過去のオカハセ講座から❹ | オカハセのブログ

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【全く興味を示さずに背中を向けている人達にこそ何かを感じてもらえたらこれほど最高なことはない】と思っている。



生のバイブレーションや各演奏者の思いは【録音された記録には微かにしか残らない】。



人間は何かを極めようと精進する時に【精神が大人にならないうちに何かの成果を出してしまうと、傲慢で偏見に満ちた状態に陥りやすい】。
本末転倒なこと。



たまには皆んなで思いっきりひとつになろうとする時があっていいんじゃないかな?
集団リンチばかりひとつにならずに…
と、現代の日本人に対して思います。



べつに才能がなくたって、べつに認められなくたってやめる必要なんか無い。
命をかけて【何かにチャレンジすることが】神様からみて合格なんだと僕は思います☆



【どうしてもやりたいという気持ちがあれば、回りが何と言おうとその人にはやる資格がある】
何故ならどうしても表現したいという気持ち自体が【才能】だと思うし、エネルギーが生まれる【最低条件】と思うから。



聴いている人は良い音に感動するのであって長く伸ばせた(ロングトーンのこと)新記録に拍手するわけではないのです。
【練習というのは、脳や体に「ある習慣をつける」事】なので、《 酷い音でロングトーンを毎日続ければ【酷い音がしっかりと習慣になる】のです》。



「勢い」の中に抑えようの無い「反骨精神」みたいなものがあるのなら、むしろ尊敬するのですが、【スローガンの無い勢い】はただの鈍感と同じだと思うようになってきた。



スタート地点から一貫した姿勢で【魂の声に逆らわず】にブレずにプロセスを歩むことができる人は稀だと思います。
多分多くは妥協点を目指す。そのうちの何割かは生活の為に妥協するのに成功する人もいる。その音楽が良いのかは別問題ですが…
しかしどう頑張ってもどうしても自分の魂に逆らうことが出来ない人がいる。多分そのジレンマを乗り越えたその先が【その人にとっての本当のスタート地点】なのだと思います。
そういう者にとっては「プロ」だとか「趣味」だとかの定義はナンセンスになっている








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