恋に落ちたら | ELECTRIC BANANA BLOG

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しまさんの独り言、なんてね。ハニー。
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るだけ損ね、ハニー。特段意味もないタイトルは度のことで御座るが、内容にも関係ないので検索からのアクセスアップにも貢献しないというおまけが付いてくるので御座る。シカシなんですな、アクセスアップのための検索サイト対策というのも、余り調子の良い世の中には貢献して御座らんな。昔Googleが登場した時は、それはもうのような技術に飲めや歌えの大騒ぎで御座った。特に拙者のような、ビンボウナオレタチニデキルノハムリョウノエロサイトヲミルコトダケ、というゴジンには歓迎であったので候。

 

て。

 

マタ来ましたで。々のガンダムです。

 

 

ガンダムは、そりゃガンプラっていうぐらいですからガンプラ作りの道なのですが、だからこそ、どれも作りが似ててつい後回しになってしまう。特にが作りにくいのよ。モノアイは、穴を空けてそこにHアイズをめ込めば見栄えはそれで充分、多少塗装に気を使うぐらいで出来るんだけど、ガンダムはそうはいかない。百式のように黒一色、でめばいいのだけど、そういうわけにもいかないのね。

塗装のやり方にもそれぞれ儀みたいなモノがあって、その顔の部分は筆で対応する者も居れば、敢えてやっぱりHアイズを埋め込む人もいる。私は、筆にも工作にも自信がないので、とりあえず全部エアブラシで応する。当然塗り分けはスキングになる。エアブラシは簡単に言えば、バーッと一気に塗っちゃうので、マスキングが大変要なのね。

おかげでマスキングの技術、アイデアにはけてきましたよ。やっぱりそれも情報収集と験だね。今年は期せずして年の後半、ガンプラ作りに進したわけですが、そのおかげですかね。精を込めるところと、手を抜くところの押し引きに随分と鼻がきくようになりました、あと時間配分とね。

 

 

今年はもうコレでち止めです。しばらく工房にることもないでしょう。順調なこのを止めるのは心苦しいですが、まぁ、ちょっとペースを見極めながら、とりあえず来年はまず、小説を書こう、と。で、コレもおそらくは今年最後の新になるでしょう。奈乃で、また多少時間をかけて、来年に向けての話を、ちょっとしたいと思いますが、大半はい出話です()

そうそう、今年の読書目標はマンガを入れずに50冊、だったのですが、無事、遂。健さんの「恋愛真空パック」でィニッシュでした。もちろん、Licks新しています。まぁ、今年の大半はそのLicksのための読書だったので、一度文庫本で読んだものを単行本で読、というのが多かったのですが、それでも一冊は一冊です。ちゃんと血となりとなりになってます。その結果は、徐々に成に向かっていっているLicksに反映されているということです。

 

 

で、今年の一番のい出は、やはりどうでしょうの寄り合いに参加したことでしょう。コレはいようがない。ほかに何か、その前の十ヶ月に何かあったかな、と思い返しても、せいぜい宇賀ちゃんが婚した、とかぐらいしか出て来ません。まぁ、ご近所さんとのトラブルは度のことですので、トピックといえばそうですが、今となってはたいしたことないし。

 

そういう意味では平穏な日々だったからこそ、あの奇跡的な一夜が、際立って印象深いのかもしれません。

 

この間チョロッと調べたんですけど、じゃあどうでしょうが現役で放送されていた頃、私は何をしていたんだろうってね。そうすると、どうでしょうの放送開始が1996年で、その年の冬に、エレクラめてのレコーディングがあったのね。初代のボーカルと、10分以上にわたるクリスマスメドレーを作った、まさしくエレクラの最初の来事だったのね。

さらにどうでしょうは2000年に半年間の止期間をとるんだけど、エレクラはそれに遅れること一年()2001年にやっぱり半年間の休息を取る。前回発表したリメイク版の元曲は、その休息の直に発表されたモノ。その後、どうでしょうは2002年にいったんピリオド、エレクラは2006年にいったん()。何が言いたいかというと、まぁ、そういう代だったな、と。

付け加えるなら、エレクラもどうでしょうも、たまにしか活動しないけど、わってないのよ。まぁ、片や一介のアマチュアレコーディングユニットと世界に名だたるお化け番組を一緒にするな、と言いたくなるでしょうが、まあそこはご容赦いただいて、ひじょうに広い広い広い範囲でのクリエイターの範疇のっこに、エレクラもちょこっと坐っているってことにしといてください。

 

つまり、毎度のことですが、他人の績もまるで自分がやったように喋るこのブログですから、そういう話をするわけですが、その前にちょっとした寓話を。

今でも一日に一度は、そのどうでしょうの寄り合いのことを芻します。その度に、ああ、例えばあの時の平成の大祥事がなければ、寄り合いに参加することもなかったんだろうな、とか、あの時あのまま思いとどまっていたらあの場所に行かなかったんだろうな、という風なことを思います。それはストーンズを初めて東京ドームで見た時にも思ったことで、今までがあって私は今ここに居る、という強い信が、私を突き動かし、それがエレクラに繋がるわけです。

そしてストーンズは更なる出逢いをもたらした、というのが、山川健一という、もう勝手に匠と呼んでいる方との出逢いです。出逢いというか、初めて直接逢ってをした、ということで、それはどうでしょうの寄り合いにも繋がる。

 

その時、自分にはエレクラがあって、もちろん、私はエレクラのしま♪さん、という立場を引きずってそこに加していたのね。まぁ、その時のことは何度かココでも話したけど、実際い上がってしまって上手く喋れなかった。健さんがわざわざに来て坐ってくれたのに、上手く会話出来なかった。

でも、ただ唯一、今エレクラをやっていてCDを作っているんですよ、とはえたのね。それで、CDできたらりますから聴いてくださいよ、と。健さんはしい人だから、ああイイよ、と仰ってくれた。その場は一方でストーンズのオフ会でもあったわけだから、確かEMIの方だったと思うけど界の人もみえられていたし、周りは音楽やってます、っていう人もたくさん来ていて、ちょっとした名刺交換会みたいにもなったね。キレイなの人も一杯いたけど()

 

で、その時張って作っていたCDがきっかけで、エレクラは瓦解するのね、スタッフ間のトラブルで。

 

そりゃ健さんの優しさに乗っかっただけで、そのどうなるかはわからないよ。でも、何らかの広がりはあるだろう、CDを聴いてくれる人がもっとたくさん増えればいいな、とそういうことは容易に想像出来るし、その処があったから人一倍その時作っていたCDには力が入ったのよ。それ以外の時に力を抜いていたわけじゃないけど、当時の仕事に押されてエレクラの活動自体が、とても苦行を強いられていたから、そのこともあって死回生、っていうかそういう部分もあったのね。

私はエレクラの創業者だし、先頭に立っている、という自覚もある以上に、エレクラを大きくしたい、という思いもかったのよ。だから機会を見つけて、そういう大きく輪が広がっていくような所に出かけていって、エレクラ伝する、ということをわりと気合いを入れてやっていたのね。

ただ、そういう風に強い思い入れを持って、エヴァンジェリストとして動するスタッフは私しかいなかった、ってコトなのよ。その度差が、結局瓦解に繋がった。ああ、今思い返せば、初代が辞めていったのも、そのだったな。敢えてこう言うけど、あの時ちゃんとCD成して、健さんに聴いてもらえてたら、って今でも思うよ。

 

と愚痴と言いながら、多少明日への振りを込めて今日はここまで。

 

なんてね、眼鏡をしくしたよ、って云ってみました。前回真っ二つになったメガネですが、それを購入したショップに持っていき、こんなんめて、と多少皮肉も込めながら新調してきました。面倒くさかったので、視力はそのままでフレームだけ、とお願いしたんですが、になって、そういえば最近見えにくいよな、と()。値段変わんないだからちゃんと見てもらえば善いのに、そういう時倒くさがりやは損をします。まさしく世界をぼす三大要素のひとつですな、ってコトで。

 

それでは今日はこの辺で。