の中には「スピリチュアル」と聞いて、「なんだかキラキラしていて神秘的でよいもの」「好ましいもの」「人間の高次の精神活動」と思う人たちがいる半面、「あやしい」「胡散臭い」「エビデンス(科学的根拠)のないもの」「頭の緩い人たちがすること」だと思う人たちもいます。

 

どちらがスピリチュアルに対する正しい見方かということ考えることは実はあまり意味のないことで、どちらの意見も「スピリチュアル」というものの側面を捉えたものだと思います。

つまり、スピリチュアルの本当の意味というものは、それを観測する私たちひとりひとりの中にあるものであって、「スピリチュアル」という事象そのものにはないということです。

この考え方は仏教などでいう「空」の思想にも通じます。

では、本来は何もないものなので、何もしなくていい(もしくは何をしてもいい)というかというと、それもまた違います。(なぜ違うのかはちょっと考えてみてください^^)

 

という前置きをした上で、私自身のスピリチュアルにおける立ち位置は前者です。

つまりスピリチュアルは「良」です。

ただ、これはあくまで私の人生における「良」であり、すべての人にとって「良」かと聞かれれば、それは「?」です。

このあたりが現代のスピリチュアル市場においては見落とされがちです。

 

何が言いたいのかというと、「スピリチュアル」と呼ばれ、情報が出ているものの中には上記のような背景が割愛されているケースが多くある、ということです。

つまり成功法則や開運法と呼ばれるものは情報を発信した本人にとって“成功”したものでも、そのやり方を他の人が真似をして成功する場合もあれば失敗する場合もある、ということです。

 

なぜなら物事の本質は「やり方」や「技術」の中にはないからです。

しかし、あまり目に見えない(人の五感で捉えられない)ことや抽象論的なことをいうと、理解できる人の数が一気に少なくなったり、何が言いたいのかがわかりにくくなったりするため、あえて「人間の五感で捉えられてなるべくわかりやすく」してあったりします。

そしてその結果、本来は一番重要な部分である「本質」が抜け落ちます。

そしてそれを形だけ実行した人は失敗…というサイクルです。

実際、成功法則を含む“スピリチュアル”を実践して失敗する人って少なくないですよね。

(もちろん、ちょっとした“仕事や人間関係のコツ”などの内容であれば失敗はないと思いますが、100%スピリチュアルを根拠としたような成功法則の場合は注意が必要です。)

 

そこで、その“情報の背景”を埋める作業をするために、ひとりひとりの(潜在意識を含む)内面世界の情報というのが必要になってくるわけですが、そこをどう埋めるかは人によって(過去世を含む)経験や価値観などの内面のバックグラウンドが違うため、一様に定義することはできません。

 

これはあくまで私の(今世における)経験ですが、私の場合は「レイキ」というものを使いました。

(もちろんやったことはレイキだけではありませんが笑)

様々な使い方ができるものですが、この場合でいえば「セルフメンテナンス」ですね。

レイキとは気功の一種のようなものですが、様々な人が安全に無理なく使えて、(きちんと使えば)効果も高いため、私としてはやって良かったなと思うのですが、やはりこれにも向き不向きはあるようです。

 

というわけで、結局何が必要かというと、前回のブログでいったような「情報の取捨選択の知恵」がひとりひとりに求められるのかなと思います。

基本的な考え方としては、今までこのブログでも何度も言っていますが、良識ある普通の人から見て好ましいとか正しいと思われることは、スピリチュアル的に見ても「正しい」ことだとみていいと思います。

 

また、スピリチュアルの情報を咀嚼するときは、「書いてあることを咀嚼する」というよりは「書いている人が何を言いたいのかを理解する」という方法のほうが早いと思います。

やはり文字(言葉)での伝達には限りがありますので、「相手の言いたいことを察知する」ことに重点を置いて本などを読んでいくと理解も早いと思います。

 

ちなみに、本でもインターネットの情報でも“単なる情報”だと思って読むと、“単なる情報”以上の理解は得られません(笑)

これは最初にお話しした観測する側の問題にもなりますが、まぁ自然の摂理ですね(笑)

 

スピリチュアルの情報を埋めるためにスピリチュアルを学び、また新たに学んだことについて見えない部分がり、わからないことが増えていく…というと、一見パラドックスのようであり、不毛なことにも思えるかもしれません。

が、大丈夫です、そのうち自分にとっての“答え”は出ますから^^

そして意外とこのプロセスが人の意識を向上させるものであったりもします。

 

でもまぁこれも「スピリチュアル」に対する一つのものの見方ですね(笑)

よってあくまでも私の個人的思想です(笑)

もちろん絶対的に正しいとは思っていませんし、人それぞれ考え方は違っていと思います。

ぜひ自分なりに納得のいくスピリチュアルの“落としどころ”を見つけてください(^∇^)