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オバマ対CCTV余波

しばらく前の話になるが、「100人会(Committee of 100)」という在米華僑組織の会議が12月8、9日に北京であり、そこにアメリカの駐北京大使ジョン・ハンツマンが講演者として参加した。

ハンツマンは共和党員の前ユタ州知事で、08年大統領選ではマケイン陣営に参加しオバマと戦った人物。モルモン教徒で台湾での布教経験があり、北京語に堪能なところをオバマが「一本釣り」した。米ニューズウィーク誌によると気さくな人柄らしく、今年夏の着任以降すっかり中国人を魅了しているらしい。

亜洲週刊12月27日号によると、そのハンツマンが同会の昼食の席でCCTVのキャスター芮成鋼と同席し、芮に次のような質問を投げかけられたのだという。

「オバマ大統領は中国で歓迎されたのに、帰国後待っていたのは全体の80%を占めるネガティブ報道だった。これについてどう思うか? またなぜ大統領はCCTVの取材を受けず、南方週末を選んだのか?」

芮は32歳のCCTV経済チャンネルキャスター。ビル・ゲイツや小ブッシュ、ガイトナー米財務長官など主に英語圏の名士との華麗なインタビュー歴を誇り、01年には世界経済フォーラムの<Global leader for tomorrow>に選ばれている。07年ブログで「スタバは故宮から出て行け」と書いてニュースになった人物、と言えば思い出してもらえるだろうか。もちろん立派な党員サマである。

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この「明日の世界のリーダー」(↑なんじゃこの気取った写真は)の質問に、ハンツマンはこう答えた。

「1人の記者が大統領に随行取材して良い話しか書かないとする。それがメディアの自由だろうか? 私はアメリカメディアの仕事を支持する。政府にとって批判されるのはいいことだ。批判から我々は学習する。すべて耳障りのいい話を聞くよりずっといい」

南方週末の問題については「日程調整をしたホワイトハウスに聞いてくれ」と受け流したのだという。

■□言葉は通じても理解できない関係■□

以前、オバマ・インタビューをするつもりだったのは水均益ではと書いたが、どうやら本命はこの芮成鋼だったようだ。亜洲週刊によればこの芮成鋼、今年夏(?)のG8サミットでオバマに「全中国人民と全世界人民を代表して」質問し、注目を集めたらしい。

全世界を代表する!? この男の鼻がピノキオのように伸びきっているのは、間違いなく自分が今や世界に冠たる「中国」「経済」の体現者である、という自覚からだ。スタバの件も台頭する中国ナショナリズムを具現している。

そして彼が平気で「裸の王様」していられるのは、「他人の眼など99%気にしない」中国人気質と無縁ではない。「他人の眼は99%気にする」日本人気質もどうかと思うが、ここまで極端だとさすがに中国人以外はドン引きする。「なんで大統領はオレのインタビュー受けないんだ?」ってアメリカ大使に聞くか、普通?

そもそも「党的喉舌(党の代弁者)」であるCCTVや人民日報や新華社の記者をジャーナリスト扱いするのが間違っている。ハンツマンの話も芮には理解できなかったのではないか。同じ言葉(中国語か英語か知らないが)をしゃべっていても、「文化」が違うから話が通じないのである。

習近平去って「憤青」残る

習近平が日本を去った。身体のでかさ(↓)と天皇会見をめぐる不快感ばかりを残して次期総書記は機上の人となったように見えるが、もう一つ大切なものを日本に残してくれた。日本版「憤青」だ。

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天涯社区が習の天皇会見にあわせた掲示板を開設している。日本ヤフーの掲示板への書き込みがコピペされているのだが、冷静な中国ネチズンと逆上する日本ネチズンの対比が際立っている。

簡単に言うと、小沢幹事長や民主党に対して「売国奴!国賊!」と大絶叫する日本ネチズンに対して、中国側は余裕で事態を静観している。中共が望みどおり天皇会見を実現した経緯を見れば余裕シャクシャクなのも当然だが、その背景にはやたら好調な中国経済への自信もなんとなく感じられる。対する日本側はやたら悲壮感いっぱいで、まるで一昔前の「憤青」がすっかり日本に移ってきたみたいである。

ところで掲示板を見ていても、ほとんど「天皇」に対する罵詈雑言というのは見られない。しばらく前、在京の中国紙特派員に「今の中国人は昭和天皇に対してはいまだに戦争感情を引きずっているが、現在の天皇と天皇家については悪い印象は持っていない」と聞いたことがある。よく言えば無関心、うがった見方をすれば日本は中国人の視野から消えつつある、ということだ。

ホントに「朝貢外交」しないといけない日がそのうち来るかもしれない。

※習近平写真集:(たぶん)親中でしられる松山バレエ団と(あまり新聞では見なかったカット↓)。

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習近平来日:天皇会見は国事行為か

<問題文>
中国国家副主席の来日に際して、宮内庁長官の反対にもかかわらず内閣が副主席と天皇との会見を強行した。国家副主席との会見は憲法第5条の「国事行為」に該当するか。また該当しないとして、かかる行為に内閣の助言と承認は必要か。

<答案>
1 まず本問会見が「国事行為」に該当するか検討する。

(1)6条および7条の言う「国事行為」中、外国政府要人との会見行為に該当しそうなものには「外国の大使及び公使を接受すること」「儀式を行ふこと」がある。本問国家副主席が「外国の大使及び公使」に該当するか、また会見が「儀式」に当たるかが問題となる。

(2)中国国家副主席は大使や公使よりかなり大物であるが、外交通例上定義のはっきりした「大使」「公使」に該当しないことは明らかである。

(3)「儀式を行ふ」とは通常は儀式を主催し執行することであるが、会見とはそもそも「双方が会って、仲良くあいさつやおしゃべりをしましょう」という趣旨のものであり、天皇が主催者の「儀式」とは解し難い。

(4)よって、本問会見は5条の「国事行為」に当たらないと解する。

2 では本問会見は天皇の「公的行為」に該当するか。天皇は5条の「国事行為」と私的行為以外に外国元首を接受するなどの行為を行っているが、本問会見を「公的行為」として認めるべきかどうか問題となる。

(1)天皇の公的行為を「象徴としての地位に基づくもの」と解する説(象徴行為説)や、公的行為は天皇の公人としての地位に伴う当然の社交的・儀礼的行為であると解する説(公人行為説)があるが、いずれも公的行為の範囲が明確でなく、天皇の権能を5条の立法趣旨に反して広げてしまうおそれがある。

(2)一方、天皇の行為には「国事行為」以外には私的行為しか存在しないと解する説もある(国事行為説)。天皇の「国事行為」を限定する意味で5条の立法趣旨に沿うが、この説は例えば、外国元首との親書交換は私的行為だが、外国の国家儀式への参加は7条の「儀式を行ふ」に該当すると考える説である。しかし儀式への参加まで「儀式を行ふ」と解釈することは文理上無理がある。

(3)そこで、外国元首の社交的接受など国事行為に密接に関連する行為のみを「公的行為」と認めれば、公的行為の範囲を絞ることができ(準国事行為説)、天皇の権能を制限するという5条の立法趣旨に反しない。

(4)中国国家副主席は「外国の元首」はでないが、次期中国元首となるのが明らかな人物であり、「外国元首の社交的接受」の範囲に含めて良い。

(5)よって本問会見は国事行為に準ずる「公的行為」と認めるべきと解する。

3 本問会見が公的行為に当たるとして、かかる公的行為にも内閣のコントロールが及ぶのか問題となる。

(1)5条は、大日本帝国憲法下で天皇の権能に対する解釈が無制限に拡大し戦争の惨禍を招いた反省から、天皇の権能を大幅に限定し、かつその権能に対しても内閣が強くコントロールする趣旨で制定された。

(2)かかる立法趣旨に鑑みれば、公的行為も国事行為と同様に内閣の助言・承認を必要とすると考えてよい。準国事行為の範囲を絞ることで、天皇の権能を必要以上に広げることにならない。

(3)なお、本来すべて形式的・儀礼的でしかない天皇の国事行為に対する内閣の「助言と承認」に実質的決定権があるかどうか学説が分かれているが、内閣が実質的決定を行っても天皇の国事行為の形式性が失われないなら、憲法の趣旨には反しないと解する。

(4)よって、本問会見は5条の「国事行為」に準じる公的行為であり、かつ内閣の助言・承認を必要とすると解する。

<コメント>
改めて立法趣旨が大事、ということですね。