藤村菩薩 | ELECTRIC BANANA BLOG

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しまさんの独り言、なんてね。ハニー。
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み倒すよ、ハニー。先っぽだけ、というのはありきたりで御座るが、それは置いておいて、寄り合いも含めて最近は寺巡りが休日の定番になっているので候。気がつけば、札所を順不同で、でも順次回っているで御座るよ。当然願い事があるのだけど、そういえば最初にお遍路した時は、小説家になれますように、ってお願いしたんだったで候。でも最近は、というのは今日の内容にも関わってくるので御座る。

 

て。

 

週間後高知寄り合い開催、その日はやはり休日の定番、朝うどんを仕込んでから高速に乗って、一路高知へ。先ずは高知美術館でのテオ・ヤンセン展。ストランドビーストは子供たちにも大人気。そこから高知市内の近場の札所をとにかく回れるだけ回った。そして、ホテルにチェックイン。ああそうさ、泊まりさ。有休も取ったさ。チェックインした途端に、一杯引っ掛け準備万端。

同じホテルに、やはり岡山寄り合いの頃から御世話になっている方も投宿しているので、ロビーで待ち合わせて直接会場に。三々五々参加者が集まってきて、最後にどうでしょうディレクターのお二人が登場。その時点で、まぁ、二週間しか経ってないので、藤やんと顔があって、また来たか、というアイコンタクト(笑)。席は、初めて藤やんの隣になった。

 

やんの乾杯の音頭で始まり、高知寄り合い参加者それぞれの自己紹介へ。和やかな、と、松山のような最初っからヒートアップしているのとは違った雰囲気で始まる。私はもうカメラマンに徹するつもりだったので、あちこち歩き回りながら、写真を撮っていた。もう何度か寄り合いで顔を合わしている方も居て、半分同窓会のような、それもまた緊張感が解れて好い感じ。

あちこち歩き回っていたせいで、自己紹介はオレが最後。五回目になるとネタも尽き、素直に自己紹介するしかなく、でも、まぁ、どうでしょうのファンというよりは、寄り合いのファンだよな、と最近思っていて、そりゃ本末転倒かもしれんけど、寄り合いのためにどうでしょうがある、というのが今の正直な感想なのね。

 

して、前回の松山でじっくり話したおかげで、私の為人の半分は藤やんに振ってみた。案の定、鬼姫の話、そこに四国R-14の続編の話で嬉野さんも乗っかり、と過不足なく、私のどうでしょうとの関わりを紹介してくれた。いやぁ、今になってちゃんと鬼姫を完成させといて好かったな、と思うよ。そして、あの頃に一緒に居て後ろ足で砂をかけるようにして出ていったかつてのスタッフどもに、ザまぁみろ、と内心思ったよ。

そこからいつもの通り、サイン大会になると、席も移動して段々カオスが始まってくる。この辺、香川の寄り合いに似ている感じだったけど。でも、ちょっと高知は年齢層が高めだった。なので、松山のような熱狂、とは違う静かな熱、という感じかな。松山は本当に、聞き耳を立てないとなかなか会話も成り立たなかったものな。でもその分、落ち着いて会話できたんじゃないの?料理も美味しかったし。

 

初の参加表明の段階で、二次会参加者を募っていたので、当然のように一次会が終わると場所を移動。その時に限って土砂降りの雨。でも、まぁ、私としては念願の二次会だったわけで、これからが本番、とまでは言わないけど、期待に胸を膨らませていたのだ。

 

して、結果、私は「喋りすぎた男」になってしまった(笑)。

 

思い出しても顔に火が付くほど恥ずかしい。内容は、最近の恋愛話、55歳のおっさんが恋い焦がれている話、しかも、それが成就するのは奇跡なので、お寺巡りをして奇跡をお願いしている、と大雑把に言うとそういう話題を、気がつくと私はしていたのだな。ほんと恥ずかしい。

で夢のような一夜が終わり、その羞恥に混乱しながら、ホテルの部屋に帰り、何故か私の頭には、まるで藤やんのカウンセリングにあっていたみたい、というキーワードが浮かんでいたのね。カウンセリング、というキーワードはなんとなく実感はあったんだけど、その意味についてはその時はなかなかまとまらなかった。

 

して多少お酒と羞恥で記憶は混乱しているのだけど、一連の寄り合い、及び二次会を振り返ってみると、あることに気がついた。それは藤やんのボリュームの上げ下げ。寄り合いの時の参加者、二次会の時の参加者、個別に1対1で話す時もあれば、みんなに向けて話す時もある。

それぞれに藤やんは実に的確に、話題のキャパシティーを過不足なく、聞いている相手に合わせているんだな。私が話しすぎたのも、元々私が他ではなかなか話せない話で、Facebookでもブログでも話題に出来ない、本当に秘めた話だったのを、きっかけは何か忘れたけど、一度口にすると堰を切ったように出てきて。またその時、藤やんが私に返した言葉がどれも、私が一度考えたことを言い当ててたわけ。そうそうだから、と私はより話題を深めていく。そしてそれを、冗談で返す時も、ちょうど好いざっくばらんさで皆の笑いを誘う。本当に話を上手く回して行っているんだな。

言葉で云うとなかなか上手く言えないけど、とにかく人の興味を的確に掬い取って、それに対するちょうど好い応えを持ってくる。いや、コレって、本当にものすごい才能なんだよ。

 

、健さん主催のストーンズのオフ会で、一人ぽつんと香川から来ている私に、話題がディープな、特に関東近隣にしかわからない話になると、丁寧にコレはコウでね、とサポートしてくれた方が居た。その方のおかげで私はなんの躊躇もなくそこにいられたんだよね。それは未だに、私の中にない、「気遣い」なんだよね。今回逢った時の藤やんに、それに似た細やかさを感じたんだよ。まさしく、痒い所に手が届く、といった感覚。

そうやって結局のところ、羞恥と反省が大部分を占めていながら、一方でその恋愛のことに関しては、なんだかスッキリした、変な言い方だけど、このまま良い想い出になっても構わないか(笑)とすら思うほどの、落ち着いた感じが残っていたんだよね。開放感って言うのかな。それがあの時直感した、カウンセリングというキーワードなんだろう。

 

こで私はふと思ったわけだ。ああ、藤村さんは菩薩なんだ、と。例えば嬉野さんは如来だ。すでに悟りを開いて皆の崇敬を集める存在。一方で藤やんは悟りは開いているけれど、人間界に留まって一緒に修行している。修行とはすなわち、人を救い助けること。そういう存在なんだな、と変に腑に落ちたんだよね。

 

ぁ、しかし、菩薩を前にした凡人の私は、相変わらずいろんな煩悩に苛まれ、例えば、あの時の恋愛話でドン引きした人も居たかも知れないな、と考えただけで、哀しくなってくる。いや、奇跡を待つよりも、目の前にホライルジャナイ、という目移りとか、その辺優柔不断に世の中渡っているわけだし、なんかその辺のチャンスとか逃したかな、とかそんなはずないのに思い煩ったり。

その辺も含めて、ああまた藤やんに逢いたいな、と今は強く望んでいるよ。松山の寄り合いの冒頭、いやぁ、寄り合いも四回目になるとD陣に逢っても珍しいとか、ありがたいとかいう感覚が無くなってくるな、っていう話をしていたんだけど、やっぱりお二人がいないとね、と今は思っています。反省してます(笑)。

 

の恋愛話の最後、その後の展開が気になるからおまえは寄り合いに来いよ、と藤やんに言われたのは収穫だったな。まぁ、気がつくと寄り合いの度に藤やんのためにネタを仕込んでばかりいたからなぁ。

 

 

ういうわけで、寄り合い二連チャン、無事終了。実りの多いゴールデンウィークだったよ。最後に、コレをもし読んでくれた寄り合い参加者、及びどうでしょうファンの方々、また逢いましょう。

 

んてね、エレクラもプラモおざなりになっているよ、って言ってみました。それほど強烈な印象を残す体験だった、というか、日々反芻の毎日(笑)。高知で撮った画像の量がなんと600枚弱あったんだよ、ってコトで。

 

それでは今日はこの辺で、ごきげんよう