祝福するよ、ハニー。拙者の甥っ子が世間様からは岡田准一に似ているといわれてモテモテだそうで御座るが、それが縁でウチの母親まで岡田准一にうるさいので御座るよ。奈乃で先日来、「タイガー&ドラゴン」「木更津キャッツアイ」ときて「IWGP」というクドカン三部作を立て続けに見ていたら結婚の報せで御座る。さて来年は誰が結婚するので御座ろうな。
さて。
寄り合いに至る過程は、前に話したので端折りますが、会の終盤、私は藤村さんの隣に陣取る、という幸運に恵まれました。そういう風にいうとなんか偶々、という感じですが、実際は多少厚かましくそこを確保した、というのが正解です。寄り合いの時の私は、事前に酩酊したのもあって(言い訳)、かなりギャーギャーうるさく厚かましいヤツだったと思います。もし不快に思われていた方がいらしたらこの場を借りてお詫びしておきます。
でもね、そういう機会は滅多にないんだし、前に話したように私にはちゃんとした思惑があったのよ。とにかく営業しに行っているんだから、ちゃんと顔を覚えてもらわないと。でも、接待するわけではなく、それは昨日も云ったように、エレクラのしま♪さん、というスタンスを忘れずにね。
エレクラは平成の不祥事前の瓦解後、より場としての意味合いが強くなった。初代ボーカルとエレクラを作った時、エレクラはおもちゃ箱をひっくり返したような、何でもありのユニットにしたい、というコンセプトを持っていた。だから好きなモノはなんでも取り入れて、その後スタッフを受け入れるのも、音楽だけでない何か、を重視していた。結果、一番変なものを持っていた姫だけが残ったってワケね。
私が小説を書くのも、一応エレクラの活動の一部だし、だからこそ、姫にイラストを描いてもらったり、主題歌を作ったり出来るのよ。今年注目したバンドのひとつに、ポルカドットスティングレイがあるけれど、おそらくエレクラが望んでいたモノを先鋭化した形で何でもやっていけるバンドとしては、おそらくピカイチ。だからものすごく刺激を受けたけど、あのギターは真似しようとしても無理。
それはさておき、小説を宣伝に、ということイコール、エレクラの活動をアピール、ということにも繋がるのね。だから、会の終盤、そろそろ終電組が帰る頃になって、いくらか席に隙間が出来たのをいいことに、ちゃっかり藤村さんに営業を、といって隣に座ったワケね。
すると、もう自己紹介の時に小説書いてます、っていう宣伝文句を謳っているわけだから、当然藤村さんも、どういうの書いているの?って訊かれるわけです。私はそこにひとつプランがあった。フライヤーにしたファミレスBe-BOPはまぁ、おそらく誰もが入りやすいわかりやすい小説だろうし、一応完結している話だから一押しにしたんだけど、実は藤村さんには別の話をしようと思っていたのね。これはもう寄り合いに参加すると、あれこれ悩んだ時から決めていたのね。
ファミレスBe-BOPは家族の話ですけど、それはさておき、藤村さん、怪獣映画を撮ってみませんか?
私はそう言ったのね。ここで、このブログの昔からの読者ならわかると思うけど、エレクラはこう見えて、立派な怪獣映画のコンセプトを持っているのね。
昨日、エレクラは半年間の休息期間を取った、という話をしたけど、その直接の原因は曲が作れなくなったこと、つまりスランプになってしまったのね。それは、その前の年、まさしく2000年という世紀末の一年をかけて、架空の怪獣映画のサントラを作ったのよ。すべてはここから始まった。
鬼姫降臨 ←←←クリックしてみてね、ガオーッ。
偶々、曲のタイトルを決めるためにビデオ・ザ・ワールドをパラパラめくっていて、ふと思いついたのが鬼姫で、そこからバーッと架空の怪獣映画のサントラ、という構想が広がっていったのね。そして、一年経って作り上げた時に私の中に何も残ってなかったのよ(笑)。まぁ、燃え尽きた、って感じかな、そっから曲が作れなくなっちゃった。
その後、このブログの読者ならおわかりの通り、その架空の怪獣映画を元に、小説を書いてここで発表していたのね。それは結局、途中で止まってしまっているけれど、コンセプトはしっかり頭にある。あれから多少、続きを書くための勉強もした。
途中で止まったのは、自衛隊の編制とか、米軍との関わりとか、なるべくリアリティを出そうとして、全く知識がないことに気づいて、コレはすぐには無理だな、と思ったのが原因。その後震災のこともあり、自衛隊関連の本やら情報がたくさん出て、それを集めたんだけど、そこには当然模型化するというような雑誌も加わっていて、そこはかとなくガンプラ作りにも繋がっている、と(笑)。
そこで、私は藤村さんに、その止まっている小説版の方を話したのね。コンセプトは、怪獣の出てこない怪獣映画。怪獣が暴れ回った後の話で、怪獣を出現させてしまった「美波」ちゃんを法廷で裁く、というのが大きな主題になっている。そういうあらましを、藤村さんに話したのね。
するとね、藤村さんは、発想は面白い、と断言してくれたね。もちろん酒の席、社交辞令は重々承知、でもね、その一言で充分なのよ。そこと搦めてファミレスBe-BOPの話もし、藤村さんはじっくりと聞いてくれたよ。ただ、その途中で止まっている、ということと、実は結末がまだ見えていない、という部分で、先に進めるのが不安、という話をしたのね。でも、そこに執着するのが作家だろ?と藤村さんは仰った。奈乃で私は宣言しちゃったのね。
来年中に、完成させます。
ああ、言っちゃった。でも、いろいろと後始末の時期だな、という想いがあって、喉に刺さった小骨が鬼姫だったから、それも好いきっかけかなぁ、とね。今なら書けるかもしれん、という淡い希望も自信もあったし、それで来年潰れてもいいや、いい目標が出来たな、ってね。
その後、今度はみんなして藤村さんの話を聞く、という場になったので、それ以上詳しい話はしなかった。でも、藤村さんは私の宣言はしっかり覚えていてくれて、翌日別れ際、書けよ、の一言をくださった。まぁ、実際書いたからといって、どうやって藤村さんに見せればいいんだ、とか現実問題いろいろあるけれど、私としては、来年の目標がもらえただけでそれで好いのだ。
振り返ってみて、じゃあ私の当初の小説をアピールするって目標はどうなったかな、という疑問は残るにしろ、でも、未来の進むべき道をもらった、ということは、これに勝る代償は無いんじゃないの?そういう機会ってそうそうは無いよ。もちろん、なんの金にもならないことだし、まぁ、相変わらずこの生活は続く、ってコトなんだけど、でもね、私の人生、ということに関していえば、コレほど幸福なことはないのよ。
上手い言葉が見つからないけれど、どんな生き方をしていても、コレまでがコレからを導くのであり、その結果、幸福な一瞬が訪れるならば、それはそれまでの一生がすべて肯定される、ってコトなんじゃないかな、と思うのね。それは少なくとも、私の生きてきたエポックメイキングな折々の中に、ちゃんと用意されていたんだよ。そうすると、あの最低最悪の平成の不祥事だって、ここに至るための試練だと思えば、ちゃんと咀嚼して飲み込めるってもんだよ。
でね、前回はCDを聴くよ、とせっかく仰ってくれたのに、健さんにはCDを渡せなかった。それは返す返すも、スタッフ間の温度差の問題でそうなってしまった。でも今回は、私が頑張れば何とかなる。約束を守るために、私が頑張れば良い。それが幾らか楽。やっぱりそれも、アノ瓦解があって姫と2人になったのが良かったのかな、ってそう思えるようにしないとね。
ということで、もう少し藤村さんの話をして、今年を締めたいと思います。
なんてね、一年というのがしま♪さんらしいね、って云ってみました。一応安全弁は用意しているのが、とっさの宣言にしては用意周到というか。一年ありゃ出来るだろう、という御気楽思想もあったのですけど、酔っているわりには冷静だったな、と。それはきっと飲む前にウコンの力を飲んでいたおかげだったのだろう、ってコトで。
それでは今日はこの辺で、ごきげんよう。