皆様、こんにちは。おだろーです

本日もお越し頂き、本当にありがとうございます

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まだまだの冷え込みを感じる今日の日に、
ふと思い出していたことがありました。
・・・
暖房がよく効いて
綺麗でゴージャスなお部屋にいても、
愛する人の気配を感じることができなくては・・・
何故だか寒い。
レンジでチン!
したコンビニのおにぎりは、
いくら熱々だったとしても身体の中で・・・
何故だか寒い。
“こんなことならお家から、
おにぎり一つ、持ってくれば良かったな・・・
”なんて外出先で、
いつも感じてしまうのはきっと、
私だけではないはず・・・
だよね。
お部屋は何のためにある?
休息をとるため。
お風呂に入るため。
明日の準備を整えるため。
お風呂に入って今日一日に感謝するため。
夜、心地のよい眠りにつくため。
“ため”
だけが満たされればいいのならきっと、
愛する人の気配がなくても寒さなんかは感じやしない。
食事を摂るのはどうしてなの?
空っぽなお腹を満たすため。
おいしい笑顔に会えるため。
身体が喜ぶ栄養素を取り入れるため。
それら
“ため”
だけが満たされれば良いのであればきっと、
お食事にだって寒さを感じる必要はなし。
だけど・・・
私達はどうやら
“ため”
を通じて何かを求めているみたいなの。

愛する人の気配すら
感じることのできない空間には、
“愛”
が感じられないの。
レンジで温められたおにぎりにだって
きっとそこには
“愛”
はない。
だから私達は、
“ため”
を通じて
“愛”
を求めているんじゃ・・・
ないのかな?

『愛って何ですか?』
という御質問を、
時々頂戴致します。
正直ね、
“愛”
を的確な言葉で表現できる人なんて、
この世には存在しないのだと思っています。
何故なら愛は、
「考えるもの」
ではなくて
「感じるもの」
なのだから・・・

“愛”
という言葉を作ってしまったのはもしかしたら、
ニンゲンの誤りなのかも知れない。
人は、言葉に意味を
見出してみたくなるものです。
だからいくら
「感じるものだから
意味の説明はできないの・・・」
なんて言ったとしても、
納得できるものなんかじゃ・・・
ないんだね。
ただね、
じゃあ少し、
考えてみて欲しいのですけれど、
愛する人の気配が残る空間に、
“愛”
の存在を確信できるのはどうしてだろう?
たかがお塩で握っただけのおにぎりに、
“愛”
を感じながら頂くことができるのはどうしてだろう?
レンジでチン!
なんてしなくても、
人の手で握られたおにぎりから
愛を感じ取るには十分に、
その条件を満たしている。

ココロが寒いと感じるとき。
その時はね、
どうぞそこに“愛”が存在するのかどうなのか?
を感じてみて欲しいと思います。
もしも自分以外の誰をもの、
“愛”
を感じることができない時は、
自分発で
“愛”
を創り上げてゆく。
“一人だから・・・”
とコンビニのお弁当の日々を送るのではなく、
“面倒だから・・・”
と外食の毎日を送るのではなく、
“どうでもいいや!”
とお部屋を放りっぱなしにするのではなく、
自分の手で、
“愛”
を感じれる日常を創り出す。
身体が愛を感じるお食事は?
ココロが愛を感じるニンゲン関係は?
脳が愛を感じるお部屋の状態は?
一体どういう・・・ものだろう?
それを創り上げるには、
自分に何ができるのだろう?
河口恭吾さん『桜』
桜にもきっと
“愛”
を感じることができなければそれはただの・・・
植物だから


~










