内房線全駅間歩き1(蘇我-木更津) その1・房総往還に残る昔の名残 | 駅から駅まで・旅のあしあと

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鉄道路線全ての駅間を歩く全駅間歩きを10年以上続けています。
今は東海~北海道エリアを歩いていますが、目指すは全国全路線全区間踏破!
そんな壮大な目標、たぶん一生レベルでかかるので、長い目で見守っていただけるとうれしいです。
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続いての全駅間歩きは内房線です。

内房線は千葉県の蘇我と安房鴨川の間を119.4kmで結んでいます。

木更津・君津までは住宅地の背後に工業地帯を見ながら進みますが、

君津から先はローカル色が強くなり、やがて車窓には東京湾が広がります。

 

江戸時代から明治にかけて木更津の水運が盛んだったため、

内房線にあたる区間の開通は遅れたといわれています。

1912年に最初の区間が開業した後は小刻みに南下し、

やがて海水浴客で混雑するようになりました。

 

館山と東京を結ぶ役割は道路網の発達により薄れつつありますが、

現在も千葉方面への通勤、沿線への通学路線として重要な役割を果たしています。

 

 

今回は起点の蘇我から木更津までを歩きます。

このあたりは海岸線に京葉工業地域、線路沿いに住宅地、東側に田園風景が広がっています。

今回はバリエーションあふれる景色を偏りなく歩いてみたいと思います。

 

歩いたのは2月29日。

国内でのコロナ感染が増え始め、

密閉空間となる場所や混雑している場所での感染リスクが指摘されるようになりました。

この土日から都内の屋内観光施設等は軒並み休館となってしまいました。

 

今回はマスクを持っていくことにしましたが、

歩いている間にメガネが曇ると却って危ないため、

行き帰りと駅構内、混雑している場所で着用しました。

また、屋内の観光施設には一切立ち入らないことにしました。

 

それでは今回も行ってみましょう。

 

 

千葉-蘇我間はこちらから(外房線全駅間歩きへ)

[そのほかの内房線シリーズはこちらから]

2回目(木更津-浜金谷)

3回目(浜金谷-安房鴨川)

 

 

2月29日(土)  歩行区間:蘇我-木更津  天気:曇り後晴れ

蘇我(6:10発)-浜野(7:10着・7:20発)-八幡宿(7:59着)-

 

 

今回は蘇我駅からスタートします。

ようやく空が明るくなってきました。

 

 

 

内房線の下り列車は主に5番線から発車します。

駅構内の人は少なめでしたが、これは時間のせい?コロナのせい??

 

 

 

今回は西口から出発します。

ジェフ千葉のホームスタジアム最寄り出口です。

 

 

 

南側から青い機関車がやってきました。

京葉臨海鉄道の機関車です。

 

実は、蘇我駅は京葉臨海鉄道の始発駅でもあります。

京葉臨海鉄道は蘇我から北袖・京葉久保田までを結ぶ貨物鉄道です。

区間のほとんどは京葉工業地域で、域内発着の貨物輸送を担っています。

…機関車見たの初めてだったかも。

 

今日また見る機会あるかな?

 

 

 

内房線全駅間歩きスタートです。

一面曇り空ですが、予報では次第に晴れるそうです。

 

 

 

駅から西へ進んで、国道357号を越えました。

遠くに京葉工業地域の煙突が見えてきました。

 

 

 

ジェフ千葉のホームスタジアム・フクダ電子アリーナです。

そういえば、2月末からJリーグも試合できなくなってしまったんですよね。

 

ここを左折しました。

 

 

 

その先にはフクダ電子スクエアが広がり、

サッカーをはじめとした、屋外スポーツ施設になっていました。

埋め立て地だけあって、広々としていますね。

 

 

 

国道357号に合流しました。

たぶん、ここが昔の海岸線なんでしょうね。

 

 

 

少し歩いたところで側道に入りました。

 

 

 

やがて踏切が見えてきました。

京葉臨海鉄道の踏切です。

 

 

 

こんな所にお店っぽい建物が。

もちろん今はやってなさそうですが、

陸橋ができるまではこの道がメイン道路だったような雰囲気ですね。

 

 

 

陸橋を越えたら国道を横切り、そのまま県道24号に入りました。

 

 

 

浜野川を渡りました。

漁船と思しき小舟が浮かんでいて、

海に近いことを感じさせます。

 

…今も漁業しているのかな?

 

 

 

さらに進むと、商店街っぽい場所に出ました。

まだ浜野駅は少し先ですが、ここが浜野の「中心市街地」です。

 

ただ、営業してそうな店はそんなに多くなかったですね。

スーパーやら大型店やらの影響でしょうか。

 

 

 

断言できないですけど、たぶん枡形ですね。

周囲は新しい建物が多いですけど、宿場町の面影が残っていますね。

 

浜野は大多喜往還と房総往還を分ける宿場町だったそうです。

鉄道の分岐点も浜野だったら、もっと賑わったのかも。

 

 

 

商店と住宅が入り交じる通りを浜野駅へ向かいました。

 

 

 

最初の駅・浜野駅に着きました。

忘れないうちにマスクつけないと…。

 

 

 

ホームは1面2線です。

10年ほど前にホームが延長し、快速列車も止まるようになりました。

 

さっきは宿場町にあたる「旧市街」を抜けてきましたが、

線路の反対側には新しいマンションもちらほらと。

 

 

 

少し休憩したら、次の駅へ。

まずは駅前の道を南へ向かいました。

 

 

 

国道16号の側道をちょっとだけ西へ。

 

 

 

途中で左折して県道24号に入りました。

この道が房総往還なのかな?

 

 

まもなく「村田橋」というバス停を通過しました。

橋なんて無いじゃないかと思っていたら、こんな場所が。

そして、その先は市原市という。

 

たぶん昔は左側の囲いの中を川が流れていたんでしょう。

地図見る限り相当蛇行していたみたいなので、川を移して直線化したのでしょうね。

…となると、今はどこ流れているのかな?

 

 

 

こちらが現在の村田橋と村田川です。

川幅も広くしたみたいですね。

 

 

 

さらに進むと、バス停に「八幡」の文字が入るようになりました。

意外とあっという間。

 

 

 

ただ、そこから先がちょいと長かったような。

10分弱歩くと、中心っぽくなってきました。

 

鎌倉時代は鎌倉街道、江戸時代は房総往還が通り、

八幡宿は宿場町として栄えたそうですが、

ではその「八幡」はどこに…

 

 

 

と思っていたら、

駅前通りとの交点に飯香岡八幡宮がありました。

 

この神社が創建されたのは7世紀後半とのこと。

道の片隅にこぢんまりと佇む神社然としていますが、

長い歴史を持ち、上総国八幡総社ともなっている重要な神社です。

 

ちょっと入ってみましょうか。

 

 

 

こちらが本殿です。

朝から参拝している人がいましたよ。

 

ちなみに、本殿は県道24号に背を向ける格好で建っています。

…となると、八幡宿の中心部は房総往還に面していなかったのでしょうか。

 

 

 

それでは八幡宿駅へ向かいます。

駅へ向かう人は土曜日と考えても少ないですね。

 

 

その2へ続く

 

 

蘇我駅から八幡宿駅までのGPSログ(1/54,000)です。

 

この地図では分かりませんが、

房総往還にあたる道には路線バスが走っています。

浜野駅から先は県道24号と房総往還は重なるようです。