小林昭子の日記

いつだって本気…たびたび玉砕…ついには奇跡

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友人から、花森安治さんのエピソードを聞いて、思い出したことがあった。

花森さんは、暮しの手帖の表紙絵を毎号描いていたが、ある時から絵ではなく、写真に変わったそうだ。それは今の時代、Instagramなどでセンスのいい人があげている写真の手法の原点とも思われる撮り方で、ものの組み合わせで意外な魅力を生み出したり、撮る角度や光の使い方なども、最近流行っている方法と酷似しているらしい。その頃はそんな撮り方をしている人は誰もいなかったと思われる。つまりは、花森さんは、一番最初に思いついた人なのだ。それはそれは、ワクワクする新しい開拓であったろうと思われる。いつの時代も、感覚の早い人は、人に理解されようがされまいが、何かを見つけて歩き出してしまっているものだ。カメラの楽しみが生まれた時代。1950〜60年代だという話だった。

その話を聞いた時、わたしの中で、亡くなった父親のことが、まるで初めて見る景色のように思い出されていった。

父は、写真屋を営んでいたが、わたしが小さい頃うまくいかなくなって、店をたたんだのだった。そこからの人生は、泣かず飛ばずでとうとう終わってしまった。だからわたしにとっては、優しいけど頼りない父。印象はそれだけといっても過言ではない。

けれど、花森さんの話を聞いて、すっかり忘れていた父の話を思い出したのだ。(父のことをあえてTくんと書いてみます。)

******************

Tくんは、新しいものが好きだった。子供の頃からそうだった。高校を出た頃、カメラが流行しだして、これは新しい楽しい世界だと感じて、心動かされ、映画のカメラマンになろうと決意する。映画の専門学校に入りたいと言うと、親には反対されたけれど、なんとか学費は出してもらった。家族と離れての東京暮らし。江戸っ子気取りは楽しい毎日だった。お金はないけど、おしゃれなメガネをかけて、優しい性格だったから、多少、女性にももてた。そして卒業するときに、親に「映画なんて、そんなやくざな仕事をするなら勘当だ」と言われた。(当時、映画は、やくざな仕事だと思われていた。)
Tくんはロマンチストでセンスが良いけど、気が弱いので、親の意見にびびってしまい、カメラマンを諦めて、写真屋さんを始めることにした。お店では、カメラを売ったり、写真の現像をしたりして、当時の写真ブームに乗って、仕事はたくさんあった。お嫁さんももらって、子供も2人生まれた。写真館としても重宝されるようになり、証明写真や肖像写真を連日撮った。風景撮影バスツアーを企画したときは大人気で、バスは満員なのだった、
でも、流行というものは残酷なもので、10年もしないうちにカラー写真が世に出回るようになった。Tくんは、白黒写真の現像しかできないので、カラー写真は、大手の会社に現像を依頼しなければならず、利益は激減した。そして、あるとき、Tくんは、壊れてしまった。夢の終わりだった。

******************

そんな父の話を薄々聞いたことがあったのに、わたしは忘れていたのだ。父は、素敵な人だったのだ。ほんの10年ほどだったけど、時代の先端を行く、イケてる人だったのだ。父の最盛期の写真を見ると、とってもかっこいい。いまになって、自慢に思っても遅いかな。
ごめんね。父。バカにしたり、ないがしろにしたりして。
ごめんね。かっこよかったTくん。



花森さんの活躍された時代のエピソードから、父も同じ時代に、同じ東京で、同じような夢を見ていたんだと思うと、父が、今になって愛おしくなったのでした。
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