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そして…天心

ここに六角堂があって、岡倉天心が…

という説明を五浦で聞いたのは、二十歳前。

たぶん、このとき初めて岡倉天心の名前を耳にし、
その後はたぶん、受けた大学の講義の中にチラリと登場したんだと思うが…
「近代日本美術界の土台をつくるのに貢献した人」
程度のうっすらとした記憶しか残らなかった。

ところが、ここ数年、あれ? ここにもあそこにも…と、
何かとその名前を目にする機会が重なる。
どんな絵描く人だっけなぁ…などと思ったのは、
私の記憶がいい加減で、黒田清輝とかと混同していたから(天心は画家ではないφ(.. ) )。

2年ほど前に芸大の美術館に行った際に、何かの資料を読んで
あぁ、ここの校長先生だったんだ…と、気に留める。

先日、山種の「日本美術院の画家たち」展を観て、
あぁ、日本美術院立ち上げたのもこの人だったんだ…と、思う。

ボストン美術館の中国・日本部の顧問だったことを知り、
お茶についての本を探して出てきたのは、
「茶の本」 岡倉天心

amazonのカートに入れてはみたが、
岡倉天心自身について、あいまいなことしか知らないことがひっかかり,
先に大岡信の「岡倉天心」を購入。

大きくいろんなものが動いた明治という時代だったからこそ
若くしてその才能を発揮し、活躍できたのだと思うが、
文科省の役人から、東京美術学校の校長になり、
男爵夫人との恋愛問題で校長職を追われ、
日本美術院を立ち上げ、その後ボストンと日本を行き来し、
さらには、インドの女流詩人に恋をする…。
学生からは慕われ、非常に講義・講演がうまかったという…。
カリスマ性を持った、恋愛体質の美術史家(芸術家)…
興味深い。誰か小説にしてください(b^-゜)。

東京美術学校(現芸大)設立の際,
天心は日本画を美術教育の主軸にしようという考えだったようで、
洋画科の一部の教授陣と対立関係にあったらしい。
校長職を追われる原因となったスキャンダルを問題視したのは、
洋画科派だったようだ。

もし、ここで天心が校長職を長く続けていたら、
日本の美術教育の現場は違ったものになっていたかもしれない。

日本画と洋画では何が違うのか。
これは、いろんな考え方があると思うが、
洋画で育ち、今、日本画を勉強中の私的には、
モノの観方において、日本画の方が抽象性が高いと思う。
洋画の方が即物的な要素が強いと、言い換えてもいい。

もちろん、洋画のジャンルにも抽象画はあるのだが,それはごく近代に出てきたもので
元々日本画は、昔から形や色や質感そのものを写すだけはなく、
具象と
抽象をハイブリッドしながら発展してきたっていうか…そんな感じ(;^ω^A

ここらで話を戻して(-_\)(/_-)、

天心像がある程度できたので、

ようやく「茶の本」を開いた。
………(-""-;)……読みにくい…
何だかアジ演説を聞いているようで、数ページで読む気がしなくなり、
読みにくさの原因が翻訳にあるのかもしれないと岩波版の「茶の本」を買い直すことに。
今度は読めそうである。
感想はまた、改めて。





ギッターさんに☆5つ

「帰ってきた江戸絵画」のプロ部門(勝手に分類(^_^;))では、
伊藤若冲の作品が秀逸。

水墨の軸が何点も展示してあり、
「これ以外にはあり得ない」と思わせる構図と筆の勢いは
いささか決まり過ぎだが、そのジャストミートぶりには息をのまずにはいられない\(゜□゜)/。
白隠さんのほんわかしたゆるい布袋図とは対極をなしている。

私的には、構図と筆遣いにおける はずしのないシャープさに
若冲と北斎に相通ずるものを感じている。
西と東で距離は離れていたけれど、同じ時代に生きた絵描き。
お互いの作品を観る機会はあったのだろうか。

この時期の寺や城の障壁や天井に描かれた絵は、狩野派や琳派の作品であり、
絵画界で揺るぎない基盤をつくっていた狩野派に師事したことのある若冲も
その作品をこれらの空間に残す機会を与えられた。

一方北斎は、晩年肉筆画を多く残しているが、
天井画としては小布施の岩松院のみ(たぶん(^_^;))。
70過ぎて小布施まで天井画を描きに行くのは、並大抵のことではないと思うが、
与えられたチャンスをどうしても生かしたかったのではないだろうか。

勝手な推測だが、
当時の浮世絵は大衆を対象にした今でいうイラストレーションのようなジャンルであり、
人気を博した北斎といえども、
狩野派・琳派のアーティスト枠のものであった寺社や城に障壁・天井に絵を描く仕事は
なかなかまわしてはもらえなかったのかもしれない。


若冲以外には、円山応挙の内弟子だったという源琦や、
そのほか山本梅逸、
神坂雪佳の作品が記憶に残った。
いずれも初めて目にする作家、いい絵だった。

会場を一通り観終わった後,
気に入った作品のところに戻り、閉館ギリギリまでしっかり印象を焼き付けて、
満ち足りた気持ちで会場を後にした。
ギッターさんありがとう♪(*^ ・^)ノ⌒☆。

ボウズがジョウズにビョウブにボウズの絵を…

「帰ってきた江戸絵画」
ニューオーリンズ ギッター・コレクション展(千葉市美術館)を観た。

40年ほど前に米軍の医師として日本に滞在したギッター氏が
蒐集したコレクションの数々。
はっきりと「日本美術」に焦点を絞り、かなり大きな屏風なども数点含まれ,
非常に優れた作品ばかり。
これらが個人のコレクションであることにびっくり(ノ゚ο゚)ノ。

いわゆるプロの作家の作品は、また別に書きたいので、
今回は,もう一つの目玉である禅僧の作品について。

お茶の特に一番大事なのは床にかけてある掛け軸の書(と本に書いてあった(^_^;))なのだが、
掛け軸の書は、その茶事や茶会の際のテーマであり、
特に禅僧が書いた禅語の書(墨跡)が良いとされているらしい。

ギッター氏のコレクションには、かなりの数の禅僧の書や絵(禅画)が含まれていた。
いわゆるプロの描いた(書いた)ものではないが、
技巧よりも心や精神が表に出ている非常に味のある作品である。
特に絵は、もしかすると遊びのつもりだったのではないかと思われるような
ユーモラスなものが多かった。

特に記憶に残ったのは、
昨年の国立博物館特別展「細川家の至宝」で初めて観た白隠禅師の「布袋図」と
中原南天棒の「托鉢行列図」。

白隠禅師は、布袋さんが好きだったようで、いくつも絵が残っており、
お腹の出た人のいい田舎のおやじさん風で、どれを観ても思わず微笑まずにはいられない。
書もまた、なんとも温かい。
確か、白隠さんというのは、茶の道が拡がることに大きな貢献をし、独特の呼吸法なども編み出したようで、興味深い人物である。
中原南天棒の絵は、初めてだったが、托鉢に出るお坊さんたちと帰ってきたお坊さんたちが
二幅対の軸になっていて,シンプルな無駄のない線と遠近感、
思わず「うまいなぁ」(注.「上手い」ではない)と、頬がゆるんでしまう(^~^)。

それにしても、驚くべきはギッター氏の審美眼。
禅僧の作品とある意味正反対の、いわゆるプロの絵師の作品もすごい。
2005年にアメリカ南部を襲ったハリケーンカトリーナで、危うく消失しそうになったらしいが、
奇跡的に助かり、そして、これらを観る機会が持てたこと
感謝である☆-( ^-゚)v。