一ヶ月が経った
3.11のM9クラスの大震災から1ヶ月が経ったけれども、原発事故は収束するどころかレベル7にまで引き上げられ、汚染水を海洋に放水しちゃったりとかで、しかもそれを命令したのが誰かは言えないとか発表しちゃったりとか、世界的にもどんどん不信感を買うばかりの状態。
今日もM7級の余震が福島沖で発生して、復旧しかけた町がまた大停電。本当にお気の毒で仕方ない。
で震災から1ヶ月が経とうとしている。死者・行方不明者は軽く2万を超え、避難生活中にも死者は増え、当然津波で流された遺体や今でも瓦礫に埋まったままの遺体を考えると、実際の数が分かるまでには相当時間がかかるだろう。
福島原発の放射線漏れ事故は世界に見つめられながら、全く改善の兆しがない。建屋は水素爆発などで吹き飛び、炉心溶融に陥り、海水注入での使用済み燃料棒の冷却はなんとか続いているものの、β線熱傷での被爆者を作業員に出し、東京金町上水で規定値を超える放射能汚染が発覚し、約2日間の水の買い占めパニックが起きた。6基あるうちの4基の原子炉が非常に危険な状態で、ついには高濃度に汚染された排水が海に垂れ流されていたことが発覚。こういうことが一ヶ月経って発覚するというのは、現場はほとんど状況把握できてないということだろう。
東京電力は世間の憎悪の対象になりつつあり、会社の寮や社宅の名札をガムテープで隠していることが報道された。社長は1度だけ会見したあと全く姿を見せず、なんだか入院したらしい。これも批判を買っている。おまけに原発事故の被害者の会の代表を務めるとかよくわけのわからないことになってきている。
オレの仕事に関していうと、印刷業界で紙とインクの補充が見込めず、かなり影響がでてきている。出版物での紙の確保は早い物勝ちで、その中でも教科書や選挙用ポスターに使う紙は優先的に回されるらしく、エンタメ産業は後回し。物流はやや安定してきているが、当初は商品を出荷するためのトラックが走れない(ガソリンがない)ための発売延期など、今まで考えもしなかった状況が普通に広がっている。
なんと我々の日常というのは脆いもんなんだろう。東京で暮らしていて日常的に「本日の停電はありません」なんていうニュースを朝チェックすることになるとは思いもしなかった。
今日もM7級の余震が福島沖で発生して、復旧しかけた町がまた大停電。本当にお気の毒で仕方ない。
で震災から1ヶ月が経とうとしている。死者・行方不明者は軽く2万を超え、避難生活中にも死者は増え、当然津波で流された遺体や今でも瓦礫に埋まったままの遺体を考えると、実際の数が分かるまでには相当時間がかかるだろう。
福島原発の放射線漏れ事故は世界に見つめられながら、全く改善の兆しがない。建屋は水素爆発などで吹き飛び、炉心溶融に陥り、海水注入での使用済み燃料棒の冷却はなんとか続いているものの、β線熱傷での被爆者を作業員に出し、東京金町上水で規定値を超える放射能汚染が発覚し、約2日間の水の買い占めパニックが起きた。6基あるうちの4基の原子炉が非常に危険な状態で、ついには高濃度に汚染された排水が海に垂れ流されていたことが発覚。こういうことが一ヶ月経って発覚するというのは、現場はほとんど状況把握できてないということだろう。
東京電力は世間の憎悪の対象になりつつあり、会社の寮や社宅の名札をガムテープで隠していることが報道された。社長は1度だけ会見したあと全く姿を見せず、なんだか入院したらしい。これも批判を買っている。おまけに原発事故の被害者の会の代表を務めるとかよくわけのわからないことになってきている。
オレの仕事に関していうと、印刷業界で紙とインクの補充が見込めず、かなり影響がでてきている。出版物での紙の確保は早い物勝ちで、その中でも教科書や選挙用ポスターに使う紙は優先的に回されるらしく、エンタメ産業は後回し。物流はやや安定してきているが、当初は商品を出荷するためのトラックが走れない(ガソリンがない)ための発売延期など、今まで考えもしなかった状況が普通に広がっている。
なんと我々の日常というのは脆いもんなんだろう。東京で暮らしていて日常的に「本日の停電はありません」なんていうニュースを朝チェックすることになるとは思いもしなかった。
花粉症になっちゃった
どうやら今年から花粉症デビューしたみたいです。というかしました。
2,3年前から花粉が多いといわれる日になると、鼻の中が乾燥したりムズムズする感覚はあったんですが、ついに本格的に、花粉症ですかと聞かれたら、はいと答えざるを得ないことになってしまいました。
目はショボショボとかゆみは治まらないし、鼻は点鼻薬をしないとカンカンにつまったままだし、
いやほんとつらい。
早速近所のクリニックに行って、処方箋をもらってクスリをゲット。
パタノールという目薬に、トラマゾリンという点鼻薬、
対アレルギーの飲み薬に、オノンというカプセル。
とにかくクスリが切れると見事に鼻が詰まるのが苦痛でたまらない!
もう外にも出たくありません。
自転車にもホコリのように花粉が積もってるし、きっとベランダも想像しただけで・・・・
2,3年前から花粉が多いといわれる日になると、鼻の中が乾燥したりムズムズする感覚はあったんですが、ついに本格的に、花粉症ですかと聞かれたら、はいと答えざるを得ないことになってしまいました。
目はショボショボとかゆみは治まらないし、鼻は点鼻薬をしないとカンカンにつまったままだし、
いやほんとつらい。
早速近所のクリニックに行って、処方箋をもらってクスリをゲット。
パタノールという目薬に、トラマゾリンという点鼻薬、
対アレルギーの飲み薬に、オノンというカプセル。
とにかくクスリが切れると見事に鼻が詰まるのが苦痛でたまらない!
もう外にも出たくありません。
自転車にもホコリのように花粉が積もってるし、きっとベランダも想像しただけで・・・・
思い出はオンラインに
震災後、一週間が経ち、死者行方不明者の数が1万8000人超にまで増えている。もっと増えるだろう。
直後の数日間は津波の映像ばかり流れていたが、さすがにここにきて避難している人たちの様子と原発の冷却の進捗状況がメインになっている。
日本中で被災者たちの受け入れを進め、物資の配達も少しずつ叶ってきている一方で、原発の放射能の風評被害でトラックが途中で引き返すなど、届くべき物資が届かずに孤立して、赤ん坊が餓死しているという話すら出てきている。
この惨状にNHKのアナウンサーですら涙をこらえて声を詰まらせるシーンが見られる。
ニュースでも被災者のいろいろなケースを紹介し始めた。
情報からも孤立していた被災者たちは、自分たちの状況や周囲の環境がいったいどういうものなのかをやっと知り、改めてショックをうけている。
妻と息子を捜しているという男性が映ったときは、オレも身につまされた。
まさにオレの立場じゃないか。
地震のあと、災害にこそ遭わなかったものの、1才のこうちゃんを抱いてマンションから避難したときの緊張を思い出し、全てを失った東北の人たちの状況を知り、オレもほんとうに怖くなる。自分が被災者にならずに本当によかったというのが正直な感想。
夜、同じベッドの中で眠るこうちゃんはとても暖かく、オレにとってはこの上ない湯たんぽみたいなもの。思わず抱きしめてしまいます。
この津波でたくさんの子供も死んだのだろう。生き残った親の気持ちを思うと、なんとかしてやれることはないかと思わずにはいられない。もう少し時間が経ったときにきっととてつもない喪失感に襲われるのだろう。
テレビに映る壊滅した町並みは、原爆投下直後のヒロシマとまっさきにオーバーラップする。その中で自宅跡から写真を見つけたと喜ぶ家族の姿があった。
「思い出すしかないのかなと思っていたけど、残っていて良かったです」
というコメント。
そういうときのためにもFlickrなどのオンラインストレージサービスを活用するのは大事なことかもしれない。オレはヨメと付き合っていた時や、結婚した時、こうちゃんが出来てから生まれて今まで、ここ数年全ての写真はFlickrにアップしてある。
オレが死んでも写真は残るので、家族にはこのアカウントにアクセスする方法がわかるようにする必要があるかもな。
ところでこの地震の正式名称(気象庁発表)は、「東北地方太平洋沖地震」というんだな。NHKしか見ていなかったので、「東北関東大震災」で覚えていた。
写真は計画停電で電気が止まった夜、ろうそくで静かに過ごした夜の写真。

直後の数日間は津波の映像ばかり流れていたが、さすがにここにきて避難している人たちの様子と原発の冷却の進捗状況がメインになっている。
日本中で被災者たちの受け入れを進め、物資の配達も少しずつ叶ってきている一方で、原発の放射能の風評被害でトラックが途中で引き返すなど、届くべき物資が届かずに孤立して、赤ん坊が餓死しているという話すら出てきている。
この惨状にNHKのアナウンサーですら涙をこらえて声を詰まらせるシーンが見られる。
ニュースでも被災者のいろいろなケースを紹介し始めた。
情報からも孤立していた被災者たちは、自分たちの状況や周囲の環境がいったいどういうものなのかをやっと知り、改めてショックをうけている。
妻と息子を捜しているという男性が映ったときは、オレも身につまされた。
まさにオレの立場じゃないか。
地震のあと、災害にこそ遭わなかったものの、1才のこうちゃんを抱いてマンションから避難したときの緊張を思い出し、全てを失った東北の人たちの状況を知り、オレもほんとうに怖くなる。自分が被災者にならずに本当によかったというのが正直な感想。
夜、同じベッドの中で眠るこうちゃんはとても暖かく、オレにとってはこの上ない湯たんぽみたいなもの。思わず抱きしめてしまいます。
この津波でたくさんの子供も死んだのだろう。生き残った親の気持ちを思うと、なんとかしてやれることはないかと思わずにはいられない。もう少し時間が経ったときにきっととてつもない喪失感に襲われるのだろう。
テレビに映る壊滅した町並みは、原爆投下直後のヒロシマとまっさきにオーバーラップする。その中で自宅跡から写真を見つけたと喜ぶ家族の姿があった。
「思い出すしかないのかなと思っていたけど、残っていて良かったです」
というコメント。
そういうときのためにもFlickrなどのオンラインストレージサービスを活用するのは大事なことかもしれない。オレはヨメと付き合っていた時や、結婚した時、こうちゃんが出来てから生まれて今まで、ここ数年全ての写真はFlickrにアップしてある。
オレが死んでも写真は残るので、家族にはこのアカウントにアクセスする方法がわかるようにする必要があるかもな。
ところでこの地震の正式名称(気象庁発表)は、「東北地方太平洋沖地震」というんだな。NHKしか見ていなかったので、「東北関東大震災」で覚えていた。
写真は計画停電で電気が止まった夜、ろうそくで静かに過ごした夜の写真。

災害が巻き起こす問題の多さに驚く
今回の震災での被害者は、ほとんどが津波の被害。逆に言えばM9というものすごい地震で亡くなった人というのは、意外なほど少ないのが驚き。日本の地震対策ってすごいんだな。
ニュースはほとんどNHKをつけっぱなし。民放のワイドショー的な見せ方には心底腹が立つし、民放なんか停電させてもいいんじゃないかとすら思うほど。
津波で町が壊滅し、
海岸には打ち寄せられた遺体が1000人とかの地獄絵図、
ライフラインも全滅し、
気温は氷点下まで下がり、
道路は寸断され、食糧・水・エネルギー・医薬品が枯渇し、
避難して助かっても医療が受けられずに死んでいく病人・老人、赤ん坊、
同時に海岸沿いの原発が次々と事故を起こし、
放射線の恐怖におびえながら警察も医者も避難してしまった。
中でも驚いたのは、精油所がダメージを受けて、あっというまに石油燃料が不足してしまっていること。物資はあっても物流が麻痺してしまっている。
とにかく道路がつぶれてしまっているので避難所そのものが孤立化してしまっている。
驚くほど様々な問題が関連していて一つのトラブルがどんどん新しい問題を起こしていく様子は、よくできた映画のプロットのようでもある。
東京にいても自分だけはと日用品を買い占めようと、開店前のスーパーに長蛇の列を作り、今こそ便乗値上げのチャンスだとネットで公言する経営者もいた。
石油ショックでティッシュやトイレットペーパーがなくなるというデマが流れて、今回と同じように買い占めに走った人々は今回も健在だったが、商店側は当時のような便乗値上げや売り惜しみをしなくなっているというのは、やっぱり昔よりは情報が行き届くようになったということなんだろうか。これは完全にオレの先入観というか印象だが、スーパーの様子を見ていると、買い占めに必死になっている人たちは、石油ショック当時にも買い占めに奔走した年代なんじゃないかという気がする。いい年の老夫婦が両手にボックスティッシュをぶら下げて、カップ麺やら水やら乾電池を買いあさっている。仕事に出て行る現役の世代は買いそびれてるわけで、我が家もティッシュが枯渇しそうです。
日本人は冷静で暴動も起こさなければ被災地のコンビニですら金を払うために列を作ると海外の報道で絶賛されていたが、強奪しないだけで本質的な違いはあまりないんじゃないかという気もしてしまう。
原発の事故で東北電力・東京電力の圏内で電力不足が起きているわけで、計画停電という地区ごとに分割して順番に停電をするという、初めてのことになっているわけだけども、実際にやってみて、日常的に行われてもいいんじゃないかと思っている。夜の新宿や渋谷の暗さは新鮮ですらあったし、電車も地下以外は車内灯を消していたり、お店も必要最低限の明かりしか点けていなかったり、病院や信号などは別として、エネルギー消費の抑制になるなら、もっと綿密な計画を立ててこれからもやっていいんじゃなかろうか。ただし、経済にあたえる影響は少なくないんだろうけども。
あ、あと地震と関係なくみずほ銀行が勝手にトラブっている。顧客はこんなときに意味不明のトラブルかと他行に乗り換えたくなるだろうな。
ニュースはほとんどNHKをつけっぱなし。民放のワイドショー的な見せ方には心底腹が立つし、民放なんか停電させてもいいんじゃないかとすら思うほど。
津波で町が壊滅し、
海岸には打ち寄せられた遺体が1000人とかの地獄絵図、
ライフラインも全滅し、
気温は氷点下まで下がり、
道路は寸断され、食糧・水・エネルギー・医薬品が枯渇し、
避難して助かっても医療が受けられずに死んでいく病人・老人、赤ん坊、
同時に海岸沿いの原発が次々と事故を起こし、
放射線の恐怖におびえながら警察も医者も避難してしまった。
中でも驚いたのは、精油所がダメージを受けて、あっというまに石油燃料が不足してしまっていること。物資はあっても物流が麻痺してしまっている。
とにかく道路がつぶれてしまっているので避難所そのものが孤立化してしまっている。
驚くほど様々な問題が関連していて一つのトラブルがどんどん新しい問題を起こしていく様子は、よくできた映画のプロットのようでもある。
東京にいても自分だけはと日用品を買い占めようと、開店前のスーパーに長蛇の列を作り、今こそ便乗値上げのチャンスだとネットで公言する経営者もいた。
石油ショックでティッシュやトイレットペーパーがなくなるというデマが流れて、今回と同じように買い占めに走った人々は今回も健在だったが、商店側は当時のような便乗値上げや売り惜しみをしなくなっているというのは、やっぱり昔よりは情報が行き届くようになったということなんだろうか。これは完全にオレの先入観というか印象だが、スーパーの様子を見ていると、買い占めに必死になっている人たちは、石油ショック当時にも買い占めに奔走した年代なんじゃないかという気がする。いい年の老夫婦が両手にボックスティッシュをぶら下げて、カップ麺やら水やら乾電池を買いあさっている。仕事に出て行る現役の世代は買いそびれてるわけで、我が家もティッシュが枯渇しそうです。
日本人は冷静で暴動も起こさなければ被災地のコンビニですら金を払うために列を作ると海外の報道で絶賛されていたが、強奪しないだけで本質的な違いはあまりないんじゃないかという気もしてしまう。
原発の事故で東北電力・東京電力の圏内で電力不足が起きているわけで、計画停電という地区ごとに分割して順番に停電をするという、初めてのことになっているわけだけども、実際にやってみて、日常的に行われてもいいんじゃないかと思っている。夜の新宿や渋谷の暗さは新鮮ですらあったし、電車も地下以外は車内灯を消していたり、お店も必要最低限の明かりしか点けていなかったり、病院や信号などは別として、エネルギー消費の抑制になるなら、もっと綿密な計画を立ててこれからもやっていいんじゃなかろうか。ただし、経済にあたえる影響は少なくないんだろうけども。
あ、あと地震と関係なくみずほ銀行が勝手にトラブっている。顧客はこんなときに意味不明のトラブルかと他行に乗り換えたくなるだろうな。
東北関東大震災 当日
雪の谷川岳に登ってきたよというエントリーを書こうと思っているうちに、とんでもないことになってしまった。
マグニチュード9という未曾有の大地震と、それが引き起こした高さ10m超という大津波で町単位で壊滅に追い込まれた東北関東大震災。
11日当日、オレはたまたま息子を病院に連れて行き、仕事も休んでいたときだった。食事をさせて午後一緒に遊んでいたときに、地震は来た。
マンション5階の我が家はぐらぐらと揺れ、揺れが収まる気配がないどころかどんどん強くなってきたので、これはやばいと思い、すぐさま部屋着のスエットをジーンズに履き替え、とりあえず息子を抱きかかえて外へ出た。
踊り場に置いてある自転車はビョンビョンと跳ね、まっすぐ歩くことができなかった。ドキドキを抑えて壁に手を沿わせながら階段で下りていく。向かいにあるデパートからは大音量で待避を促す放送が聞こえてくる。眼下の通りには人がどんどん出てきており、街中を不安が包んでいるのがわかった。
揺れていたのは数分だったようだが、とてつもなく長い地震に思われた。
揺れが収まったところでいったん部屋に戻り、すぐに避難用の荷造りを始めた。幸い登山から帰ってきた直後でシュラフなどのメンテをしたばかりだったので、そのままザックにシュラフ、シュラフカバー、雨具、救急キット、ラジオ、電池、財布などなどを放り込み、担いで出ればそのまま数日はしのげる装備を作った。仕事に出たヨメは大丈夫かとケータイに電話してみたが、ケータイ自体がつながらない。そうしているうちに再び揺れが襲ってきて、またこれも次第に強まるようだったので、息子にも上着を着せ、自分も登山用のジャケットを着て外に出た。
地震が収まったあともしばらくは余震が続くだろうと思い、外にいることにして駅のほうに行ってみた。すでに電車は止まり、改札には入れないようになっており、タクシーを待つ行列と、公衆電話の前にも大行列ができていた。
ほとぼりが冷めた頃、家に戻ってテレビを点けると全局地震速報がやっており、やがてあの大津波が来たという報道一色になった。
まだこのときはなんとなくしか、この災害の規模が分からずにいた。
一瞬ヨメから電話があった。公衆電話からで新宿のタクシー乗り場で並んでいるがいつ帰れるかわからず、携帯の電池も切れるからもう連絡できないが安心して欲しいとだけ伝えてきた。
夕方、保育園にいって孫が自宅にいるとわかった義母が慌ててやってきた。「おとうさんと一緒なら安心だねえ」としばらく孫を抱いて帰って行った。
結局ヨメが帰ってきたのは京王電車が動くようになってからで夜中だった。6時間近くタクシー待ちをして体は冷え切っていたので、熱い風呂に入って横になった。オレも一安心だ。こういうとき家族が一緒にいるのはなんとも心強いものだと実感。
オレはこの日、夜中でもすぐに飛び出せるように服をきたまま、サバイバルザックを何度も点検してようやく眠ることができた感じだった。
「ああ、ピッケルはコンクリートのがれきと化しても何かと役に立つだろうからザックに装着しておこうかな」とか、そんなことばかり考えていた。
マグニチュード9という未曾有の大地震と、それが引き起こした高さ10m超という大津波で町単位で壊滅に追い込まれた東北関東大震災。
11日当日、オレはたまたま息子を病院に連れて行き、仕事も休んでいたときだった。食事をさせて午後一緒に遊んでいたときに、地震は来た。
マンション5階の我が家はぐらぐらと揺れ、揺れが収まる気配がないどころかどんどん強くなってきたので、これはやばいと思い、すぐさま部屋着のスエットをジーンズに履き替え、とりあえず息子を抱きかかえて外へ出た。
踊り場に置いてある自転車はビョンビョンと跳ね、まっすぐ歩くことができなかった。ドキドキを抑えて壁に手を沿わせながら階段で下りていく。向かいにあるデパートからは大音量で待避を促す放送が聞こえてくる。眼下の通りには人がどんどん出てきており、街中を不安が包んでいるのがわかった。
揺れていたのは数分だったようだが、とてつもなく長い地震に思われた。
揺れが収まったところでいったん部屋に戻り、すぐに避難用の荷造りを始めた。幸い登山から帰ってきた直後でシュラフなどのメンテをしたばかりだったので、そのままザックにシュラフ、シュラフカバー、雨具、救急キット、ラジオ、電池、財布などなどを放り込み、担いで出ればそのまま数日はしのげる装備を作った。仕事に出たヨメは大丈夫かとケータイに電話してみたが、ケータイ自体がつながらない。そうしているうちに再び揺れが襲ってきて、またこれも次第に強まるようだったので、息子にも上着を着せ、自分も登山用のジャケットを着て外に出た。
地震が収まったあともしばらくは余震が続くだろうと思い、外にいることにして駅のほうに行ってみた。すでに電車は止まり、改札には入れないようになっており、タクシーを待つ行列と、公衆電話の前にも大行列ができていた。
ほとぼりが冷めた頃、家に戻ってテレビを点けると全局地震速報がやっており、やがてあの大津波が来たという報道一色になった。
まだこのときはなんとなくしか、この災害の規模が分からずにいた。
一瞬ヨメから電話があった。公衆電話からで新宿のタクシー乗り場で並んでいるがいつ帰れるかわからず、携帯の電池も切れるからもう連絡できないが安心して欲しいとだけ伝えてきた。
夕方、保育園にいって孫が自宅にいるとわかった義母が慌ててやってきた。「おとうさんと一緒なら安心だねえ」としばらく孫を抱いて帰って行った。
結局ヨメが帰ってきたのは京王電車が動くようになってからで夜中だった。6時間近くタクシー待ちをして体は冷え切っていたので、熱い風呂に入って横になった。オレも一安心だ。こういうとき家族が一緒にいるのはなんとも心強いものだと実感。
オレはこの日、夜中でもすぐに飛び出せるように服をきたまま、サバイバルザックを何度も点検してようやく眠ることができた感じだった。
「ああ、ピッケルはコンクリートのがれきと化しても何かと役に立つだろうからザックに装着しておこうかな」とか、そんなことばかり考えていた。