なんてイロドリの・・無い 世界 (病中、克服時の色彩的世界観) | 引きこもり、摂食障害克服までの道のり と ココロのこと

なんてイロドリの・・無い 世界 (病中、克服時の色彩的世界観)

自分の事を思い返してみました。

そして、皆さんのブログをフラフラして、やっぱり思う事・・・



克服時や、耐えている時間の、

なんと・・・イロドリのない・・・世界なのだろうと・・・・しょぼん

思いっきり摂食障害になっちゃってる時は激しいから・・・まあ、イロドリは激しくある意味あったと言えるだろう。

※でもここでのイロドリはしあわせのイロドリね。攻撃食ではないでゴザル。



私、病気の時も、ブログやってたんです。短いのね。フツーの日記的な。

毎日、

アレが出来た、がんばろう。

良い事あった、そう言い聞かせよう。

これを食べた、アップしてみた。


実はこれらには全部違和感があった。


取って張って付けたようで、

大事なのだけれど、

出来たことなのだけれど、

なんかペラペラで、世界の狭い、色の褪せたような感覚。


スーパーいくよ。

外に出たよ。

コンビニに入れた。

品物選べた。

こんなの買ったよ。



ご飯をちゃんと盛り付けたよ。

でもなんとなく、イロドリの無い、生気の無い、写真・・・・・。

食べる事への恐怖、消極性、または攻撃性が写る。


いくらハートやなにかでかわいくしようとしても、

途中で息切れするほどの、自分の生活の侘しさ。

ランチョンマットや、周りの苦し紛れのかわいいモノのイロの不自然さ。


食に支配され、自由なのに、なぜか監獄にいるような食事・・・・

または殺伐とした、とんでもない量のお菓子・・・・

幸せを探せていない食事。

迷い続けたまま時間が過ぎるであろうその時間。


頑張っているみんなの小さなコメントと、励まし合い。

自暴自棄の、止め合い。

治っていく相手への羨望と、恨み。むっ


ちらっとテレビを見る。

華やかな世界。

美しく強い世界。

遠い世界。

目線を落とす、自分の手元の侘しさ。

寝間着の汚い自分。

やることがたくさんあるのに何もできない自分。

薄汚れた部屋。


その中で、どうやってイロドリ=幸せ(かわいい、きれい、おいしい、すがすがしい、生き生き)

を見つけていったか・・・・。



ビックリマーク食べる前にご飯を見たよ。

おいしそうって部分を見つけた。

それを食べる一口を覚えているように頑張った。

過ぎ去る小さなことを、自分にとどめることを頑張った。

気が付くと無くなってるご飯・・・・・。

でも、とりあえず初めの一口は覚えようと。

ご飯は逃げないよ。

一口ずつ食べてみよう。(ろくにできないんだけどさ。涙)


外を歩く。

下を向いて。なるべく視界に何も入らないようにしてた。

人や動くものを見たくない。

でも、太陽に自分の手や服が照らされる。

日焼けと縁のない自分の肌。光って見える時があった。

悪くない。

くやしいけど、認めて、きれいだってしばらく見てみた。

ビックリマークそれを覚えるように努力した。


髪の毛も、辛くなってやみくもに切ったりしなくなって、

洗い立ては綺麗に仕上がったりする時があった。(湿気のない日とかね)

サラサラ気持ちいい時もあった。

まぎれもなくソレは自分の髪の毛で、きもちいいな。

それをなぎ棄てないで、ビックリマークしばらくさらさらと味わって、覚えた。

(自分嫌いだからなかなか出来ませんでした。)


出かけるったって、大したところ行けないの。病気の時って・・・。

派手な所行くには凄くエネルギーが居る。

糞みたいなボロ公園が、凄くサイズに合ってた。

(こんな所しか似合わない自分に泣いた日も死ぬほどある。でもそれもいいこと。大事に。気持ちのいいところだったんだから・・・。)

そこには土もあって、光も射した。

そこで飲むものも、一つ一つ覚えた。

ビックリマーク飲み下してる感覚を覚えた。


そのうち、頑張って覚えた感覚は、夕方、夜にも忘れないで残ってくれるものも出てきた。

それまでは、口にする前からもう次の行動、次の食事って感じで、目の前の事をちゃんと掴んでられなかった。食べたっけ?ってぐらいの、焦りっていうか、覚えてられない感じ。



そして、それを積み重ねてきた。


その、小さな イロ(感覚) が増えて行った。



リボンディズニーランドリボンなんてーのはその象徴のように思う。

カラフルで、楽しく、おいしい。

負けてたから、近づけなかったし、テレビでも特集は見る事が出来なかった。


沢山のイロドリを、

私は人の顔を伺う事と、

過食嘔吐して捨ててきた。

それを今、本当にちょっとずつ拾ってる。


「  そんなもの大事なの? 」って鼻で笑われるような事を積み重ねてる。

恥も捨てて、握りしめてます。


「いいもん!いいんだもん!」

手から離したくない時の、私の口癖です。

いい年なのに、キモイっす。

でも、小さい時から我慢してきた言葉です。

大事なのね、小さい子の言葉って。




この 生きている イロドリ の無さが、病気を本当に生き地獄にしてくれます。

痩せたくて仕方がなかったときだって、

イロドリをつかみに頑張ったはずなのに、

自分から喜んで捨てて、

死神みたいなずるいやつにしがみついて、

温かなものを全てタダで人にあげてきた。

その人はごみの様に私の温かいものを捨てたよ。


イロドリを取り戻すには

今まで自分が虫唾が走る程嫌いな小さなことを積み重ねなければならなかった。


でも、一個ずつ、掴んで行って、

手放さいように、一生懸命積み重ねて行ったら、

絶対残る。

つーか、残った!

でも、本当にちょっとずつなんだよ!涙




だから、治りたくて、食べた。

心の事は取り組みが難しい。

実態が無いから。


食べることは、見える事。

感じる事が出来る事。

食べてしまったら、体がただただ、正しく動いてくれるようになるだけ。

そう、あやさんが教えてくれた。

実証してきてくれた。


だから、食べた。



いびつな イロ をつかみ続けて、何とか今、前よりは色のある、感動のある、世界に居るような気がするですよ。


目の前の事、一つずつ。

踏ん張って。




あ、自分がいい子し始めてきた・・・って思ったら、やめよう。

苦しくなるから。

また、やれるかもって思ったら、立ち上がって、みる。

立ち上がらんでもいいと思う。

立ち上がれたかもしれないな、さっき・・・って思ってるのも、いいと思う。


それ自体も、自分の声を聞くって事になるし。



まあ、大半は、どうなの自分?の問いかけに、 「わからない・・・」だった。


そして、その自分に、罪悪感を持たない訓練をしました。


わからない でいい。んです。

なんか 不快。 で、いいんです。


だから、なんか・・いい。

それが積み上がっていく。

後退しても、またそこにたどりつくのは、今までの半分。

また後退しても、今度は三分の一で帰ってこれる。


それが、積み上がってきたものの、チカラ。です。


そう、だから、 後退するんだからね!でも!戻ってこれるんだからね!踏ん張る。