うちに暮らす一歳児がシナぷしゅ、Blippi、トーマスに続き、セサミストリートに興味を持ち始めて公式YouTubeを延々と垂れ流している。
すると、自分の幼い頃には見かけなかったキャラクターが現れたのだけれど、この子がなかなか興味深い設定。
調べると2017年に加入した新メンバーとのこと。
ジュリアは自分の世界に没頭して、周囲の声が届かないことがある。それをまだ知らないビッグバードがジュリアに気さくに声をかけるのだけれど、二度も無視されてしまい困惑。しかしそこで、ジュリアと一緒に絵を描いていたエルモとアビーが、ジュリアの特性のことを少しずつ噛み砕いてビッグバードに説明する。これはビッグバードに対して言っているようで、実はテレビの前の我々になるべくわかるように教えてくれている。
「何か聞かれても、すぐに答えられないことがある。」「期待している返事をしてくれないことも。」
ふむふむ、と聞き入れるビッグバード。
もう、これだけでじゅうぶん優しくて泣きそうになるのだけれど、さらに知れて嬉しい言葉が続く。
「みんなと少しやり方が違うけれど、それがジュリアスタイル!」
こんなにも"自分とは違うけれど本人にとって普通のこと"を受け入れやすく、そして汎用性の高い言葉を教えてくれたセサミストリートに頭が上がらない。
自閉症や発達ゆっくりであることを知った途端、なんだか腫れ物に触れるような優しさの形をとってしまう大人はあまりにも多い。そして、その反応は大抵、した側もされた側もしっくりきていないのではないだろうか。
ぼくがまず知りたいのは、その子が、その人が、「自閉症かどうか」よりも、何を好きで、何が苦手で、今どんな気持ちなのか。
ぼくだってみんなが好きなバナナが嫌い。みんなが平気でこねるハンバーグや餃子の挽肉を、ぼくは手でこねることができない。音や声に敏感で、ある一定以上の音量や高さの音を聴くと吐き気がするし、複数の音が飛び交う中では全ての音がほぼ同じ音量で聴こえてしまって、目の前の人であっても会話ができない。
人と遊ぶ約束をしたとき、合流してしまえば楽しめることはわかっているのに、当日のその時間を迎えるまでは本当にギリギリまで断りの連絡を入れようかと真剣に悩むくらい行きたくない。遊びたくならない。気圧が低いと尚更だ。
自分のことなのに、この辺りの気持ちの付き合い方がわからないまま32歳になった。
それをおもしろがって聞いてくれる友人もいれば、一緒に改善策を探し続けてくれる友人もいる。
ただ、腫れ物に触れるタイプの優しさを見せてくれた人とはだんだんと疎遠になった。
人と向き合う、認識する、把握する、理解する。
なんだか全て似ているようで、全然違う。ひとつずつ、独立した工程なのだ。
別のストーリーで、髪が伸びて目まで隠れたジュリアが髪を切りたくないと泣き喚く回があった。
そこではジュリアの苦手を理解してあげるために、エルモたちが美容室ごっこをしていた。(もう感動…)
正しく紐解くと、ジュリアはただ「髪を切りたくない」や「髪を触られたくない」ではなく、「知らない場所で知らない人に触られること」と「何が起きるか予想できないこと」への恐怖心が一層強いことがわかった。
美容室ごっこで、ある程度物事の順番ややることを把握できたジュリアは、髪を切ることが出来てとっても嬉しそうだった。
特性のある人のその個性を腫れ物にしないで。
「フーン。あんたはそんな感じなんだね。オッケー。」で済ませられる世界になると、嬉しい。