「千年の祈り」評

14日に日本公開が始まった映画「千年の祈り」を見た。13日の朝日新聞夕刊に載ったウェイン・ワン監督の「2人は美しい中国語を話す」という言葉に引かれて、美しい北京語聞きたさに銀幕の前に座った。沢木耕太郎が同じ朝日の映画コラム「銀の街から」でほめていたが、正直期待はずれだった(美しい中国語は聞けた)。
ストーリーはアメリカの大学で教員をする離婚した一人娘を中国人の父が訪ね、あまり幸せそうに見えない娘の暮らしをあれやこれやと心配する(母は既にガンで死去)。ロシア人教員と不倫中の娘はそんな父がうっとうしくてしかたない。口ケンカの拍子に、娘は父が自分の過去を偽っており、それを母も自分も知っていたと父に告げる……。
アメリカ市場を意識してか、「文革」「ロケット」「紅衛兵」「自己批判」といった、分かりやすい60~70年代中国タームが物語のあちこちに散りばめられている。ネタは明かさないが、映画の最後で明かされた父の秘密は、どうしても表層的で深みがないものにしか感じられなかった(もちろんサスペンスもない)。もし監督が「文革イコールしなくてもよかった苦労」ということを訴えたかったのなら、それは20年前以上の「芙蓉鎮」の時代のモチーフでしかない。
父と片言の英語で交流する外国人の老女がイラン人、という設定(当然、イラン革命やイラン・イラク戦争の被害が言葉の端々に出てくる)も安易にすぎる。
ただ一つ良かったのは、アメリカに住む中国人の疎外感を実感することができたこと。「グラン・トリノ」を見たときも思ったが、アメリカというのはつくづく外国人が何の背景(カネとか知識とか、あと体力)もなしに住むと、あっという間に他人の暴力や欲望に飲み込まれる国だ。
文革という負の過去を背負った老人と、夢の国であるアメリカで苦悩する娘の邂逅——この単純すぎる構造を見ただけで「嫌な予感アンテナ」が働かなかったのは、主演の兪飛鴻(英語名Faye Yu)のいかにも中国人らしい美しさに惑わされたせいかもしれない。
*よっぽど15日夜にフジテレビで放送された「実写版サザエさん」の鶴太郎(波平役)のほうが「深み」があった。鶴太郎が文化人化してコメディをやらないのは、日本の大いなる文化的損失である(関係ないが)。

でっちあげ捜査騒動@上海
10月14日午後7時。上海市浦東新区でミニバンを走らせていた建設機械会社の運転手、孫中界(18)の前に、男が突然飛び出してきた。「航頭鎮まで帰らなきゃいけないんだけど、バスはもうないし、こんなところタクシーも来ない。連れて行ってくれないか?」
「連れて行ってくれよ」。孫の答えも待たず、男はドアを開けて助手席に乗り込んでくる。たしかにこの時間、この付近にもうバスは走っていない。この事情を知っていた孫は男の要求に不自然なところも感じず、彼を車に乗せた。
約1・5キロの道のりを運転している間、2人の間に会話らしい会話はなかった。男は孫の冗談にも答えない。ところが孫が目的地のセメント工場の近くに車を止めようとしたとたん、男は突然ズボンの右ポケットからカネを取り出し、助手席のダッシュボードの上に置いた。そしてむりやり車のキーを抜く、という奇怪な行動に出た。
「車を盗られる!」。こう思った孫はアクセルを思いっきり踏み込み、前の車にぶつけようとした。前の車にぶつけてしまえば、もう自分の車を盗まれることもないからだ(ホントか?)。
孫がアクセルを踏むのとほぼ同時に、男は左足でめいっぱいブレーキを踏み込む。ミニバンは前の車にぶつかることなく停車し、孫がポケットから携帯を取り出して警察に電話しようとしたそのとき、胡同からわらわらと何人もの男が飛び出して来た――。(百度百科「孫中界」より)
※

孫はこの後上海市浦東新区当局に拘束され、なくなく「黒車(無許可のタクシー営業)」を認める書類に署名させられた後ようやく釈放。その後「身の潔白を立てる」ため、左手小指を切り落とそうとした一件がネットで騒ぎになり、いったん「問題なし」と結論付けていた浦東新区政府が10月26日、「捜査の過程で違法な手段を使ったことは事実。このため(孫に対する)法の執行を停止する」と決定を180度転換した――これが先月来、中文ネット界を騒がせている孫中界事件の概要である。
■□捏造捜査と上海万博の「関係」■□
この事件が示すのは、中国社会におけるネットの影響力だけではない。一つは警察(この場合は交通当局だが)のむちゃくちゃな取締りの問題。そしてもう一つ、「黒車」の問題もあると思う。
百度の記事によれば、捕まった孫が護送された車の中には、ほかにも「釣魚」(ひっかけ捜査)であげられた容疑者が3人乗っていた。上海市当局が白タク(中国語と日本語で黒白が逆転するのは興味深い。余談だが)の取り締まりに熱を入れるのは、5月開幕の上海万博前の浄化作戦の一環だと思う。おそらく現場には山ほどノルマが課されているはずだ。捏造しないと追いつかないほど厳しいのだろう。
□■「黒車」は増えて共産党が困るわけ□■
日本でもそうだが、中国でもタクシー運転手は多くの場合リストラされた人々の仕事の受け皿になっている。正規の運転手から見て「黒車」は多くの場合、収入を奪ってしまう憎い相手でしかない。黒車が増えて正規の運転手が食えなくなれば、社会不安も増大する。古今東西の例に漏れず黒車の背後にはヤクザもいるのだろうから、黒車が増えるほど共産党にとって不安定要因が増える――熱心な取締りにはそんな背景もあるはずだ。
長らく中国語世界だけで盛り上がってきたネタだったが、英語メディアが食いついたことで今後、世界に「中国の赤っ恥」がまた広がりそうな気配もある。
しかし「捏造事件で逮捕→自分の指を落としてまで抗議→ネチズンが正義の声を挙げる→当局が誤りを認めて撤回」という、いかにもネット受けする展開をたどった事件だった。
「連れて行ってくれよ」。孫の答えも待たず、男はドアを開けて助手席に乗り込んでくる。たしかにこの時間、この付近にもうバスは走っていない。この事情を知っていた孫は男の要求に不自然なところも感じず、彼を車に乗せた。
約1・5キロの道のりを運転している間、2人の間に会話らしい会話はなかった。男は孫の冗談にも答えない。ところが孫が目的地のセメント工場の近くに車を止めようとしたとたん、男は突然ズボンの右ポケットからカネを取り出し、助手席のダッシュボードの上に置いた。そしてむりやり車のキーを抜く、という奇怪な行動に出た。
「車を盗られる!」。こう思った孫はアクセルを思いっきり踏み込み、前の車にぶつけようとした。前の車にぶつけてしまえば、もう自分の車を盗まれることもないからだ(ホントか?)。
孫がアクセルを踏むのとほぼ同時に、男は左足でめいっぱいブレーキを踏み込む。ミニバンは前の車にぶつかることなく停車し、孫がポケットから携帯を取り出して警察に電話しようとしたそのとき、胡同からわらわらと何人もの男が飛び出して来た――。(百度百科「孫中界」より)
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孫はこの後上海市浦東新区当局に拘束され、なくなく「黒車(無許可のタクシー営業)」を認める書類に署名させられた後ようやく釈放。その後「身の潔白を立てる」ため、左手小指を切り落とそうとした一件がネットで騒ぎになり、いったん「問題なし」と結論付けていた浦東新区政府が10月26日、「捜査の過程で違法な手段を使ったことは事実。このため(孫に対する)法の執行を停止する」と決定を180度転換した――これが先月来、中文ネット界を騒がせている孫中界事件の概要である。
■□捏造捜査と上海万博の「関係」■□
この事件が示すのは、中国社会におけるネットの影響力だけではない。一つは警察(この場合は交通当局だが)のむちゃくちゃな取締りの問題。そしてもう一つ、「黒車」の問題もあると思う。
百度の記事によれば、捕まった孫が護送された車の中には、ほかにも「釣魚」(ひっかけ捜査)であげられた容疑者が3人乗っていた。上海市当局が白タク(中国語と日本語で黒白が逆転するのは興味深い。余談だが)の取り締まりに熱を入れるのは、5月開幕の上海万博前の浄化作戦の一環だと思う。おそらく現場には山ほどノルマが課されているはずだ。捏造しないと追いつかないほど厳しいのだろう。
□■「黒車」は増えて共産党が困るわけ□■
日本でもそうだが、中国でもタクシー運転手は多くの場合リストラされた人々の仕事の受け皿になっている。正規の運転手から見て「黒車」は多くの場合、収入を奪ってしまう憎い相手でしかない。黒車が増えて正規の運転手が食えなくなれば、社会不安も増大する。古今東西の例に漏れず黒車の背後にはヤクザもいるのだろうから、黒車が増えるほど共産党にとって不安定要因が増える――熱心な取締りにはそんな背景もあるはずだ。
長らく中国語世界だけで盛り上がってきたネタだったが、英語メディアが食いついたことで今後、世界に「中国の赤っ恥」がまた広がりそうな気配もある。
しかし「捏造事件で逮捕→自分の指を落としてまで抗議→ネチズンが正義の声を挙げる→当局が誤りを認めて撤回」という、いかにもネット受けする展開をたどった事件だった。
彭麗媛と習近平(続)
彭麗媛団長率いる人民解放軍総政治部歌舞団が8日、来日した。10日都内で会見したが、彭団長がその場には現れなかったようだ。彭麗媛のいない「木蘭詩篇」なんて、トウガラシを入れないマーボードーフみたいなもの。ということで、今回はネットで見つけた習・彭夫妻の昔の記事を紹介したい。特に習近平が注目される前の文章なので、ディテールに意外な発見もあった。

記事は1998年刊の雑誌「中国文芸家」に書かれた「彭麗媛と彼女の夫」(筆者・裴佳)。当時、習は福建省党委員会副書記。記事はその10年前、アモイ市副市長だった習と彭の出会いのころから書き起こしている。
「2人の結婚は『玉の輿』と思われがちだったが、実は24歳の彭麗媛は習近平と同等の(幹部行政?)級別の持ち主であり、かつ中国音楽院の特待生でもあった。だが知り合ったときは互いに互いが何者かはよく知らなかった」
習はアモイ市副市長なので、おそらく局長級副職という行政級別だったろう。彭麗媛もすでにこのとき、直轄市以外の大きな市の副市長もしくは、中央官庁の副局長レベルという高い地位にあったということだ。
「彭麗媛の実家は山東省鄆城にあり、父親は知識水準が高く、創作活動もしていた県の文化館長だった。母親は劇団の主要メンバー。彭は小さいころから父母に連れ立って文芸作品の鑑賞に出かけ、芸術に親しんできた」
「彼女の祖父母はともに農村にいたので、毎年学校が冬期休暇になると、彼女は農村の祖父母の家に赴き、農民の生活というものを実体験した。そこで彼女は『黒うどん』『黒饅頭』『黒漬物』といった食事を食べ、親戚の子供たちと畑を耕した。習近平もかつて8年間下放で農村にいたが、そのとき彼は肉というものを口にしたこともなかった。生産大隊に豚肉が回ってきたとき、彼は『肉、肉とはこんなによい香りがするものなのか』と、感嘆したのだという」
彭麗媛は1962年生まれだから、文革開始時に4歳、終了時に14歳だったはず。父親は打倒されていたという話だから、その間は祖父母の家にかくまわれていたのかもしれない。
「結婚して十年来、習近平は彭麗媛に家事をやれと要求したことはない」
おそらく、家事はアーイーさん(笑)がやるのだろう(そりゃそうだ。美空ひばりにトイレ掃除させるようなもんだ)。
■□98年当時に流れた不仲のうわさ□■
「しかし近年、彭麗媛と習近平の間に感情のもつれがあるとうわさされている。本当のところはどうなのか?」
と、記事は突然「女性セブン」みたいな展開を見せ始める。「香港の『文匯報』の記者が彭麗媛に向かってこの件を追及した」(以下一問一答)。
Q:家庭はどうですか?
A:(笑)家庭は円満よ!
Q:うわさ<みたいなこと>はある?
A:ないわ。
Q:あなたの家庭に変化はありませんか?(と、この記者は依然しつこくあきらめない)←職業的美徳だと思うが…
A:(断固たる様子で)そういうのは嘘八百よ!
比較的仲のいい夫婦と思われていたが、98年当時には不仲の噂もあったということらしい。習は福建省の後も浙江省、上海と07年に政治局常務委員に昇格するまで地方勤務が続く。これだけ遠距離生活が続けばさもありなん、という気がするが、実際のところはどうだったのか。
東方早報によれば、10日朝の会見に彭が出なかったのは「北京の天候不順で飛行機が遅れたため」とか。北京は9日夜から10日にかけてまた雪が降った。
最初は会見時間が「9日夜」とも伝えられていたから、おそらく彭団長の来日に間に合わせようとして間に合わなかった、ということなのだろう。
雲隠れならぬ「雪隠れ」なのかもしれないが。

記事は1998年刊の雑誌「中国文芸家」に書かれた「彭麗媛と彼女の夫」(筆者・裴佳)。当時、習は福建省党委員会副書記。記事はその10年前、アモイ市副市長だった習と彭の出会いのころから書き起こしている。
「2人の結婚は『玉の輿』と思われがちだったが、実は24歳の彭麗媛は習近平と同等の(幹部行政?)級別の持ち主であり、かつ中国音楽院の特待生でもあった。だが知り合ったときは互いに互いが何者かはよく知らなかった」
習はアモイ市副市長なので、おそらく局長級副職という行政級別だったろう。彭麗媛もすでにこのとき、直轄市以外の大きな市の副市長もしくは、中央官庁の副局長レベルという高い地位にあったということだ。
「彭麗媛の実家は山東省鄆城にあり、父親は知識水準が高く、創作活動もしていた県の文化館長だった。母親は劇団の主要メンバー。彭は小さいころから父母に連れ立って文芸作品の鑑賞に出かけ、芸術に親しんできた」
「彼女の祖父母はともに農村にいたので、毎年学校が冬期休暇になると、彼女は農村の祖父母の家に赴き、農民の生活というものを実体験した。そこで彼女は『黒うどん』『黒饅頭』『黒漬物』といった食事を食べ、親戚の子供たちと畑を耕した。習近平もかつて8年間下放で農村にいたが、そのとき彼は肉というものを口にしたこともなかった。生産大隊に豚肉が回ってきたとき、彼は『肉、肉とはこんなによい香りがするものなのか』と、感嘆したのだという」
彭麗媛は1962年生まれだから、文革開始時に4歳、終了時に14歳だったはず。父親は打倒されていたという話だから、その間は祖父母の家にかくまわれていたのかもしれない。
「結婚して十年来、習近平は彭麗媛に家事をやれと要求したことはない」
おそらく、家事はアーイーさん(笑)がやるのだろう(そりゃそうだ。美空ひばりにトイレ掃除させるようなもんだ)。
■□98年当時に流れた不仲のうわさ□■
「しかし近年、彭麗媛と習近平の間に感情のもつれがあるとうわさされている。本当のところはどうなのか?」
と、記事は突然「女性セブン」みたいな展開を見せ始める。「香港の『文匯報』の記者が彭麗媛に向かってこの件を追及した」(以下一問一答)。
Q:家庭はどうですか?
A:(笑)家庭は円満よ!
Q:うわさ<みたいなこと>はある?
A:ないわ。
Q:あなたの家庭に変化はありませんか?(と、この記者は依然しつこくあきらめない)←職業的美徳だと思うが…
A:(断固たる様子で)そういうのは嘘八百よ!
比較的仲のいい夫婦と思われていたが、98年当時には不仲の噂もあったということらしい。習は福建省の後も浙江省、上海と07年に政治局常務委員に昇格するまで地方勤務が続く。これだけ遠距離生活が続けばさもありなん、という気がするが、実際のところはどうだったのか。
東方早報によれば、10日朝の会見に彭が出なかったのは「北京の天候不順で飛行機が遅れたため」とか。北京は9日夜から10日にかけてまた雪が降った。
最初は会見時間が「9日夜」とも伝えられていたから、おそらく彭団長の来日に間に合わせようとして間に合わなかった、ということなのだろう。
雲隠れならぬ「雪隠れ」なのかもしれないが。