yuyamatsukaze ha kome no uchi -6ページ目

トーハク詣

まだまだ仕事の忙しさは続くものの
一昨日最後の山を越えたので、
次の波が来るまの息継ぎのつもりで金曜午後半休して、東京国立博物館へ。

今まで特別展を観るために訪れていたので、いつも本館は素通り。
きちんと本館の展示品を観るのは初めてかもしれない。
今月は国宝級の特別展示が目玉のようだ。

まずは、ミュージアムシアターの予約をし,
上映が始まるまでに2階展示室へ。
書画、茶道具を眺め、
最初に観た特別展示は
   雪舟の秋冬山水図(国宝)

大きな作品が多かったので、意外に小さいかなと感じたが、まさに正統派、まさに王道。

何しろ広いので、すべての作品の前で足を止めるわけにはいかない。
書の作品は、さっと眺めてスルーして、
目当ての作品を探す。
あった
   尾形光琳の風神雷神図屏風(重文)
あまりにも有名なこの作品は、二曲一双の金屏風の左側に雷神、右側に風神。
眼を近づけてまじまじと観ると、
風神雷神の身体は意外に太い線で描かれ、線の太さの使い分けが面白い。

次は
   狩野永徳 檜図屏風(国宝)
後で観たミュージアムシアターの「江戸城 —本丸御殿と天守—」で、
江戸城の大広間が再現された映像が出てきたが、
襖や軸など、狩野派系の作品がこれでもかというくらい並べられていた。

絵の他に心に留まったのが、
茶道具と着物

触れることができないのが残念だが、
いわゆる「名物」と呼ばれる名品が展示されている。

着物は、江戸期の豪華な染めや刺繍に見とれ,
結構絞りが多用されていたことが発見だった。

正統派フルコースをしっかりいただき、
お腹いっぱいになったような気持ちで博物館を出る。
また来よう☆-( ^-゚)v。
 

何から出ずに どこに入らないのか

    「出ず入らず」でいいんじゃないの?

お茶の稽古で一緒になった年配の先輩に着物の紋の質問をしてた時に出た言葉。
その時は、「目立たず控えめ」という意味にとらえていたのだが、
最近、某歌舞伎役者のお母さんが、お嫁さんを評して使ったとかで
急に注目を浴びたようだ。

改めて意味を調べると、
    過不足なくちょうど良いこと
思ってた意味とちょっとニュアンスが違うなぁ…( ・(ェ)・)と思いながら、
何から出なくて どこへ入らないというのかが気になった。

私の勝手な考えでは、
複数の人やグループの間に生じた、その場の空気とか雰囲気
に境界線を想定し、そこから出るとか入るとかということなのではないかと思う。

空気を読むとか読まないとかいうのも同じで
境界線から出も入りもせず内にいれば、
平穏でバランスのとれた状態が保てるのだろう。

私などは、「つい一言」の余計な言動をしがちなので、
たまに「出て」しまって、「痛っ」みたいな経験をする。
「出た」と判断されるのは、「分をわきまえず行動した」と見なされた時で、
出る杭を打つのは、
その場を仕切る権限があると思っている人(年長者だったり、経歴の長い人)である。
誰も出ずに入らずに場が流れていくと、行き着く先は予定調和…( ̄ー ̄)。

ただし、何もないと変化が欲しくなり、変化が続くと平穏が欲しくなるのが人の性。
たまーに、出て,入ることが許されるタイミングも生じる。

出たり出なかったりの波をうまーく乗り切るのも、
「数寄」(今、結構この言葉の自分なりの意味探してます)
っていうんじゃないかなぁ…

と、何やらとりとめもなく、今日は店じまい。


描き初め

年末はギリギリまで仕事に追われ,
帰省の予定が結局元日に亡くなった伯父の葬儀参列になり、
昨日も遅くまでバタバタと仕事でしたが、
今日ようやく筆をとりました。

今のお題は扇面。
一応下絵だけあげておいたので、
今日は、紙に写して骨描きです。

やっぱり墨の香りは気持ちいい。
まだ箔をやったことがないので、少し試してみようかと
箔の下地にも墨を塗って、今日のところは終了。

骨描きには、昨年末に入手した熊野の面相筆をおろしてみました。
筆先から引かれていく0.3mm幅ほどの線が、実に気持ちいい(・∀・)。

以前,ちょっとだけ版画を教わった時の先生が
「初心者ほど、道具は良いものを使った方がいい」
とおっしゃっていたのを思い出しました。
その時には、先生お薦めの
棟方志功も愛用していたという台東区の清水刃物店の彫刻刀を買い、
その切れ味に驚きました。
その感じに似てます。
良い道具は、使い手の力を超えて勝手に仕事してくれる観があります。

仕事が一段落するまでは、なかなか仕上がりそうもありませんが、
一気に仕上げる水彩がなどとは違って
ちょこちょこ進めていけるのが日本画の良いところ。

今年はどんな絵が描けるかなぁ…( ̄ー ̄)