李鵬日 記の信ぴょう性
21回目の「6・4」が終わった。例年この時期は天安門事件関係の本が相次いで出版されるのだが、今年は目玉があった。6月22日に香港の中国新世紀出版社から「李鵬日記」が出るという。サウスチャイナモーニングポスト紙が4日、伝えている。

中国新世紀出版社は、趙紫陽の秘書だった鮑彤の息子、鮑樸の会社だ。鮑樸は去年、趙の回顧録「Prisoner of the State」も出版した。
趙の回顧録を出すのは人脈的に当然として、趙紫陽の秘書(それも事実上のブレーンと言われていた人物だ)の息子が、いかに「中間人物」の手を経たとはいえ、「政敵」だった李鵬の告白本を出せるのか。そもそも本物なのかどうか。疑問がもたれて当然だ。
ただobservingchinaはこの李鵬日記、本物だと思う。
最大の根拠は、鮑樸がSCMP紙記者に手書き原稿を見せている点。もちろん手書き原稿そのものをでっち上げることもできるが、李鵬ぐらいになればあちこちに揮毫が残っているはず。いざとなれば筆跡鑑定は可能だ。
さらにその中身も、記事を読む限り弾圧の正当性に終始している。李鵬の正当性は現中共政権の正当性と同義だから、出版しても彼や家族に類は及ばない。
08年の時点で、娘の李小琳が「父は計10冊の日記を出版したいと言っている」と語っており(これまで6冊を出版している)、その内容とも一致する。
■□文化大革命の「トラウマ」
後で詳述するが、最も興味深いのは、「最悪の事態を迎える準備はできている。祖国が文化大革命のような悲劇に陥るのを防ぐためなら、私と私の家族が犠牲になってもいい」と5月2日に書いていることだ。
4月27日に自宅に向かう途中、車を学生に取り囲まれ、運転手と警護員があわてて反対方向に逃げ出した体験についても書かれている。observingchinaは鄧小平ら長老たちの文革トラウマが過剰な武力弾圧につながったと考えているが、李鵬のこの記述はその仮説を裏付ける。
原本が中国語のものが英語に訳され、さらにそれを日本語にするので訳にずれがあるかもしれないが、SCMP紙の記事から興味深い部分を抜粋する。
*
趙を除くすべての政治局常務委員メンバーが(戒厳令布告についての)鄧の決定を支持した。ただ、政治局で趙に近かった胡啓立は懸念を表明した。鄧小平の家を出る時の趙のうなだれた様子を見て意気揚々とした、と李は書いている。
5月19日、李は趙に代わる人物として江沢民がどのように選ばれたかについて書いている。会議が始まる前、鄧は李に彼が首相職を続投するだろうことを伝え、江沢民を新しい総書記にすることについて意見を求めた。李は全力で支持すると約束し、のちの会議で鄧は政治局常務委員たちに江沢民を新総書記にすると告げた。
江沢民は鄧小平から総書記就任を告げられた翌日の5月31日に北京にやって来た。しかし江は即座の就任を繰り返し拒否し、党規約に基づく選挙によって選ばれたいと申し出た。そしてそれまでの間、李に職務を代行してほしいを求めた。
6月3日夜、李鵬が人民大会堂で天安門広場への軍隊投入について会議を開いているとき、江沢民はとなりのビルの4階から広場の様子を見ていた。
*
特に最後の記述が興味深い。4階から広場の様子をこっそり見ている江沢民の様子が目に浮かぶようだ。恐らく即座の総書記就任を断ったのも、事態がどちらに転んでもいいようにリスクヘッジしていたのだろう。今となっては想像できないかもしれないが、それぐらい当時の状況は流動的だった。
それにしても李鵬は筆まめな人だ。もう20歳若かったら、ツイッターにはまっていたかもしれない。

中国新世紀出版社は、趙紫陽の秘書だった鮑彤の息子、鮑樸の会社だ。鮑樸は去年、趙の回顧録「Prisoner of the State」も出版した。
趙の回顧録を出すのは人脈的に当然として、趙紫陽の秘書(それも事実上のブレーンと言われていた人物だ)の息子が、いかに「中間人物」の手を経たとはいえ、「政敵」だった李鵬の告白本を出せるのか。そもそも本物なのかどうか。疑問がもたれて当然だ。
ただobservingchinaはこの李鵬日記、本物だと思う。
最大の根拠は、鮑樸がSCMP紙記者に手書き原稿を見せている点。もちろん手書き原稿そのものをでっち上げることもできるが、李鵬ぐらいになればあちこちに揮毫が残っているはず。いざとなれば筆跡鑑定は可能だ。
さらにその中身も、記事を読む限り弾圧の正当性に終始している。李鵬の正当性は現中共政権の正当性と同義だから、出版しても彼や家族に類は及ばない。
08年の時点で、娘の李小琳が「父は計10冊の日記を出版したいと言っている」と語っており(これまで6冊を出版している)、その内容とも一致する。
■□文化大革命の「トラウマ」
後で詳述するが、最も興味深いのは、「最悪の事態を迎える準備はできている。祖国が文化大革命のような悲劇に陥るのを防ぐためなら、私と私の家族が犠牲になってもいい」と5月2日に書いていることだ。
4月27日に自宅に向かう途中、車を学生に取り囲まれ、運転手と警護員があわてて反対方向に逃げ出した体験についても書かれている。observingchinaは鄧小平ら長老たちの文革トラウマが過剰な武力弾圧につながったと考えているが、李鵬のこの記述はその仮説を裏付ける。
原本が中国語のものが英語に訳され、さらにそれを日本語にするので訳にずれがあるかもしれないが、SCMP紙の記事から興味深い部分を抜粋する。
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趙を除くすべての政治局常務委員メンバーが(戒厳令布告についての)鄧の決定を支持した。ただ、政治局で趙に近かった胡啓立は懸念を表明した。鄧小平の家を出る時の趙のうなだれた様子を見て意気揚々とした、と李は書いている。
5月19日、李は趙に代わる人物として江沢民がどのように選ばれたかについて書いている。会議が始まる前、鄧は李に彼が首相職を続投するだろうことを伝え、江沢民を新しい総書記にすることについて意見を求めた。李は全力で支持すると約束し、のちの会議で鄧は政治局常務委員たちに江沢民を新総書記にすると告げた。
江沢民は鄧小平から総書記就任を告げられた翌日の5月31日に北京にやって来た。しかし江は即座の就任を繰り返し拒否し、党規約に基づく選挙によって選ばれたいと申し出た。そしてそれまでの間、李に職務を代行してほしいを求めた。
6月3日夜、李鵬が人民大会堂で天安門広場への軍隊投入について会議を開いているとき、江沢民はとなりのビルの4階から広場の様子を見ていた。
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特に最後の記述が興味深い。4階から広場の様子をこっそり見ている江沢民の様子が目に浮かぶようだ。恐らく即座の総書記就任を断ったのも、事態がどちらに転んでもいいようにリスクヘッジしていたのだろう。今となっては想像できないかもしれないが、それぐらい当時の状況は流動的だった。
それにしても李鵬は筆まめな人だ。もう20歳若かったら、ツイッターにはまっていたかもしれない。
富士康の自殺者数は本当に平均以下か
深圳の台湾系電子機器下請けメーカー富士康で働く従業員の自殺者が12人になった。昨日はリストカット未遂もあったというから、未遂まで含めた「自殺」件数はもっと多いだろう。
同社はアップルのほか、デルや任天堂、マイクロソフトからも受注している。iPadの米国以外での発売日と重なってしまったために、「アップルの下請け工場」だとばかり報道されるのはアップルにはお気の毒。だがそれよりも、あちこちの記事の後ろにくっついている「人口比ではむしろ自殺数は少ない」という表現がむしろ気になる。

40万人といえば日本の中規模の市の人口と同じぐらいで、それだけの従業員が勤める工場というのはちょっと巨大すぎて想像がつかない。ただ分母を40万人として考えれば、富士康の12人の自殺者数は10万人当たりだと3人で、確かに都市と農村を合わせた中国の平均(10万人当たり13・9人)の4分の1でしかない(ちなみに日本は24・4人)。(データ引用元はこちら)
もちろん今年はまだ半分も終わっていないから、これまでと同様のペースで自殺者が増えれば、2010年の自殺者率は10万人当たり6~7人になるかもしれない。それでも中国平均の半分。農村の自殺率の4分の1、都市部とほぼ同じ、ということになる(データ引用元はこちら)。
富士康の工場を「農村と都市の中間地帯」と捉えれば、中国の総平均と比較するのが正しいだろう。ただここで注意しなければならないのは、自殺者の年齢層である。中国の自殺者の年齢で一番多いのは75歳以上の高齢者だ。
ということは、13・9人のかなりの部分を高齢者が占めるはず。データがないので、多少乱暴なロジックで仮定すると、75歳以上を除く年齢層は以下の五つ。
25~34歳/35~44歳/45~55歳/56~64歳/65~74歳
14人(四捨五入した)のうち、75歳上が最多でかつ25~34歳が一番多くなるケースは、すべて整数と仮定すると
4人/1人/1人/1人/1人/6人
しかない。今回の工場の自殺者は若者がほとんどのはずだから、「若者の自殺率」で見ると、富士康のケースは平均の「4人」より高いのではないか。とすると、富士康の労働はやはり過酷だったことになる。
どこから出たデータ(ダジャレではない)か不明だが、安易な情報操作に乗せられると、真実が見えなくなるかもしれない。
同社はアップルのほか、デルや任天堂、マイクロソフトからも受注している。iPadの米国以外での発売日と重なってしまったために、「アップルの下請け工場」だとばかり報道されるのはアップルにはお気の毒。だがそれよりも、あちこちの記事の後ろにくっついている「人口比ではむしろ自殺数は少ない」という表現がむしろ気になる。

40万人といえば日本の中規模の市の人口と同じぐらいで、それだけの従業員が勤める工場というのはちょっと巨大すぎて想像がつかない。ただ分母を40万人として考えれば、富士康の12人の自殺者数は10万人当たりだと3人で、確かに都市と農村を合わせた中国の平均(10万人当たり13・9人)の4分の1でしかない(ちなみに日本は24・4人)。(データ引用元はこちら)
もちろん今年はまだ半分も終わっていないから、これまでと同様のペースで自殺者が増えれば、2010年の自殺者率は10万人当たり6~7人になるかもしれない。それでも中国平均の半分。農村の自殺率の4分の1、都市部とほぼ同じ、ということになる(データ引用元はこちら)。
富士康の工場を「農村と都市の中間地帯」と捉えれば、中国の総平均と比較するのが正しいだろう。ただここで注意しなければならないのは、自殺者の年齢層である。中国の自殺者の年齢で一番多いのは75歳以上の高齢者だ。
ということは、13・9人のかなりの部分を高齢者が占めるはず。データがないので、多少乱暴なロジックで仮定すると、75歳以上を除く年齢層は以下の五つ。
25~34歳/35~44歳/45~55歳/56~64歳/65~74歳
14人(四捨五入した)のうち、75歳上が最多でかつ25~34歳が一番多くなるケースは、すべて整数と仮定すると
4人/1人/1人/1人/1人/6人
しかない。今回の工場の自殺者は若者がほとんどのはずだから、「若者の自殺率」で見ると、富士康のケースは平均の「4人」より高いのではないか。とすると、富士康の労働はやはり過酷だったことになる。
どこから出たデータ(ダジャレではない)か不明だが、安易な情報操作に乗せられると、真実が見えなくなるかもしれない。
中国奇跡のドイツ人ボランティア
ドイツ人エッカート・レーベ(42)は99年から広西チワン族自治区の貧村の小学校で、ボランティアの教師をしている。教えるのは、出稼ぎで家に両親のいない「留守児童」だ。
この10年間、彼はドイツの両親から仕送りを受けて生活してきた。毎月の支出は200元(3600円)以下。たまに翻訳収入を得ることはあるが、すべて慈善団体に寄付してきた。
レーベが教えるのは科学や美術、音楽。押しかけた当初は村民にとってほとんど初めての「老外(ガイジン)」として警戒されたが、今や生徒の70%を占める「留守児童」たちにとって、欠かせない親代わりの存在になっている。
レーベはこれまで、ブログで自身の教育体験はつづってきたが、基本的にメディアの取材は断り続けてきた。ところが09年12月、CCTVの人気番組「面対面」の取材を受けてから、彼の運命は大きく変わる。
■ベチューンは現代中国なら違法?
CCTVの取材をきっかけにメディアへの露出が激増。自分への関心が集まり始めたため、レーベは5月、「私は中国人ではなく、本来外国人がすべきでないことを行って中国人を傷つけた。あなた方の自尊心を傷つけないために、私は留守児童に関わるべきではない」というコメントを残してブログを閉鎖した。
彼が追いつめられたのは、「関係部局」の圧力からとみられている。最後のブログには、「関係部門の要求により、ここに宣言する。私は正式なボランティアの資格も教師の資格も持っていない」といういや~な宣言もさせられている。
香港の明報によれば、警告を発したのは自治区の公安庁。確かに、外国人が中国に仕事や就学などで居住するためには、受け入れ機関の同意の受けたうえで、公安局からビザを発給してもらう必要がある。レーベがどうやってビザを取得していたか(そして何ビザだったか)は謎だが、共青団のボランティアということになっていたらしいから、そこは中国的に「よしな」に解決されていたのだろう。
「留守児童」がいるのは事実だからしょうがない。だが、留守児童という恥を外国人に助けてもらっているという、いわば「二重の恥」を世界にさらすことはメンツが許さない――というメカニズムが動いて、気の毒にレーベは窮地に追い込まれた。
そもそも、外国人が広西チワン族自治区という田舎で、無給で10年もボランティア教師をやっている、ということが奇跡に近い。CCTVを見たが、現地の農民と子供たちのレーベに対する信頼は本物のようだ。
当然のことながら中国ネチズンは激怒している。「氷爆」ブログは「ベチューン(延安で解放軍のために働いたカナダ人医師)や雷鋒と同じ行為をする人が、中国では違法になる」という名言を残している。
彼が学校から去ったのかどうか、25日現在定かでない。ただネチズンの反応を見ていると、「中央サマ」が葵の印籠を振りかざして調停に乗り出してきそうな気もする。
この10年間、彼はドイツの両親から仕送りを受けて生活してきた。毎月の支出は200元(3600円)以下。たまに翻訳収入を得ることはあるが、すべて慈善団体に寄付してきた。
レーベが教えるのは科学や美術、音楽。押しかけた当初は村民にとってほとんど初めての「老外(ガイジン)」として警戒されたが、今や生徒の70%を占める「留守児童」たちにとって、欠かせない親代わりの存在になっている。
レーベはこれまで、ブログで自身の教育体験はつづってきたが、基本的にメディアの取材は断り続けてきた。ところが09年12月、CCTVの人気番組「面対面」の取材を受けてから、彼の運命は大きく変わる。
■ベチューンは現代中国なら違法?
CCTVの取材をきっかけにメディアへの露出が激増。自分への関心が集まり始めたため、レーベは5月、「私は中国人ではなく、本来外国人がすべきでないことを行って中国人を傷つけた。あなた方の自尊心を傷つけないために、私は留守児童に関わるべきではない」というコメントを残してブログを閉鎖した。
彼が追いつめられたのは、「関係部局」の圧力からとみられている。最後のブログには、「関係部門の要求により、ここに宣言する。私は正式なボランティアの資格も教師の資格も持っていない」といういや~な宣言もさせられている。
香港の明報によれば、警告を発したのは自治区の公安庁。確かに、外国人が中国に仕事や就学などで居住するためには、受け入れ機関の同意の受けたうえで、公安局からビザを発給してもらう必要がある。レーベがどうやってビザを取得していたか(そして何ビザだったか)は謎だが、共青団のボランティアということになっていたらしいから、そこは中国的に「よしな」に解決されていたのだろう。
「留守児童」がいるのは事実だからしょうがない。だが、留守児童という恥を外国人に助けてもらっているという、いわば「二重の恥」を世界にさらすことはメンツが許さない――というメカニズムが動いて、気の毒にレーベは窮地に追い込まれた。
そもそも、外国人が広西チワン族自治区という田舎で、無給で10年もボランティア教師をやっている、ということが奇跡に近い。CCTVを見たが、現地の農民と子供たちのレーベに対する信頼は本物のようだ。
当然のことながら中国ネチズンは激怒している。「氷爆」ブログは「ベチューン(延安で解放軍のために働いたカナダ人医師)や雷鋒と同じ行為をする人が、中国では違法になる」という名言を残している。
彼が学校から去ったのかどうか、25日現在定かでない。ただネチズンの反応を見ていると、「中央サマ」が葵の印籠を振りかざして調停に乗り出してきそうな気もする。