藤村さんのコト2 | ELECTRIC BANANA BLOG

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しまさんの独り言、なんてね。ハニー。
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ってきたよ、ハニー。来たかって、言われたで御座るよ。そりゃ来るでしょう、と返したついでに判子持ってきましたよ、って言ったで候。すると何の?と問い返されたので、映画原作の契約書、と正直に応えたので御座る。はい、今回は久しぶりに楽しい記事で候。

 

て。

 

題に行く前に、アタラシイノデケタデ、の一品。

 

 

栄えはいいが、音は鳴らないエフェクター。つまり、失敗作なんだよね。でも、あんまりほんとに欲しい機体では無く、ギターマガジンに載っていたから、ってだけで。実はそれと一緒に載っていたバッファーの方が作りたくてその前哨戦として、あれこれ思案しながら作ったのね。

まさしく見栄えが第一義で、そこはいつものガンプラの知識と、最近身に着けた職場での知識(笑)を総動員して、市販のものと見間違うばかりのピカピカの筐体を作ることをテーマにし、そこは見ての通り、大成功。しかし音は鳴らなかった、という代物です。

実はコレ、今年に入って長々と休み休み作っていて、このゴールデンウィークに完成したんですが、成功の失敗なのだ、という出来だったのでこのブログに上げるのは迷っていたのね。しかし、そのゴールデンウィーク、降って湧いたような大きな出来事が待ち受けていたのだ!

 

いうことで、記事タイトルでおわかりのように、藤村さんに逢ってきました。水曜どうでしょうディレクター、藤やんこと藤村忠寿。氏と私の関わりは、まずこの過去記事を読んでいただくとして、簡単に振り返っておくと、どうでしょうディレクター陣との交流の場として、会員だけが参加できる「寄り合い」というものがアリ、各地で開催されてディープなファンには大好評。そのうち、岡山での寄り合い、及び翌日の備前焼ツアーにおいて、藤やんに怪獣映画のプレゼンをした、という所から話は始まる。

その後、実際にこのエレクラが出発点の「鬼姫VS邪神」という小説を上祥し、HTBの藤村さん宛に送りつけ、無事約束を果たした、と。その結果を聞きに、二度目の岡山に赴いたのだけど、藤やんは体調不良で欠席。ただ、その2度目の岡山の寄り合いは、藤やん不在を凌駕して余りある、大変幸福な夜をもたらしてくれたのだ。しかも、藤やんリベンジはその2週間後にやってくる。地元香川での寄り合い開催がその時点で決まっていたのだ。

その日やっと、鬼姫について話をして、多少は読んだ、という話を聞いてコレで本望、もう思い残すことはない。ちょうど前の職場に就職した頃で、一ヶ月後に健さんとも会う機会を得て、結果として私の中にはもう小説で名を馳せようとか、自分の思いを物語にすることの限界を悟ったのね。でも、鬼姫っていう最高傑作を作ることが出来たし、それを上回る小説をその後二本書き上げたし、もうイイや、と筆を折ったのね。というほど大袈裟なモノでは無く、まいっか、と(笑)。

 

の後世界にコロナの嵐が吹き荒れ、密に人と人が肩を並べて語り合う寄り合いも自粛へと追い込まれて三年。この度、コロナ対策の緩和に伴い、寄り合いが復活したのだ。今回は大阪、博多、東京と並んでなんと松山、高知がラインナップされている。これはもうね、行くしかないでしょ?

で、行ってきました。私も三年いろいろあった(笑)。混沌の松山、そして狂乱の高知。とにかく、それぞれとても楽しかった。その細部についてはヒ・ミ・ツ。なので今回は私自身に関わることだけお話しします。

 

山で最初に藤やんと交わした会話を、この記事冒頭の枕部分で再現しています。間に素敵な女性を挟んでの握手。なんだか私が顔を出したのが驚きだったらしく、もしかしたらアレで終わり、香川で交わした会話で終わり、だと思ってたんでしょうか?私のどうでしょう愛を舐めてもらっては困るよ、藤やん。

でも、実を云うと寄り合い復活という話はそもそも、私はまったく知らず、寄り合いで繋がった複数の方から連絡をもらって初めて知ったのね。それは二度目の岡山の再来を思わせる出来事。あの時、二度目だし、香川からだし、行っても好いかな、オレに会いたいって人居る?って訊ねたら、みんなが一斉に「来なよ!逢いたいよ!」って返信してくれたんだよね。何よりそのことが本当に嬉しかった。

そして今回も、どの寄り合いに参加します?というように訊ねられ、やっと情報を得て、それならやっぱり四国内に行かないわけにはいかないでしょう、と。だから、正直、藤やんに逢いに行く、という感覚はあまりなかったし、逆に鬼姫のことを持ち出したらなんか場の雰囲気を壊すかな、とかって思って、松山の時点でもう四回目だし、盛り上げ役、カメラマン役で、とその程度で参加したのね。

 

も結果は、何故かじっくりと、藤やんとその鬼姫の話をする、という結果になった。結論的には「ボツ」にはなったんだけど、ならば開き直って、自分の作品に秘めた思いとかいろいろ、コレはこの表現が一番的を射ていると思うけど、ぶちまけたのね。それを藤やんも真摯に聞いてくれて。おまけに、その話を聞いていた周りの参加者さんにも励まされたりとか、なんだかね、ああコレであの「鬼姫」も成仏できたな、って思ったワケね。

多少話は前後するけど、松山では藤やんが遅れてきたのもあって、本来は参加者の自己紹介から始まるのが、もういいやって感じで乾杯に突入して、しかも席がコロナクソ食らえ、というほどの密だったので、なんだか初手からヒートアップ、って感じでまさしく、カオス状態。藤やん不在の二度目の岡山には、仕事の都合で私は遅れていったんだけど、もう着いた時には盛り上がっていて、それを私が私自身の話で火に油を注いだ感じになってしまったのに似ていたね。

 

っという間の三時間。翌日は日曜日で参加者のほとんどが泊まりで来ているにもかかわらず、何故その判断をしたのか今もって不明だが、私一人日帰り。当然、寄り合いは私の知らない所で二次会に突入。その報を受けた時私はもう石鎚サービスエリアで、闇夜に漂う霧に恐れをなして震えていたんだよ。

だがやはり前回と同じ、二週間後には今度は高知がある。よっしゃ、今度はオレも泊まりで二次会まで、終わりまでとことんまで付き合うぜ。ちょうど正社員になって半年経った、有休が着いたばかり。早速それを行使して、高知へ行くぜ!

という所で、続きは明日。震えて待て!

 

んてね、好きを肴に語り合うのっていいね、って言ってみました。余りコロナの影響を受けずに三年を過ごしていたつもりでも、寄り合いがなかったという事実を、復活した時に実感して、遠回りでも影響あったんだな、って思ったね。こういう時間に飢えていた、というか忘れてたって感じたよ、ってコトで。

それでは今日はこの辺で