引きこもり、摂食障害克服までの道のり と ココロのこと -35ページ目

blog…夜中10月21日木曜日 小さな自信と涙

乗り越えたはずの事を追いかける事が、こんなに大変かと思いました。(感慨深すぎで年寄りのように反芻しております。苦笑)


でも、今は克服前と心持ち全然違います。(違わんとまだまだ甘えたいところですが、きちんと認めます)


希望ってやつがあるみたいです。


きっと何かちょっと自信がついたのかも知れません。


頑張ったことが、初めて手の中に残った感覚を、絶対大事にしたいと思いました。


食べる。耐える。受け入れる。


このたった小さな毎回の食事の作業が、本の小さな小さな自信を私は自分に残してきたように思います。


時間もかかるし、その割りに小さすぎる得るもの。


でも、ちゃんと残ってる感覚。大事にしたいです。




克服前は「理想」があって、これまた間違った「理想」の持ち方だったのが悪いのですが、その理想に向かって、背伸びをしすぎた頑張りを自分に強いてしまっていました。


早く結果が欲しかった。でも面白いように何も残らなかった。


落ちていくスピードは速いのに、失速する感覚は強いのに、経ってゆく時間は早いのに、それに対してコツコツ積み上げていく作業を「敵も分からない(分かろうという頭さえ無かった)、愚かな恐さ」から「怠けて」しまっていたのだと痛感しています。


これが、本当の、反省か・・・・・。と反省の意味も何となく分かった私は30代半ばの中身子供の人間です。


自然とそう思います。




今、私は理想を持って居ない状態です。


きっと、自分の声をちゃんと聞いて、ありのままで居られたなら、きっとそれのための「正しい」努力を自然とするのでしょう。それが「自己実現」に向かうのかもしれないなと最近ぼんやりとですが、思います。




沢山の頑張ってらっしゃる皆さんを感じると、やはり焦ります。


次へ、次へ。でも焦りは禁物。




ここで踏ん張らねばー。




休むのも、勇気の要ることですなんですね・・・・。ああ、まだ苦手です。




私は5,6歳から精神年齢が止まっている外見は大人の人間です。


だからまだ人のことを考えたりする余裕が本当に欠如してるところがあります。


ここは母代わりの大人の自分が手探りで、本当の意味で自分を導いてくれる「内なる子供」に耳を傾けねばと真剣に考えています。


精神面と外見のギャップをこれからじっくり埋めていかねばな、と腹をくくり中です。




克服していく中で、どれだけ自分本位でしか考える事が出来なくなっていたのかと、空恐ろしくなります。


でも、必要だったことだときちんと受け止め、克服の為に前を向くことが、こんなに大変なこととは知りませんでしたし、またそのことを丁寧に大事にしていかねばと毎日思います。




こんなに内側から感じる前へ進みたい・・・という気持ちを感じたのは本当に最近です。




これからきっと幸せになっていかねばならないのでしょう。




まだまだ自分ばかりで数秒後の目の前のことで精一杯。長いスパンで色々考えられないのはまた訓練しかない気がいたします。(今日もそれで大失敗でおお泣き)




子供のまま、大人になってしまった。その間の苦労は無駄になるのだろうかと毎日泣いてばかりでしたが、きっと、ココロを育てていけるようになれば、今までの苦労は倍以上の力になって帰ってくるのだと信じたい。




読んでくださる方に本当に励みと元気を頂きます。




今日も沢山泣いたけど、昔のように人の気持ちを欲しがる弱々しい涙ではありませんでした。




明日につなげるために、踏ん張ります。

blog…本日10月21日水曜日

今日はお昼間は温かかったですね。

書き手はまだ、記事の続き(そばにいてくれる人を、味方にする)で悶々としています。
様々な理由で深刻になって行った摂食障害。とうとう辛さが噴出してしまった日の話なので書いているとどうしても感情が入り乱れて文章が脱線して行きます。

『それ、今関係ないじゃん』の連続…。
書いている間にふと浮かんだことを掴み損ねて『あ、ちょっとそれ待った!』とか…。アァ…。

抱えきれない『辛い』。
でも内容はいつもほぼ同じの『辛い』の蓄積だったなぁ~と思ったり…。
新しい世界(普通に食べていた状態に戻るだけだけかもしれないけれどこう感じました)に新しい方法(これも同じ)で飛び込むのは本当に勇気いった…というか破れかぶれだったなぁ~…とか

物理的に症状は良くなっても、考え方の『癖』はなかなか抜けないのだな…と思ったり。
これも毎日訓練しかないです…たぶん…。


方法論だけ書くのが嫌で、それに到達するまでの『気持ち』を追い掛けて行くのは、客観的に自分を見ることしかり、内面に素直な気持ち、良くない気持ち…それから希望…でしょうか…。
希望かぁ…そんなんあったかなーと思うのですが無かったら進まなかったでしょうからそれをどこに見出だしたか、も出来れば見つけて行けたらな…と思います。



本日の書き手は体が怠め、煮え切らない感じで少し落ち着かない、なかなか堪え性の無い私は、しっかり食べよう!と言う日にしました。(もちろん体がいらないと言ったらそこでやめます)

朝から体と相談して食べたいものだけ!しっかり食べよう!
選んだのは
昆布おにぎり、焼鳥もも二本タレ、何故か栗のデニッシュ。
次に、鳥むね肉一枚照り焼き、ご飯一膳半、卵、キャベツ千切り。おやつにアーモンド、カシューナッツ、クルミ数粒づつ。
食べたー。(今回お菓子は思い付かなかった。前は飛びついていました)

しかし夜も食べる予定です!
たぶんこういう日にしっかり食べると、次落ち着いている事が多いので、食べないでイライラしそうならしっかり食べようと思います。野菜不足気味だなと思ってもこういう日は気にしません。
足り無くなったら体が欲しいというだろう、程度にして、『摂取しなくちゃ』の考えはやめてます。

やばいなーもしかして風邪かなー流行ってるからなー

克服後・実験・空腹の過程を追ってみた2

前記事より続く


3時間ほど更にたち、集中力ではごまかしきれない体のきしみと空腹とは言いがたいなんというか生命力のない古木になったような内臓を感じていました。

私の中の子供は無口になってしまってやり続けるしかない状態になっていました。

さあ、お母さん役の私はどうするか。仕方がない、私の中の子供が、「あくまで作業中断はいや!」というですから近くにある棒アイスを与えました。モクモクと食べる私。このときはおいしくもないし、必要だから入れているという感じでした。

でも胃が、ほっとしているのが分かりました。

拒食時に、食べ物が受け付けられない内臓になるのは、これが入り口なのかなと再認識しました。あまりに食べ物を入れないために内臓が水を与えられない植木みたいに枯れてしまうという感じです。

枯れてしまったら、再生させるのは大変です。深刻な胃腸障害を起こしている方は本当に大変だと思いました。

拒食の方でアイスなら食べられる。という方は沢山いらっしゃいます。その意味にこれも含まれているのだと思います。


こうなると、このは体とココロと頭で相談です。

やめるか、続けるか・・・・・

私の中の子供は、「やる」といいました。

悔いが残らないにはこれしかないようです。後々のことを考えると困ったな~と私は思いましたが、今日は実験なので続行です。私の中の子供は「やった!」とわがままが通って喜んでいます。

体と頭はかなり不服そうでぶうたれています。

そして3時間。水分のみ500ml入れました。もう糖分も「いらない」となりました。気持ち悪くなると体が言うからです。

体は枯渇状態、頭に血が上って首に手を当てると熱い。熱でも出しているみたいです。買って来た水を常温に戻すため(冷たい水もこの時は胃の負担になるとわかるからです)首に当てながら続行しました。

以前どこかの自販機で「あったか~い」と「冷た~い」のほかに、「ぬるい」というコーナーがあったのを思いまだしました。笑 あの時は、わかってるね~と思ってニンマリしたのを覚えています


そして3時間、とうとう私の中の子供が、「飽きた」と言い出しました。

お母さん役の私は「もうちょっとキリがいいまでやったらば?」と思ったりしましたが、もう限界です。

ここで終了。


体はフラフラ、首から頭は熱くて頭痛が酷い状態、目も熱でやられて痛い、内臓もどんより重く疲弊してべっちゃりと胃壁と胃壁がくっついているようななんともいえない疲労感でした。

でも悔いなし。

私の中の子供が「飽きた」と言っているので良しとします。


外に出て、ああ~!つかれた~!!!やりすぎた~!と伸びをしたとたん、へたり込んでしまいました。体中の緊張から開放されたのだと思います。

ふう~と暫く座ってボーっとしたら、少し元気が出てきたので帰路に着きました。

歩いているうちにだんだんきしんだ体がほぐれてきました。

そうしたら、「お腹すいた~~~~~~~~~~!!!」となったので、その辺の丼物屋さんで、丼物、お味噌汁、サラダを頼み、がっついてみました。

いつもみたいにゆっくり食べられなかったです。

おいしくておいしくてガツガツ。道路工事のお兄さんが近くでがっついていましたが、スピードは変わりませんでした。笑

途中、ふうと息をついたら、ぐっとお腹に食べ物がたまっている感じを感じることが出来ました。

そうしたら、食べる勢いが収まり、最後はちょっと残しました。

食べちゃおうかなと思いましたが、「もう味が濃くていらないよ~」という声が体から、頭からします。

苦しくなりすぎて歩くのが辛くなる前に、ご馳走様が出来ました。(訓練の賜物)

最後お茶を飲んでいたら、ぐんぐん体が温かくなってくるのを感じました。もう、ぽっかぽか!冷え性で苦しんでいた私はどこへやら・・・です。摂食障害時はいくら食べても温かくなったりしませんでしたので、これは治ってから食事ごとに感動しています。

そしてこの時間は夜の12時です。


━─━─━─━─━─


摂食障害を治すために食べる時間は気にしないようにしました。

夜、お腹空いたようだったら絶対お米一膳は食べることを実践してきました。

一度太ってから段々からだが戻るまでも、それはやめませんでした。今もです。

食べたいのに、食べないでいると、イライラして、睡眠もろくに取れなくなるからです。治ってからは、体の疲れを優先して寝ちゃうこともできるようになりましたが、それは日々、体に充分エネルギーを入れているからこそできることだということを身をもって知ることになりました。

ステップあやさんの記事 で、夜は代謝が10%落ちるだけだけど、時間を空けるぎると40%も代謝が落ちる!と読んで、これはどう考えても理にかなってるだろうと思ったので信じております。)


その過程も、これからきちんと書いていこうと思います。


思い切り食べた私は「食べちゃった・・・」とはもはや思いません。思っちゃダメと言い聞かせています。

「はあ~!!おいしかった~!!たべ~た~!!」と何度も言いながら帰りました。

まだまだ恐いなって思ったりしますが、「ヤッパリ大丈夫だ」とまた次の日に安心できるのを経験で知った私は平静でいられます。


この日、集中したために空腹を感じなかったのはエンドルフィンって脳内物質も関係しているのでしょうけど、一番は脳が興奮状態になるとガッとでてくるドーパミンって脳内物質も強く関係しているのだろうなあ~なんて思いました。(ドーパミンに関してはステップあやさんのコチラの記事「http://ameblo.jp/step-aya/entry-10177971743.html 」)


かくして、この日は全身酷使(運動ではないけれど)したのでぐったり。

イライラしたり、落ち着かなくても、休まなければなりません。

私の中の子供が、「つまんないよ」とぐずっていましたが、なんとかなだめて寝付かせました。


この日は

ご飯一膳、佃煮昆布、アイスニ個、ジュース500ml、丼物、お味噌汁、サラダ

ざっと見積もっても1600カロリーはとっています。何気にカロリーはとってるんですよね。

これだけ何かをし続けるということは、それだけエネルギーが必要だということですよね・・・。運動量が多ければもっともっと必要なはずです。摂取しなければ、体は生命維持の為にエネルギーの流れを止めようとする・・・・もっともな話です。。

こんなもの食べるくらいなら、普段はきちんとしたご飯をた方が断然力もわいてきますし、集中力の「力」の部分の意味合いが全く変わるんです。

アイスなんて食べても、体が温まりませんでした。ジュースもそうでした。

お米を食べたとき、汁物(塩分もとても大事。私は塩分も浮腫みたくないので殆ど取らないようにしていました。)を頂いたとき、体に力が充満していくのを感じます。

治る前は、この感覚も、太る、太る!と恐かったのですが、それは間違いだったと今、思っています。






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克服後・実験・空腹の過程を追ってみた【子供の私とお母さん代わりの私】

前記事の続きを書いていたのですが、書いている本人が思い出して辛くなり文章がまとまらなくなってしまいました。思い出しながら書いているので頭があっちにいってしまい、誤字脱字も多く・・・・。

それと同時に、本当につい最近のことだったんだと改めて感じました。書いていたメモなどを見ると思いのほか気持ちがぐっと苦しくなりました。克服してもこのことはきちんと自分の中に捕まえておこうと改めて思いました。

今、まとめている最中です。


今日は違うことを書きます。


空腹・・・・のイメージ。


摂食障害の時は、

■拒食→気持ちいい(脳内でエンドルフィンとかいうのが分泌されているかららしい。詳しくはコチラ→ステップあやさん「過食を止めたい!」記事参照。 めっちゃ分かりやすく書いてあります。)

■過食→食べたら止まらないから恐いor感じないほどいつもお腹に何かが入っているorこのまま拒食になりたい

でした。


先日、私はやることがあってずっとそれを躍起になってやっていました。(過食時は食べること。拒食時は過活動。今書いているのは克服後の「やりたいこと」)


その日は具合が悪かったのでご飯はちゃんと作れませんでした。作れない自分を責めていた時もありますが、今は自分に問いかけてみると「む~り~」と言っているのでスパッと諦めました。

以前の私ならここで「~すべき」事は沢山ありました。

「健康の為にきちんとしたご飯を食べるべき」「怠惰に感じることはすべきでない」なんてことです。これで以前は非常に苦しみました。


なのでその日はお米だけ一膳、昆布の佃煮と一緒に食べました。

喉も渇いてきたのでお水もしっかり取ります。(ここで喉が渇くのは消化の為に水分が多く必要だから)

本当なら、お味噌汁のような温かい汁物がよかったのですが、インスタントも用意できない程辛かったのでスパッと断念。(以前なら栄養が足りなくなっちゃうとか恐くなったりした。ちゃんとした食生活したいという欲求も強かった為です。過食や拒食もしているのに、矛盾していますが、この複雑な状態がとても苦しい症状の一つと思われます。)


そして用事に取り掛かりました。

あっという間にお昼になりました。開始から2時間半。

でも手を離したくない。ちょっとこのテンションで続けたい私。その気持ちは強かったので尊重したいところですが、本来なら「ご飯をきちんと食べるべき」です。

克服に向けて心がけたのは「空腹にならないように必ず一日5,6回はお米を食べる」でした。これは絶対欠かしませんでした。(「~すべきのココロ」じゃないです。治すために、必要だと自分が思ったからです。伝えるの難しいですね・・・。)

でも治った今ちょっと訓練しておきたいのは「空腹になって食べられない状況になったとき、どう対処するか」です。


そこで私が今回とった行動は、「やり続けたい」のは自分の中にいる「子供」がガンとして聞かない。ならお母さん代わりの私はどうするか。

「やめなさい!」とは言いたくない。今までこの子はお母さん代わりの私の意向ばかり聞かせて潰れてしまった。

だから、「これならどうかな?」と提案したのはやりながら食べられる棒のついたアイスでした。(この日は回りにお菓子しかなかった!)

本当は私の中に居る子供は「ご飯」が食べたい。でも「やり続けたい」事が優先順位になってました。なので頭も使っているし、「とりあえず」の糖分補給で与えました。

片手で、物事を止めずに食べられるアイスを、私の中の子供は「これでいい」と納得してくれたようです


空腹も和らぎ、集中でそれがかき消されるようになりました。成功です。


3時間ほど経って、いよいよ胃の奥がスーッとなってきました。空いた~という胃が動いているような、元気なものではありません。寒い日にプールに入って暫くして感じるようなス~っとした感覚です。

これは拒食に移行するときに感じた空腹感です。

過食時は少しの空腹も我慢できず、本当に狂ったように食べてしまうのですが、ある時、空腹がちょっとすぎるとこのス~っとした感覚を感じ始めて拒食に移行しました。

脳内でエンドルフィン(ワケはステップあやさんのコチラ が出始めているのかもしれません。「空腹が気持ちいい」でしたから。

こうなると、頭の中は一応やることは「し続けられる」けれど、朝ご飯を食べてからし始めた力強さにはっきり言って欠けます。

でも私の中に居る子供は「やり続けたい」。仕方がありません。お母さん役の私はまたアイスを提案しましたが、子供は「喉も渇いた」と言ってきます。さらに「両方はいや」とか言ってます。かなりわがままです。

私は飲み物を提案しました。


まずミルクティー→ミルクの感じが今いや。炭酸→今はべたついた甘さがいや。ストレートティー→紅茶と糖分だと後で胃が痛くなりそうだからいや。フルーツジュース→・・・・・ならいいよ。


こういった会話が私の中でなされていました。ミルクティーと初めに提案しているのは外側の私。「こういうのが飲みた~い!!」というヤツです。例えばスイーツ食べてる女の子っていいよねって食べる感じというか・・・・。

でも体的には「こっちの方がいいな」というのが私の中の子供の発言です。

なのでフルーツジュースを与えました。

自分が思ったよりも、おいしく感じて、一気に飲んでしまいました。

この時は胃と頭は「あ、糖分だ~」って思うのですが、心が「食べた気がしない」と不満そうでしたので、やはり固形物を食べるべきなんだなあ~と思いました。ジュースは食事の代わりにはならんなあ~という感じです。スープもマシだったかもしれないです。


空腹感は先ほどよりも残りましたが、頭の回転は戻ってきました。一旦OKです。

でもお腹が空いている物理的なものは変わりません。

だんだん頭の中で食べ物がぐるぐるし始めました。コンビニ行っちゃいたいな~でも好きなコンビニないんだよね、この辺には・・・・。うーん。うーん。と少し思いましたが、「そんな時間は無い」と私の中の子供は結論を出したようです。なので仕方がありません。諦めます。


更に2時間ほどして胃の奥の、背中の方がごっそり抜けた感じの空腹になりました。

空きすぎた。というヤツです。

食べ物を思い浮かべても、食べたとして、今の胃には重すぎてしまう感じです。こうなると、お米も、納豆もお腹に入れるのは辛い状況になります。

「空きすぎて、食べられない。気持ち悪い~。」というのはこういう感覚か!とやっと見つけた私でした。

こういうことか~こういうことか~と何度も納得してしまいました。

私の中の子供は「何か欲しいよう」と言っています。

私の体は「物は受け付けられません」と言っています。

お母さん代わりの私は困りました。

とりあえず水分とろうか?「・・・・・・うん。」というので水を買ってきました。

ものすごい勢いで飲みます。お母さん代わりの私は「そうか~喉も渇くのね~こういう時は水もいいかもね~」と思いました。

そうしたら、とりあえず私の中の子供はおとなしくなりました。

この時は集中しすぎていて、体中が段々痛くなっていくのを感じました。

集中している間、同じ姿勢を保っているので方や、背中、腰、首、がこわばってきていました。

内臓も相当の緊張があったと思います。

最近なら、こうなったら私の中の子供が「イヤイヤ」しても、一旦中断して、体を伸ばし、強制的に休むことをしていますが、この日は実験だったので続行です。


体はガタガタ、なんとか集中力で持たしています。やっていること自体も、段々苦しくなってきました。この間休みはトイレ以外取ってません。ぶっ通しです。


長いので一度切りました。次へ


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そばにいてくれる人(衝突する人)を、味方にする1

疑問・・・・疑惑・・・・


苛立ち・・・怒り・・・言い争い・・・・摂食障害だけでなく、ココロの病気に関しては、この事も大きな障害の一つだと思われます。(治そうと思っているのに立ちはだかる壁のうちの一つというイメージ)




「分かり合えない」


これはお互いが、「分かってもらえない」と思っているという事だと思います。


(「分かってもらえない」vs「分かってもらえない」=「分かり合えない」)







残念ながら、家族や一緒に誰かが住んでいたり、一緒にいる時間の長い人達には、摂食障害はバレ易い・・・。


一人だったら気が楽なのに・・・・。(これは何だろうか。後で書きます。)




私は周りの人にバレるのが恐かった。


相手の、私を見る目が変わってしまうことを極度に恐れました。


そりゃ、1日3回以上、食べる機会はあるわけです。しかもお仕事をしていたら、おやつだの、ちょっと何か飲むだの、下手すれば(自分にとっては辛いことなのでこういう気持になってしまうのです)仕事の後にお付き合いなどもあるわけですよね・・・。


「食べる」事があるばっかりに、素敵な時間も摂食障害者の私にとっては地獄のような場所に早変わりです。


食べてしまって、今までの何とか繋いでいた生活が一回の食事でぶち壊れても、誰もなんとも思ってくれないのですから。後々まで自分の体とココロの均衡を保ち、笑顔でまた人前に出ようとする努力は並々ならぬものなのです。




私の場合、例えにすると(分かりにくかったらすみません、(でも、大げさではないので本当に困っていました。)


小さな子供に、何も教えない状態で高度な料理を作らせる様なものなのです。しかもその子供は知らない大人にナイフを突きつけられている。道具の使い方、材料が熱や下処理によってどんな変化をもたらすか、子供は分からない。道具も小さい手には重過ぎる。懸命に言われた通りの料理を作らねばならない。でなければ普通の生活に戻れない。


子供は焦る。殺されたくない。でも作り方がわからない。どうやってもうまく出来ない。だからなんとかごまかすしかない。これにはタイムリミットもあるのだ。何とか子供はそれ風に見えるよう料理をごまかて提出する以外なく、ナイフを持った知らない大人に、ちゃんと作れていない料理だとばれてないかといびつな笑顔で笑いかける。


ここで脅している大人は、自分の「痩せたい」「太りたくない」「人から嫌われたくない」「理想の自分で人前にいたい」という願望でした。


タイムリミットは次、人と会うまでです。


出来損ないの料理は「過剰運動」「浄化行為」などで自分を壊す方法での、自分を納得させた後の状態を指します。


そして「適切」な料理の方法というのは「自分にとっての快適な食事」または「生きる方法」でした。






外から見たら全くの健康体の私。一回の食事でどれだけ自分をコントロールできなくなるかなんて、


周りの方には全く分からない事=味方ゼロ・・・・・。


説明すればいいじゃないかと言ってくれる方もいるでしょう。


ですが、なんと答えればいいのか・・・・・。これがまた問題なのです。(上記の例の料理方法の一つに当たる)






要するに、摂食障害の私と普通の人との間に、


共通の言葉 が無いのです。(あとで詳しく書くつもりです)


誰もが知っている普通の「食べる」事なのに・・・・・






だから話が全く進まない。


会話を試みたところでかみ合わず、あえなく喧嘩、言い争い、もの別れ(対立したまま終了)・・・。


同じ言葉を話しているのに、同じ事を指していない。


同じ食べ物の話をしているのに、全くイメージが違うのですから。




例えば、お米のイメージだとします。


普通の人は、「おいしい」「元気が出る」「腹持ちがいい」「なんにでも合う」


私の場合は、「とんでもない過食衝動を呼ぶ」「食べたら止まら泣くなる事を考えると恐い」「太る」「後で吐く事を考えなくちゃ」


極端に言えばこんな感じです。


そう、「ならば「お米」を食べなきゃいいじゃない。他のもの食べればいいじゃない。」と言いたくなる人もいると思います。


私も初めはそれでよかったのです。ですが、慢性的にエネルギー不足になっていくと食欲は止まらない。


そしてお米よりカロリーの高いものは絶対口に出来くなって行く。更なるカロリー不足でフラフラ。


そして空腹をカサ(量)でだまそうと、野菜や、ゼロカロリー食品を大量に食べるようになって行ったのです


これほどの認識の差がありました。


なので、「食べなさい」「食べられない」の言い合いは平行線になると思うのです。






昔は普通に食べることが出来ていたのに・・・いつから狂った?


一度狂うと「食べ方」が分からなくなってしまうのだと思います。




いつ食べたらいいのか分からない


何を食べたらいいのか分からない


どれだけ食べたらいいのか分からない


どんな時に食べたらいいのか分からない


どんなスピードで食べたらいいのか分からない


どんな組み合わせで食べたらいいのか分からない




食べている人を見ると目が一時も離せない。恐いぐらい目を逸らすことが出来ませんでした。


よく一緒にいる人に、「見すぎ」と言われるほどでした。




何で食べてるの?


何を食べてるの?


どうして今食べてるの?


何のために今どれだけの量を食べてるの?夜はどのぐらい食べるの?


どうして今それを間に飲んだの?


なんでそうやって食べるの?


何で今手を止めてるの?


もう食べないの?残すの?その後何も食べないの?何か食べるの?




何もかも分からない!!!忘れてしまった「食べる」事を取り戻すかのように食べている人をガン見。(病的)


だけど 空腹はいやおう無しにやって来ます。




食え食え食え!!


このとき体と頭は正当な要求を普通にしているに過ぎません。


「エネルギー切れそうなんだけど、入れてくれる?」もしくは「ちょっと最近頼んだ分も入れてもらえてないので多めにお願いしたいのですが?」と声が強まっているぐらいなのに・・・・・。


これが私の頭には食え!食え!食え!とものすごい強迫的な言葉で響き渡っていました。






一人なら、もちろん暴食決定・・・・。そして「痩せろ」「太るぞ」「嫌われるぞ」と自分の奥底から強迫される。


だから、浄化行為(しかない)。(すぐ解決しないと生きていられないほど切羽詰っていました。)


誰かといたなら・・・・あまり、変わらないか・・・・。ばれないように、一生懸命食べていました。


ニコニコ、おいしいおいしい、うれしい、凄い!と言って、2人分、3人分と食べる。誰かは喜んでもっと食べ物を用意し、食べ方がおかしいよと思う人は引く。ここで「もうよしなよ」と言ってくれる人はいませんでした。(あまりの勢いに言えないのかもしれません)


どうしたらいいか分からず、ココロは泣いたまま。体は苦しい。罪悪感でいっぱい。恐い悲しい連鎖でした。


だから、沢山食べる、おかしい女(これもまた書きます)を演じていました。本当に無理をしていました。




そのうち、仕事をしている間も、バンバン隠れて食べるようになり、やがて人が居ない間を縫って吐き、頭も朦朧とするようになって行きました。(職場の人も、何となくおかしいとは思っていたと思います。)




問題は家。私は二人暮らしなのですが、やっぱりばれました。


初めは一人の時にしていたのでばれなかったのですが、二つの理由でばれました


それはどんどん過食と嘔吐が頻繁になって行き、一度に食べて嘔吐する以外に、ダラダラ食べも、いちいち吐かないと落ち着かなくなってきたのです。(待てないココロ にも通じます。)行動がおかしいと思われだしたのですね・・・・・。「洗面所に何しに行ってるの?」「泣いてるの?」「どうかした?」とか・・・聞かれてました。


「顔を洗いに行った」「どこかにぶつけた」「辛いことを思い出しちゃった」とか・・・今思うと苦しい言い訳してましたね。




二つ目は、過食嘔吐時に、内側から湧き上がる「恨み」「悔しさ」みたいなものが強烈になってきてしまって、自分で抑えられなくなってしまったので、自分からカミングアウトしました。




人に合わせてご飯を食べる。


仕事をしていたら毎日です。その、毎回、苦しい思いをしてしまう自分。もちろん誰のせいでもありませんよ。


だからやり場の無い凄まじい怒りが内側にうっ積していたようなのです。




「こんなに頑張っているのに!畜生!皆(誰でもない)で私の生活ぶち壊しやがって!!!」


「私の苦しみを体験してみればいいんだ!!!(普通に食事している人に対して)」




というのが、正直な気持でした。


それほど、切羽詰っていたということです。


仕事に関してもそうなっていきました。NOと言えず、キャパオーバーを平然とこなすしかありませんでした。そしてそれも、当然ボロボロになっていきます。


なので、自分はどうなってしまったのかと大泣きしていました。




それが、キレイに覆い隠せなくなってきた時、過食嘔吐したあと、涙が溢れて抑えられなくなりました。


そしてわんわん泣いて「辛いよー!!」とカミングアウト。


何が辛いのか分かりません。


吐いて体中痛いのも、ココロも、恨みと憎しみで一杯の恐い自分も、やっている事も、考えていることも全てない交ぜで悲しくて恐くて情けなくて辛くて一人でどうしようもなかった・・・・・です。




「何?吐いたの?」相手はあわています。


何で何で何で?の嵐です。




そこから、その人と私の 共通言語 を探す作業が始まりました。






次の記事に続きます。




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