ままならない世界を愛せるか。10周年のWEST.が歌う『まぁいっか!』に見た過酷と希望 | オーヤマサトシ ブログ

ままならない世界を愛せるか。10周年のWEST.が歌う『まぁいっか!』に見た過酷と希望



『まぁいっか!』という曲には「超ポップでハイパーポジティブな自己肯定ソング!」というコピーがつけられていて、これは確かにこの曲のある側面を言い当てていると思う。

この曲を聴いてポップじゃない・ポジティブじゃないと感じる人はおそらくほとんどいないだろうし、自己肯定のメッセージも確かに込められている。メンバーが些細な失敗を繰り返しながらそれでもまぁいっかと笑って乗り越えていくMVも陽性のエネルギーに満ちていて、その姿を見て私たちは笑顔になる。それはとてもWEST.らしいコミュニケーションのやり方で、彼らの10周年に相応しい一曲だ。

一方で、俺はこの曲を聴いたりMVを観ると、毎回どうにも泣けて泣けてしょうがない。MVが公開された直後は毎回観るたびに、泣けるのレベルを超えて実際に落涙していた。MVのコメント欄を見ると同じような感想がいくつも投稿されているから、これは俺に限ったことではないのだろう。なんで『まぁいっか!』で俺は涙を流してしまうのか。そのことをずっと考えていた。

アイドルがポジティブを歌う理由

そもそも、アイドルはなぜポジティブを表現するのか。仮にこの世界が黙っていてもポジティブで明るくていいことばかりなら、そのことをわざわざ表現する人はいなくなるだろう。アイドルがポジティブを表現する理由。それはつまり、この世界にはそもそもポジティブがまったく足りていないからなのだ。

『まぁいっか!』という曲の根幹となるメッセージは「なんとなく過ぎる日々にこそ愛は隠れている」だと思うんだけど、曲中ではそれを受けて<そんなイメージ持ってりゃこんな世界もちょっと煌めくぜ!>と歌われる。ではここでいう<こんな世界>とはどんな世界のことなのか。

例えばそれは、他人に自分が見た理想や夢を笑われてしまうことではないか。
例えばそれは、やり切れないことばかり押し寄せてしまう日々のことではないか。
例えばそれは、みんな違ってみんな良いとすら思えなくなってしまうことではないか。
例えばそれは、僕が、僕自身のことを、愛していられなくなってしまうことではないか。

まぁいっかは日々の些細な失敗を癒やす言葉かもしれないが、当たり前だけど全てのネガティブを救う魔法の言葉ではない。例えば彼らの10年だってある側面に目を向けると、世界はまぁいっかでは済まないことだらけだったということを痛感した10年だったとすら言えるのではないか。その最たるものが彼らが名前を変えるに至った経緯で、そのことこそこの世界のままならなさを象徴してもいる。(念のため、俺は彼らの名称変更についてはその理由も含めそうすべきだったと考える立場です)

まぁいっかで済むことのほうがこの世界では圧倒的に少なくて、たくさんの抗いようのないネガティブに満ちている。少なくとも俺にとってはそれが目の前に広がる現実だ。MVで小さな失敗の連鎖を起こしてしまう7人の姿は、確かにコミカルではある。でも同時に、確かに小さいかもしれないけど、それぞれにやっぱりどこか傷ついてもいるんじゃないか、とも思う。他者の小さな痛みへの想像力の欠如がどんな歪みを生み社会を荒廃させていくか、そのことを痛感しつづけた2024年でもあった。

ままならない世界への、WEST.の抗い方

そんな2024年、10周年のWEST.は、とにかく歌って踊って、よく笑った。それこそがアイドルの本懐なのだと言わんばかりに。

そこには明確な根拠なんてない。そんなことは彼らも承知だろう。むしろ馬鹿馬鹿しいことをしているという自認すらあるだろう。根本的にはなんの解決にもならないこともきっと、わかっているはずだ。
でも、誰かの笑顔を見て、とりあえずでも、それとなくでも、笑えることがひとにはある。その尊さを彼らは信じている。根拠なき笑顔でひとは救われる、そのことを彼らは信じている。そんな瞬間を日常のなかに積み重ねていくことで、こんな世界をちょっと煌めかせることができる、そのことを彼らはきっとものすごい自負を持って、信じている。

そういうことをひたすらに続けてきた10年があるからこそ、彼らは歌う。彼らは踊る。彼らは笑う。それが最もビビッドに表現されたのが『まぁいっか!』だ。
まぁいっかで済まないままならない世界を、どういうやり方でまた信じることができるのか。いかにネガティブに飲み込まれず笑顔とともに抗っていけるのか。
アイドルが世界をポジティブに肯定し、世界をもう一度フレッシュに愛そうとするトライアル、その2024年の最新型が『まぁいっか!』なのだと俺は思う。

MVでは、彼ら自身による小さな失敗の積み重ねによって、居心地のよかった家はついに崩壊してしまう。その光景はまるで、さまざまな失敗をまぁいっかで済まそうとしてきたことへのツケがまわってきたようにすら見える。
剥き出しとなったがらんどうのスタジオで、肩に積もった埃を互いに振り払い、彼らはふたたび笑顔で歌い踊り出す。あれほど打ちのめされたのに、また笑ってまぁいっかと歌う。なぜ彼らにはそれができるのか。
その理由は、曲のいちばんはじめに歌われている。

自分自身=WEST.であることを引き受けた10周年

この物語の主人公は僕である。絶対そうなのだ。自らそう言い切ること。これってつまり、自分の人生を自分で引き受けるということだ。

その歴史のなかで唯一「ジャニーズ」という言葉を背負ったグループは、自らその言葉を剥ぎ取り、かわりにピリオドを打った。それはあくまで非道な性犯罪を起こした創業者やブランドと決別すべく成された行為であって、そこに過剰な物語性をもたせるべきではないと俺は考えている。
一方で、自らのエンタテインメントの根幹どころか存在理由そのものが揺らぐ出来事を経験してなお、アイドル、というかもはやWEST.という生業を続けるという決断をしたこと。そのうえでこの10周年を完遂したこと。その年に『まぁいっか!』という曲を届けてくれたこと。
これらはすべて、彼らがこの先もWEST.であり続けるということを改めて引き受けたということなのだと思う。

じゃあ翻って、俺はどうだ。俺はまだ信じられるのか、まだ諦めないでいられるのか、この世界が煌めくことを。どうだろう。正直、即答はできない。
だけど、彼らの歌を聴いていると、信じたくなる。朱鷺メッセで、メトロックで、サマソニで、東京ドームで、映画館で、今年さまざまな場所でおれはWEST.を観て、彼らの音楽を浴びて、そのたびに涙を流した。泣けるから良い表現だなんて言うつもりはない。でも、彼らの声に、7人の歌におれの心が動いたという事実が、この1年でもいくつもある。

凡庸な結論だけど、結局のところ表現に向き合うということは、自分の中の「ほんとう」を探すことなのだと思う。俺はWEST.のうたに、俺にとっての「ほんとう」を見出す。だから『まぁいっか!』を聴くたび、俺は涙を流すのだ。まぁいっかが通用しない世界で、それでもまぁいっかと笑って歌い踊ることの過酷と希望を、10周年の年に表現してくれたこと。俺はそのことをずっと忘れたくなくて、なのでずっと忘れないでいようと思ってこれを書いた。

「まぁいっか」はこの世界を救う魔法の言葉ではない。けれど、WEST.が歌えば、俺の目に映る世界は少しだけ煌めく。それは俺の目に貯まる涙のせいかもしれない。それってほとんど奇跡みたいなことだ。今年、この音楽が聴けてよかったよ。ありがとう。





以下は長くなるのと収集がつかなくなるので割愛しましたが、本当は全編語りまくりたいほどキラーフレーズの連打であるこの曲。特に<誰かの理想にイヤイヤ合わせるくらいならサイテーの上で歌って踊ってやる!>は10周年のWEST.による猛烈に感動的な咆哮で、これを普段から楽曲制作をしてるかみしげが歌っていることも含め冴え方が本当にすごい。
そもそもポップスとして言葉もメロディもまったく過不足なく、10年目のWEST.が歌うからこその説得力をあたえつつポップスとして普遍的な醍醐味もたっぷり感じさせてくれる、とんでもない名曲ですよこれ。詞曲を手掛けたmeiyo氏すごすぎる。WEST.にこれを書いてくれてありがとうございます。
あとMVの出来がとにかくすっごくよくて、泣けてくるもうひとつの大きな理由はあの多幸感あふれる振り付けに依るところもでかいので、パワーパフボーイズの精度の高い仕事にも称賛を贈りたい。もっと言えばmeiyo×パワーパフボーイズには『POP&POP』という超絶名曲があって――とやっぱりキリがない。しかし本来はこういうことを余談にせずもっとしっかり語るべきなんですよね……。なにか別のかたちでやりたいが、遅筆にもほどがあるので予定は未定。



最後に。この記事を含めブログでもSNSでもエンタメに救われてきたことを書き続けてきた者として、そしてこの先もエンタメに生かされていくであろう者として、ジャニー喜多川氏と旧ジャニーズ事務所の件を含め、この国のエンタテインメント・シーンに蔓延している性加害、性犯罪、パワーハラスメントをはじめとする様々な問題、それらを行う人とそれらが生み出される構造を強く嫌悪し、それらすべての存在がこの先一切無くなることを強く望みます。
同時に、すでに起きてしまった事態の被害者の苦しみが少しでも消えること、そのために必要な補償や犯罪者の処罰が適切に成されることを強く望みます。

俺の中にはここ数年エンタメを享受することに対しての罪悪感のようなものがうっすらずっと漂っていて、最後にこれを書くことがなにかの免罪符になるとはまったく思っていないけど、少しでもマシになるよう、しぶとくつよくやっていくしかない。それは俺以外の誰かのためでもあるし、なにより俺がエンタメを、そして俺が俺自身を愛していたいから、自分のためにそれをしていく。やれよ>俺。自戒を込めて。

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