燧灘の勝ちだよ、ハニー。年間120冊読破、という目標を掲げて年初スタートを切ったしま♪さんで御座るが、そこに附則として、マンガも含む、という何とも玉虫色の逃げ道を作る辺り生粋の官僚主義的性格に磨きがかかって居るで御座るなぁ、ぐわっはっはっはっはぅ。しかし、先日読んだケンさんの小説にふと、フランスの詩人が書いた詩を暗唱する場面があって、詩集ならさっと読めて数も稼げるんじゃね?というまたしても悪巧みを思いついた次第。そこで今、普通に読み進めている本と平行して、寝る前とかちょっとした空き時間に詩集読んでおるので御座候。いやぁ、数は稼げるんだけど思わぬ弊害が、というのは最期までのお楽しみで御JAL。
さて。
先日、ある夜のこと、そろそろヴェルレーヌでも読んで寝るとするか、と思い、シムトランスのゲーム保存をして、そのまま終了するんだけど、その前にここ旅客が詰まっているから路線をどうかせんとイクネ?とか思っていると、不意にどこからか異臭がしてきたのね。
それは言葉にするなら、金属が焼けた匂い的な、とにかくあまり普段では嗅いだことのない匂いで、もちろん、出所も分からない。ちょうど扇風機を回していたので、直感的にモーターが焼けたとか、電源が、と思って見て回ったが異常なし。え?もしかして、しかしそれが現実になるとかなりヤバイ。
と思って、パソコンの筐体を彼方此方見て回ったが異常なし。あの血まみれになって 指を半分落としかけてまで導入したこのパソコン、元々サーバーか何かだったらしく、CPUはかなり高速なはずなのに、ファンの音がほとんどしない。回ってないわけではないようだけど、今までは電源入れるとまずファーッンっていうのから始まっていたから、本当に立ち上がってんの?っていうぐらい静かだったのね。
で、やっぱりファンが回って無くて、それで遂にパソコンがお釈迦になったのか、と思ったのだけど、どうも大丈夫みたいで、そう考えるともしかして、と窓の外を見る。ウチは田舎なので、周りは田園風景が広がっていて、そろそろ稲刈りの季節でしょ?深夜に農薬、あるいは有機堆肥、なんか撒いていることがあるのね。ただ、そういう感じの匂いではなかったのだけど、外から漂ってくる匂い、ということには思いが至ったわけ。
もしかして、薬品?サリン的な?まぁ、近所でかなり鬱陶しがられているクレーマー、すぐ警察呼ぶ人、って路上駐車しているおかしな人達には煙たがられているから、そんな方々が、遂に復讐を!
といって身体に変化はなく、その匂いもほんのりと薫ってくる程度で、アレ?なんだろう、と思った私の目の前で急にパソコンの画面がプヒッ、とか云ってブラック・アウトしたのね。そして見ると、モニターの下で灯っていたランプが、私の目の前でフツッと消えてしまったのね。
え?モニター壊れたの?
唖然としたね。どうやらその匂いは、モニターの電源が焼き付いた匂いだったようで。確かに、アレはエレクラ瓦解直後に、それまでのCRTのモニターから液晶に、って云って変えたから、もう十年近くは使っているヤツなのね。本体は何代か世代を経たけど、モニターだけは変わらずに使い続けたのよ。今時の横長タイプではない、4対3のアナログサイズだし、喫煙時代から使っていたからもう黄色くなっているし。在りし日のモニターが、これ。
しかし、納得してもモニターは元には戻らぬ。とりあえず、何とかしないといけないけど、何とかなるのか?
最近は便利ね、普通のテレビにパソコンを繋ぐことの出来る端子が装備されている。深夜にパソコンの裏をギャッチャガッチャやって今のテレビに繋いでみた。簡単に言ったけど、アアでもないコウでもない、で軽く一時間は悪戦苦闘したのよ。
映った画面にシムトランス上で新幹線がビューッと走っていた。大丈夫、本体が壊れたわけではない、逝かれたのはモニターだけだ。ということは分かったけれど、さて、これは困った。別のモニターを繋がないといけないってことで、それは多少ヨッコイのいる話だな。
そう思ってその日はもう寝ました。
翌日、改めて頭を整理して、とりあえず最も安価で済む方法を考えたのね。それは、さかのぼること今年の三月、三菱だかどっかのテレビが、アップデートした途端電源が切れたり点いたりするようになったっていう事故があったでしょ?アレに私しっかり引っかかっていたのね。
後にアップデートのミス、というのが分かるんだけど、判明したのはその日の昼過ぎで、私はもう朝の5時半にはその不具合に遭遇していたのね。だから、壊れた、と思ったのね。まだそんなに旧くないのに、何で?でも点いたり切れたりするって、機械的なものだって思うじゃない。ソフトウエアがそこまでするには、挙動がハード的すぎたのよ。
その日は朝一でヤマダ電機に駆け込んで新しいの買ったのね。店員さんが寄ってきて、テレビお探しですか、って訊かれたので、今朝からどうも壊れたみたいで、って云うと勧められたのが今のヤツで、決め文句が、フルハイビジョンですよ。後になって気づいたけど、フルハイビジョンって、ウチにフルハイビジョンを駆使するハードなんて無かったよな。まぁ、でも近所のヤマダ電機にしたのは、壊れた時にすぐ直せるように、持って行けるように、ってコトで買ったのよ。
帰ったらその不具合がニュースになっていて、昼には直っていた。そのニュースを私は新しいテレビ、買わなくて良かったテレビで見たのよ。
不具合の出たテレビにはなんの不満もなかったし、その不具合がなければ、買い換えようなんて気はこれっぽちも無かったのね。私は騙されたような気になって、その憤懣やるかたない気持ちをどうしようかと、結局、市内にある消費者センターに駆け込んで、さんざん愚痴ってきました。
で、話は戻りますけど、その時変えなくて良かったテレビがまだ残っている、と。それにはパソコンの接続端子も付いていて、ノートを一度繋げてみたけど、上手くいかなかった。だから不安はあるけど、とにかくもそれで代用できるだろう、と箱詰めしていつか売っぱらってやろうと仕舞っておいたヤツを引っ張り出したのね。
無事、テレビはパソコンに繋げることが出来て、モニター復活と相成ったのですが、これがね、というところで続きは明日、例の答えが長引きそうなので。
なんてね、翻訳物は読まないはずなのに今読んでいるって気づいたよ、って云ってみました。ずっと前に、何となく海外文学は原書を読まないと 本当の意味での理解は出来なんじゃないか、という拘りがあって、英語の読めない私は敬遠していたのね。それがフランス詩人の詩集ですって(笑)。案の定、何となく違和感はあります。新潮文庫でまとめたのが悪かったのか、元々詩というもの自体の良さを見いだせないまま、ただリズムだけで読んでいる感じでして。一応日本語詩人のモノも揃えていますけど、って、新しく買ってどうするのよ(笑)。元々今年は120冊読むのは、いわゆる積ん読の解消が目的だったはずで、本は極力買わないことにしていたのに、減るどころか増えちゃったよ。オマケに文庫で六百ページ級の大物だけが残っていく、ってコトで。
それでは今日はこの辺で、ごきげんよう。