ジャニーズWEST『むちゃくちゃなフォーム』――真駒内で神山智洋の歌にぼろぼろ泣いた日のこと | オーヤマサトシ ブログ

ジャニーズWEST『むちゃくちゃなフォーム』――真駒内で神山智洋の歌にぼろぼろ泣いた日のこと



<アルバム『POWER』における7人のボーカルの貢献>

アイドルという人たちは、そのキャリアの中で多種多様なジャンルの楽曲を歌う。ジャニーズWESTの現時点での最新アルバム『POWER』にも実にバラエティに富んだ楽曲たちが収録されている。そしてメンバーたちは当然のようにそれを歌いこなすことを要求される。

「歌いこなす」とはどういうことか。シンプルに言えば、その楽曲が要求するボーカルをボーカリストとして提供するということになるだろう。そしてそれは『POWER』のすべての楽曲において着実に達成されている。



ところでグループのメンバーであり優れたソングライターでもある重岡大毅さんは、自身が手掛けた楽曲のレコーディングに際してメンバーひとりひとりに楽曲に込めた想いや意図を手紙で伝えるのだそうだ。その詳しい内容は明かされてはいないけど、メンバーは重岡さんから受け取った言葉も重要な指針として、レコーディングに臨むはずだろう。

とは言え、どんな言葉を受け取ったとしても、最終的に歌うのは各メンバー自身である。楽曲に対して自分の持つスキルをどう使ってどう表現するか、その結果生まれたボーカルは、歌い手による楽曲に対する批評でもある。つまり各メンバーが「楽曲をどう解釈したか」、その回答が実際に録音されたボーカルに表出しているのだ。

今回重岡さんが作った『むちゃくちゃなフォーム』という楽曲において、7人の歌の貢献度はとても大きいのだけど、そもそもこの曲はメンバーにとって、決して簡単に歌いこなせるものではなかったのではないか。

例えば歌割りひとつとっても、冒頭で最年長の中間淳太さんに<いま 僕は大人になれますか>というある種の未熟なナイーブさを、その直後に最年少の小瀧望さんに<無茶をする歳じゃないし>という老成した焦燥をそれぞれ歌わせていて、ふたりに年齢的立場で言えば逆のメッセージを歌わせている。

またラストの大サビまでメンバー同士のユニゾンがなくソロパートのみで繋いでいく構成もこれまでにないもので、この曲は色々な面でメンバーにまた新たなフェーズのハードルを課した構成になっていると思う。

では結果的にどうなったか。完成した録音物を聴けば、この曲を成立させるうえで7人の歌の貢献度の大きさがよくわかる。この曲を血の通った音楽として成立させているのは、紛れもなく7人の歌の力である。



中でももっとも驚いたのは、神山智洋さんの歌だった。

「器用」「マルチ」「何でも出来る」という枕詞を与えられることの多い人だけど、グループでの歌唱や自身が作る楽曲、また『LUNGS』『幽霊はここにいる』といった舞台を通して彼の表現に触れるたびに、彼の中には強烈な表現の核のようなものがあって簡単なことでそれは揺るがない、本質的にはむしろそういう不器用な性をもった表現者であると俺は感じている。(その上で「何でもこなせる器用な才人」でもあり続けていることが実は凄いのだけど)

ジャニーズWESTの表現において、彼が担うものはとても大きい。特にボーカル面では、アルバム『POWER』においても「突出して」と言っていいほど、彼の歌のスキルがアルバムの完成度を何段階も押し上げている。

その上で、というかだからこそ、あえてこの言い方をする。彼ならもっと丁寧に、もっと巧く歌おうと思えば、いくらでもそのように『むちゃくちゃなフォーム』という曲を歌えたはずだ。

でも、彼はそれをしなかった。ハナから巧さを捨てたのではない。自身の巧さやスキルを総動員しつつ、同時にそれらを手放しているようでもあるのだ。

どこまでもシリアスで、どこまでも切実。あれほど正確なピッチを保って歌える人が臆面もなく曝け出す、生々しい声のゆらぎ(まあそれでもピッチは全然保っているんだけど)。端的に言って『むちゃくちゃなフォーム』における彼の歌は、神山智洋という人の不器用さが過去最高に表出したテイクだと俺は思う。少なくとも俺はこんな彼の歌を、この曲で初めて聴いた。そして彼の歌にこんなにも心を揺さぶられたのも、これが初めてだった。



<『POWER』ツアー横浜公演で聴いた『むちゃくちゃなフォーム』の変容>

今年の3月の終わり、アルバム『POWER』を引っ提げたツアー『ジャニーズWEST LIVE TOUR 2023 POWER』を横浜アリーナで初めて観た。そのとき『むちゃくちゃなフォーム』はアンコールの3曲目、ライブの本当の終わりの終わりで歌われた。

以下、記憶を反芻しているので相違あるかもしれないけど、1番が終わったあたりで重岡さんが「おい、みんなあっちで座って歌おうぜ」というようにメンバーを促し、後方にせり上がったステージに全員で横一列に腰掛けて2番を歌いはじめた。

もちろん、そのあとに続く2番のサビは神山さんが歌った。で、その日のライブが終わって、スマホのメモに俺はこう書いた。

<むちゃくちゃの神ちゃんソロ、音源とまっっったく違った 笑顔、柔和、やさしいたくましさ 音源の切実さとはほんと違ったな>

そう、俺がこの日聴いた神山さんの歌う『むちゃくちゃなフォーム』は、音源のそれとは全くと言っていいほど違ったのだった。

実はこの日俺は制作開放席というステージ向かって上手のステージの真横、というかむしろ真横より微妙に後ろから観る席だったので、2番を歌う彼らの姿はほとんど見えず、この日2番を歌う神山さんの表情も俺にはほぼまったく見えなかったのだけど、その歌声は明らかに笑顔が思い浮かぶ、とても柔らかで朗らかとすら言っていいものだったのだ。

その歌を聴いて俺は、「そうか、ライブを経るとこの曲はこんなふうに柔和なものとして表現される曲となったのか」と、驚きとともに新鮮な納得をしたのだった。

後日ネット媒体のその日の公演のライブレポートに載った7人が横並びで座って歌う姿は、まさに神山さんの声を聴いて俺が思い浮かべた彼らの姿そのものだった。1列にならぶ、7人7様の笑顔。その光景は彼らを好きな人ならグッとこないわけにはいられない、ほんとうに素敵なワンシーンだった。

その朗らかさは俺が音源から受け取っていたものとは違ったのだけど、<ライブは生き物であり、ライブで曲は変化し成長する>ーーという使い古された定型文も、これはこれで揺るがぬ真理なのだということを痛感した瞬間でもあった。

<真駒内で神山さんの歌を聴いたときのこと>

それから2ヶ月足らず。陽光に恵まれた、5月の爽やかな風が吹く北海道・真駒内で行われたライブでも、『むちゃくちゃなフォーム』はやはりライブの最後に歌われた。

ただ、横浜で観たときと、明らかな違いがあった。2番に入っても重岡さんから特に呼びかけられることはなく、メンバーはステージ上で散り散りのまま歌い続けたのだ。

てっきりあの横並びで座るのは決まった流れというか演出だと思いこんでいたので(それだけグッとくる良いシーンでもあったのだ)、俺は「あれ? あのみんなで横並びに座る流れ、なくなったんだ?」と少し驚いた。そして曲の通り、神山さんが2番のサビを歌い出した。

彼が歌う、最初のワンセンテンス。それだけを聴いて、すぐに涙が滲み出た。そして、ああ、俺はこの声が聴きたかったんだ、と思った。

他の6人がステージ前方に並んで客席に向かって大きく手を振るなかで、神山さんは上手の端の端に置かれた岩を模した足場の上に胡座をかいて、ひとりで、歌っていた。

それはソロパートだからひとりで歌っているのだという意味ではなく、ステージ上では間違いなく7人でいるのだけど、不思議とあの時間だけは、神山さんは「ひとり」で歌っているように、俺には見えた。

時には前に屈んで、時には彼方を見つめ、時には顔をぐしゃぐしゃにしてぎゅっと目を瞑ったりしながら、彼は歌った。横浜で観たときの、笑顔が思い浮かぶ柔和さとは全く違う、音源で何度も何度も何度も何度も何度も聴いた、あの胸を掻きむしられる、どこまでも切実な歌声で。

俺はマスクの下で嗚咽を抑えるレベルでどんどん涙を涙を流しながら、彼のその声と姿を受け止めた。

横浜からこの日のあいだに、いつどのようにしてあの横並びで座って歌う演出でなくなったのか俺は知らないし、そもそもあの横並びが毎回の決め事だったのかどうかも知らない。けど、少なくとも俺が観た2回のライブでは確かに違った。そしてその違いは、とても大きいことだった。

これは優劣の話では全くないことを断った上で明言するが、横一列に並んで「みんな一緒」という見え方で歌われるのと、ステージの端の端でひとりで歌われるのとでは、シンプルにやっぱり全然違った。なんというか、楽曲そのもののちからに加えて、「その楽曲をどう歌うか」によってこんなに歌が変わることがあるのかというちょっと驚くほどの気づきがあった。

で、なぜ今回俺が落涙するほど心を揺さぶられたのかというと、このときの神山さんの歌を聴いて、『むちゃくちゃなフォーム』という曲はつまり「ひとりひとりが、それぞれひとりひとりのままでいてよい」という曲なんだと、初めて気づいたからなのだ。

<『むちゃくちゃなフォーム』が描く、ひとりがひとりでいることの尊さ>

そもそも彼らは「個性的」なんてひと言で表現するにはあまりに不十分なほどそれぞれに異なる魅力を放っていて、それこそ7人それぞれに全く違うフォームを持ち寄ってジャニーズWESTというひとつのチームとしての表現を作り上げている。

各々の違いを無闇に整えたり間引きするのではなくて、むしろ違いを最大限尊重しつつチームをやり続けるというなかなかにハードルの高いトライアルをし続けている。それが俺の目に映るジャニーズWESTの姿だ。

『むちゃくちゃなフォーム』のサビのフレーズは、最後の最後でだけ<むちゃくちゃなフォームで生きている>と現在進行形に、そして<僕らはやれるんだ>と複数形になる。これはジャニーズWESTというチームのことでもあり、俺やあなたを含むいま・ここに存在する全てのひとりひとりのことを指しているのだと思う。

それぞれがそれぞれのフォームで生きている、そのことこそを愛そうとすること。自分と違うフォームで生きる他者のことを尊重し、「いつか会えますか?」と呼びかける、そういう決して簡単じゃない、たからこそ掛け替えのないこと。

あの日真駒内のステージで、フロアに向かってめいっぱい手を振る6人と、ひとり顔をくしゃくしゃにして『むちゃくちゃなフォーム』を歌う神山さんの姿と歌声は、まさにそういうものの具現化に見えた。

ひとりでいることは、ひとりぼっちになってしまうことと同義ではない。むしろ、ひとはみんな根本はひとりである、そのことを認めるからこそ、自分でない誰かを尊重し愛することができる。7人で作るステージの上で神山さんがひとりで歌う歌声の切実さに、俺はそういうアティチュードを受け取った。もっと言えば、曲の大半をメンバーのソロ=ひとりひとりのパートで繋いで、最後にやっとユニゾンになるという構成も、この曲にとって必要不可欠なものだったのだなと今では思う。

“ひとりひとりがひとりひとりのまま7人で共にいる”、そういうジャニーズWESTがあのときステージのうえに立ち現れた。そのことにどうしようもなく泣けたのだ、俺は。

で、そのことは、神山さんにそういう歌を歌わせてしまう力が、『むちゃくちゃなフォーム』という曲にあった、ということでもある。

神山さんのこの曲のボーカルのアプローチは楽曲に対してすごくストレートで誠実で、そしてやっぱり不器用で。それこそが彼なりの「むちゃくちゃなフォーム」の表現であって、重岡さんから託された楽曲に対する彼なりの批評なのだと思う。

そして、その結果がこのすさまじい切実さであるということも含め、なんで俺は『むちゃくちゃなフォーム』の神山さんの歌声にこんなにも心を揺さぶられていたのか、その理由が真駒内のライブを観てやっとわかった気がしたのだった。

優れた楽曲とは何か? その条件はいくつもあるけれど、「歌い手の未知のポテンシャルを引き出す力」というのも紛れもなく楽曲の持つ力で、俺の中でソングライター・重岡大毅への信頼もまたひとつ深まることになった。これまで何度も思ってきたけど、つくづくすごい曲を書く人だ。



最後に。今回俺は『むちゃくちゃなフォーム』という曲と、そこでの神山さんのボーカルについて書いたわけだけど、実際はこれが×7同時並行で起きているのがジャニーズWESTというチームのすごさだ。去年初めて彼らのライブを観たときのツイートを引用する。

<初めて生でジャニーズWESTのライブを観て感じたのは、7人が各々異なるプロフェッショナリズムを持ってライブに臨んでいて、互いの違いを尊重&許容し合いながらひとつの表現を作り上げてるのだなということで、なんというか調和と歪さがいい塩梅で同居するのが魅力的なチームだなと思った>
https://twitter.com/oddcourage/status/1535958696873689089

この印象は今でも全く変わっていないどころか今回のツアーを経てより深まるばかりだ。実際、他の各メンバーに細かく言及しようとするとこの数倍の文字量になるので今回は割愛したけど、例えば『むちゃくちゃ~』で言えば、桐山さんの「この涙」のニュアンスは横浜と真駒内でまったく変わっていて驚愕したし、藤井さんと重岡さんの『ぼくらしく』も実は演出というか歌われ方がガラッと変わっていて、それにもとても驚かされたし、いくつもの発見があった。

だからつまり、俺がまだ気づけていない7人=チームジャニーズWESTの魅力というのはきっとまだまだ、たっっっっっっくさんあって、それは×7どころか今後も無限に生まれてくるはずだ。『POWER』のライブを経てそういう確信が俺にはある。

で、俺はその変化と進化を観続けていきたい。変わること、進むことを止めない歩みのその先にこそ、いまを超える刺激的で豊かなジャニーズWESTの表現がきっと待っているはずだから。

あの日真駒内でソロパートを歌い終えた神山さんは、それまでのシリアスな表情を崩して、やっと、ふわっと笑った。きっとあの笑顔も、神山さんなりの『むちゃくちゃなフォーム』という曲に対する批評だったのだと思う。ジャニーズWESTのライブにはこういう、「ああ、この場に立ち会えてよかったな」と心底思える瞬間が、いくつもあるのだ。



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