writer/永森 椿
今回は、小説短編集『ハッピー☆アイスクリーム』(加藤 千恵/著)のレビューです。
内容紹介
友人との関係、将来への不安、どうしようもない恋心、ふとしたときに気がつく孤独――。
高校生のリアルな感情を切り取った短編集です。
著者のデビュー短歌集に青春小説5編を加えてリミックス。
思春期特有の甘さや切なさを詰め込んだ短編小説を短歌が彩っています。
5つの短編集のうちの一つ、「また雨が降る」のあらすじをご紹介します。STORY
好きな人は親友が好きで、その親友はまた別の人が好き。
複雑な恋愛状況で自分の気持ちを言えずにいる主人公(名前の表記はありません。主人公は、女子高校生です。)
でもやっぱり伝えたい。好きな人に、振り向いてほしい。と主人公は思います。雨の日の放課後、ドーナツショップで雨宿りしていても、つい目で追ってしまいます。
一緒に帰ろうと誘われると嬉しい。話があると言われて期待したりもしました。
けれどその話というのは、親友に彼氏ができたことでした。親友からそのことを一番に教えてもらえなかったことを、悲しく思う主人公でしたが、目の前にはもっと落ち込んでいる人がいました。
どんな言葉をかけたらいいのかもわからずに、ただ曖昧に別れる主人公と、その好きな人。
静かに雨が降っている午後でした。(また雨が降る)REVIEW
他の人から見たら、ありふれたようなことにでも、必死になって毎日苦しんでいる、という日常を丁寧に描いていて共感できました。
物語自体はとてもスローテンポで進んでいき、どの短編も、小説世界の時間では二日以内という、わりと短い期間の話が書かれています。
そこが良いと思いました。
一日や二日という短い時間の中で、自分がどれだけのことを思っているかを確実に、詳細に描く点が気に入りました。
それから何日後といったって、その何日にも大事なことは起きているという当たり前のことを当たり前に書いただけなはずの作品なのに、何故だか胸をうたれました。
きっと、間に挟まれる短歌のせいだと思います。
なにしろ、絶妙なタイミングで挟まれてきます。
短歌の前後で感情は変化し、まるで魔法にかかったみたいに自然に主人公の気持ちにさせられます。短歌の引用をしておきますね。
ありふれた歌詞が時々痛いほど胸を刺すのはなんでだろうね
左手が微妙な位置で浮いたままなにも言えずにくちづけをした
「つまんない」ばっか言ってた つまんなさ世界のせいにしてばっかいた
さらりと読めて、爽やかな気分になれる短編小説と素直な気持ちをうたった短歌のコラボレイションは、想像以上に面白かったです。
若い学生のうちに読んでおきたい作品であることはもちろんだと思いますが、大人が読んでも楽しめるのではないでしょうか。
『ハッピー☆アイスクリーム』は、青春を詰め込んだ宝石箱のような作品です。
私はそう感じました。評価は5とさせていただきます。
著者/加藤 千恵
発行者/加藤 潤
発行所/株式会社 集英社
初版/2011年12月20日writer/永森 椿
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恒例になりました、おいしい、口コミスイーツ情報。
今回は、地下鉄「川口元郷駅」から徒歩5分の距離にあります、『パティスリーアプロッシェ』のスイーツのご紹介です。
店名の正式な表記は、
『PATISSERIE approcher Kawaguchi』
となっています。
JR「川口駅」からは、徒歩15分の距離にあります。
さて、まずは、画像からご覧ください。
こちら、「カフェ ティラミス」(420円)です。
にゃんくが注文しました。
お味のほうは……。
今まで生きてきて、食べたティラミスのなかで、いちばんおいしいかも。
冗談でなく、そう感じました。
評価はもちろん、
パティスリーアプロッシェのパティシエさんは、店内に表彰状がいくつも飾ってあるところからして、かなり腕自慢の模様です。
なんでも、軽井沢のマンペイホテルにいて、その後、(外国?など)いろんな有名店で修行、それから横浜のホテルでチーフ的な役職についておられたとか……。すみません。にゃん子さんがちらっと見ただけで、正確には記憶していないのですが、そんなことが書いてあったようです。
はい。
お次は、「アップルパイ」です。
420円でした。
こちらは、にゃん子さんが頼みました。
にゃん子の感想
「リンゴが甘すぎず、ちょうどいい甘さです。
薄切りリンゴが三段くらい入っています。
一番底のパイ生地もサクサクしてて、おいしかったです。
また食べたいおいしさでした。」
にゃん子の、アップルパイの評価は、
writer/にゃんく
パティスリーアプロッシェ
所在地: 埼玉県川口市本町2丁目6−17 プラティーク・ONE
電話: 048-446-9023
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シュークリーム好きな方いらっしゃいますか?
今年前半は、シュークリームのブームでした。
池袋に、自分の好きなクリームを入れてくれるシュークリーム店もあるほどです。
そこで今回ご紹介するのは、赤羽駅駅ナカにある、ガトー・ド・ボワイヤージュのシュークリームです。
窯出しパイカスター
税込249円です。
にゃん子の感想
カスタードクリームがおいしいです。
カスタードクリームと生クリームが、見事にコラボしています。
カスタードクリームが多めで、生クリームがちょっと少なめの割合が、GOODです。
シュークリームのシュー生地がパイなのが、パイ好きの方には、たまりません。
サクサク感がうれしいです。
おいしいよ(^^)
にゃん子のこのシュークリームの評価4.5
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http://ameblo.jp/nyankodoo/
本記事執筆者/にゃんく
「あのとき、こうしていれば。」
と後になって、後悔することって、ありませんか?
今頃、もっと違う自分がいたのに。
そう思い悩んで、クヨクヨすることは、誰にでもあることですよね。
そこで、今回、ご紹介するのは、DN社から発売された、『魔法の万年筆』です。
昨年、発売されてから、知る人ぞ知る、隠れたヒット商品となりました。
その日本向けの商品となります。
人体に有害な点など、いっさいありません!
過去を一度だけ書きかえることができます!
これであなたも、バラ色の未来が思いのまま。
それが今回、たったの10万円(税込み)で買えるのです!
好評の口コミも多数。
東京都在住のAさんの声をご紹介します。
Aさんの声。(42歳。男性。既婚者)
学生のころ、ある女学生から告白されたんです。もう20年前のことですけどね。
で、「ぼく好きな人がいるから」ってカッコつけて、断ったんですね。
そんなことが、42歳になるまで、ときどき、思い出されるんですよね。
なんで、そんなことしたんだろって。
フッたりしないで、仲良くしてれば、あわよくば……いい思いできたかもって、そんなことばっかり思い出されるんですよ。男ってそんなもんかもしれないですよね。
あ、ちなみに、そのころ好きだったっていう女性は、その後結婚した同級生の妻のことなんですけどね。
もちろん、そんな話は、妻には言えませんよ。
で、あるとき、この「魔法の万年筆」の存在を知ったんです。
何しろ、口コミで評判の良い商品ですからね。
知るのが遅すぎたくらいです。
さっそく、購入しました。ネットで申し込んでね。妻には内緒です。ヘソクリで買える範囲の商品だったのも、好都合でした。
仕事から帰ってきたら、家に宅配便でとどいていました。
包装を破いて、中から出てきた、七色にひかる流麗なかたちの万年筆に、いたく感動しましたね。
妻は、キッチンで料理のしたくをしておりました。
ぼくのやっていることには、まったく関心を示していませんでした。
ぼくは、書斎にこもって、さっそくノートに書いてみたんです。
「あの女学生に告白された時、断らずに、付き合っていたら」
ってね。
途端に、魔法の万年筆が七色にひかりだして、その光が、数え切れないくらいの流星になって、四方八方に飛び散っていきました。
でも、しばらく、光が飛び散った以外には、とりたてて、何も変化がないなって思っていました。
それで、居間にもどってみたんです。
すると、さっきまで夕飯の支度をしていた妻の姿が何処にも見あたらないじゃないですか。
おかしいな、と思っていると、不意に、玄関のベルが鳴りました。知らないあいだに、妻が外に出ていて、イタズラでベルを鳴らしているのかもしれないゾ、と思いました。妻はそういう遊びみたいなことを、ときどきやるんです。
何気なくドアを開けてみました。すると、そこには、見知らぬ女性の姿がありました。たぶん、ぼくと同じくらいの年代の、中年の女性ですね。
「ただいま」
って言うんですよ。
え? って思いました。まったく知らない人だったもんですからね。
ちょっとドギマギして、この人、頭がおかしい人なんじゃないかって思いながら、
「失礼ですが、お宅様は?」
って聞くと、ケタケタ笑うじゃないですか。気味わるかったですね。
「何言ってんのよ、アンタ!」
って、そのおばさん、まったく知らないのに、いきなりぼくの肩を思いっきり叩いて、家のなかに入ってくるじゃありませんか。びっくりしましたよ。でも、おばさんの後ろ姿を追いかけながら、そのとき、ぼくは気づいていたんです。結婚して、もうすぐ10年になろうとする妻が、もうこの世にはいないだろうこと。そして、この知らないオバサンが、学生時代にぼくに告白して、そのまま付き合うことになって、その後結婚した女性になってしまったこと。
過去が完全に書き換えられたのであるということに。
ちょっと複雑な思いでしたね。まったく見知らぬ女性と、結婚したことになっているのは。
とりあえず、これから新しい妻と、思い出作りに励んでいこうと思っています。
(イラスト/gotogoal)
いかがですか?
威力抜群でしょう?
それでは、本製品の威力を実感していただくために、もう一件、口コミをご紹介します。
Bさんの声。(42歳。女性。既婚者)
魔法の万年筆の使用者は、私ではなく夫です。
夫は交通事故で、2年前に友達を亡くしておりました。
酒に酔ったトラックの運転手が犯人でした。
多額の賠償金が家族に支払われる判決がくだされても、当の犯人に支払い能力がなければ同じことです。酒を飲んで事故を起こしたことを、犯人が後悔している様子もなく、半分、犯人が、公判でも、自分の人生を、まるであきらめたような態度をとっていることにも、主人は憤慨しておりました。
亡くなった友人は、もどらないのです。
約束していた、富士山への登頂の予定も実行することができなくなり、そのことを友達の墓前で、泣きながら悔しがっておりました。
そんな夫のことですから、魔法の万年筆の販売が日本で開始されたというニュースを聞き及んで、飛びつかないはずがありません。
10万円で友達が生きかえるのでしたら、安いものですよね。
案の定、申し込みが殺到し、商品が購入できるかどうか不安な気持ちでいたのですが、無事、杞憂におわりました。
抽選で当選し、見事、商品が自宅に届けられたときの主人の喜びようといったらありませんでした。
七色にひかる万年筆でした。主人は、さっそくメモ紙に書きこみました。
「あのとき友人があの場所を通りかからなければ」と。
一瞬、万年筆のまわりのすべての物体が消え失せたかのように見えました。わたしと主人は、七色のヒカリが交錯する、無重力の世界にうかんでいました。
と、見る間に、夢のようにイメージは消え失せ、いつも通りの家のなかです。
「うまくいったのかな……?」
主人は、気もそぞろに、家のなかを歩きまわっておりました。
やがて、何か思いついたのか、ガラケーを手にもって、何処かに電話をかけはじめました。
普段あまり笑顔をみせない夫が、ニコニコしております。
事故で亡くなった友人に、電話をかけているのだと言います。
友達が亡くなってからも、彼の番号を、なんだか消す気にならなくて、登録したままにしておいたようです。
10秒ほどしてから、声のトーンがいつもと違う夫のことばが聞こえておりました。
「俺だけど、おまえなのか……!?」
やがて、裏がえった夫の声が、涙声にかわりました。
「生きているのか……おまえ!」
そうです。魔法の万年筆の効力により、夫の友人は、あの事故で死んでいないことになったのです。
夫の喜びようといったらありませんでした。
夫はさっそく友人に会いに行こうとしましたけれど、友人のほうが用事があるとかで、(生きかえったばかりで用事があるのも、何だかおかしなものでしたけれど。)夫が友人と再会したのは数日後のことになりました。
その日は、友人といっしょに夕食をたべる予定だと聞いていたので、夫の分の夕飯の支度はしておりませんでした。
その日お休みだった夫は、夕方から出かけましたが、一時間ほどして、すぐに帰ってまいりました。
何だか浮かぬ顔をしているので、理由を聞いてみますと、生きかえった友人が、全然喜んでいないということでした。
友人にしてみたら、自分はずっと生きていると思っているようで、夫がいくら魔法の万年筆で命を救ってやったんだぞ、と言っても、実感がないようで、まったく張り合いがないというのです。
その後、友人が生きかえってから一ヶ月がたち、夫は放心したような状態になってしまいました。夫にしてみたら、自分が一生懸命、動いて友人を生きかえらせあげたのに、友人のほうは、夫の話を作り話か何かのような態度でしか聞いてくれない、という不満があり、友人にしてみたら、夫が何か自分からお金をせしめようとしているのではないか、と勘ぐっているようで、ふたりの仲は、事故が起こる前のような良好なものではなくなってしまったのです。
現在は、夫と元友人は、絶交状態です。
たぶんふたりが元の仲にもどることはないと思います。
夫の場合は、こんな結果になってしまいましたけれど、魔法の万年筆の効力は、たしかに抜群でした。私も、こんど使ってみたいと思っています。
*
いかがでしたか?
威力を感じていただけましたでしょうか?
魔法の万年筆をつかうと、願いは叶うが不幸になる、という噂が一部出回っているようですが、競合他社が言いふらしているデタラメにすぎません。
それを証明しつつ、もうひとつ、最後に強力な口コミをご紹介して、終わりにしようと思います。
Cさんの声。(21歳。男性。未婚)
ぼくの両親は元気でしたが、魔法の万年筆で願いを叶えた翌年に、それまでの頑健さが嘘のように、憔悴して死んでしまいました。
ぼくの弟も、魔法の万年筆のおかげで東大に合格することができましたが、入学したその年に発狂してマンションの11階から飛び降り自殺をしました。
ぼくが付き合っていた彼女も、魔法の万年筆で芸能人と付き合いたいという願いを叶えましたが、願いがかなった6ヶ月後には、薬物使用容疑で警察につかまり、精神的におかしくなり、現在は、病院で治療中です。
ぼくのまわりでは、魔法の万年筆で願いを叶えたばかりに、不幸になった人の実例は、枚挙にいとまがないくらいです。
そんなぼくが、魔法の万年筆を買った理由は、他でもありません。
ぼくの願いはただひとつ、こんな商品、開発されない世の中であったなら、ということです。
その願いをノートに書きつける瞬間、おそろしさに、手がふるえました。願いが叶うかわりに、ぼく自身に、どんな不幸が降りかかってくるのだろう。それを思うと、開いたノートに、しばらく文字を書きこむことができないほどでした。
でも、それは、やらなければならないことでした。
亡くなった家族や、今なお脳病院で治療している元彼女のためにも。(もちろん、毎週、お見舞いに行っています。彼女は、ぼくのことを認識すらしませんが。)
<魔法の万年筆なんて、開発されない世の中だったなら>
心臓がバクバク音をたてているのを感じることができました。
最後の一文字を書き終えたとき、ぼくが今の今まで握っていたはずの、万年筆が、消えていました。
人々の希望の星だった、魔法の万年筆。
人々の希望を糧に、何万本もの売り上げをほこった大ヒット商品。
それがこの世から、はじめから存在すらしていない朝をむかえたのです。
万年筆のおかげで死んだたくさんの人が、生きかえり、生きかえったたくさんの人が、死にました。
ぼくの父親は、生きかえりました。そして、父のおかげで生きかえった友人は、事故で亡くなったことになりました。
別人にすり替えられたぼくの母親は消え去り、ぼくを生んだほんとうの母が、長い旅から帰ってきました。
すべてが、元通りにもどったのです。
いま、願いは魔法の万年筆のように簡単には叶いませんが、ぼくはそれでも元気にやっています。
*
いかがでした……か?
なかなか教訓的な実例でしたね。
それで、何の商品のご紹介をしているんでしたっけ……?
そうそう、魔法の万年筆でしたね。
これまでご紹介してきたように、それはすでに消滅してしまいましたので、げんざい、販売はいたしておりません。
また開発されるときまで、お待ちください。
え? 二度と開発されないって?
それはわかりませんよ。
需要があるかぎり、開発される可能性はありますよ。
ひとびとの、希望や欲があるかぎり、それはいつだって、再開発、販売される道は、残されているのです。
こんどは、グレードアップしたバージョンで、ぜひとも、お届けしたいものです。
それでは、そのときまで、ごきげんよう。魔法の万年筆とともに消えはてた、透明人間より。
(おしまい)
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ここまでのストーリーを読んでいない方は、こちらからお読みください。↓
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命泣組曲⑤
文:にゃんく
夢人は瞬間迷ったあと、操作パネルの最上階である六階のボタンを押した。あたしが手を繋いだ彼の顔を見あげると、
「偉い人は、いちばん上にいるもんだ」
と彼は言った。お婆ちゃんになっても、夢人はあたしの、頼りになる人だった。思わず手に力がこもる。エレベーターは三階で停止し、モップが放り込まれてあるバケツを手にさげた用務員さんらしき男の人が、
「こんばんわ」
と言って乗り込んで来た。あたしたちも、挨拶を交わした。薄汚れた、灰色の作業着を着た用務員さんは、五階のボタンを押し、あたしたちの姿を一瞥した。
「どちらへ?」
エレベーターが緩慢な速度で上昇してゆく。
「理事長に話があるんです」
と夢人が答えた。
ドアが開き、バケツを床から持ちあげた用務員さんが、ケージから出ていきながら、
「行くのは、よした方がいい」
と言った。
「それに、理事長は、会ってくれんだろうよ」
あたしたちが何か答える前に、ドアが閉まった。
六階に到着し、薄暗いフロアのなかを進んで行った。FとかGなどという札が各部屋の入口に掲げられている。夢人はいちいちドアを開けて首を中に突っ込んで確認していたけれど、中はどれもあたしが寝かされていた病室とまったく同じ造りで、どの部屋のなかにも、枯れ果てたような、あたしと同じ年頃の老人ばかりが横になっているだけだった。
フロアの隅に、あたしたちは非常階段を発見した。入院する前に外部から見たかぎりでは、この病院はそれほど高層建築ではないはずだったけれど、非常階段は螺旋状に何処までも上に伸びていて、最上階が霞んで見えないほどだ。
ヒューヒューと身を切るほどの冷たい風がぽっかり口をあけた暗闇の真下から吹きあげてくる。まるで冬場のエベレストの峰に置き去りにされたような、手摺りも設けられていない不安定な鉄骨の足場を、寂しげな足音を響かせながら、あたしたちは一段ずつのぼっていった。あたしの履いたスリッパがペタペタ鳴った。
十五段ほどのぼるごとに右手に部屋の扉があらわれる。そのたび夢人はノックをし、ドアを開け中を一室ずつ確認していった。ひとつめの部屋は、ただの物置だった。ふたつめは、仮眠室で、みっつめは手術室だった。四つめの扉を開くと、白衣を着た医者(あたしの病室のお爺ちゃんが亡くなった時に、死亡判断をした医者だ)が、机に手をかけ足元にスカートがずり下ろされた看護婦さんの、突き出た剥きだしのお尻を、平手でぴしゃぴしゃ叩きながら、腰を前後に動かしている最中だった。医者は、
「……ん、」
と言ってあたしたちの気配に気づいて振り返ったが、腰の動きはそのまま継続したままだった。夢人は動揺し反射的にドアを閉めた。彼は気持ちを切り替えようとする様子で深呼吸を二度繰り返した後、次の部屋へ向かうため、階段をあがって行った。あたしもその後に続いた。夢人が扉をノックする。中から応答はない。彼はゆっくりと扉を開けた。そこはまた仮眠室らしかった。部屋の隅に寄せられた小さいベッドのうえで、下半身を露出させた幼顔の看護婦が身を起こし、片方の脚を立て、艶めかしく誘うような姿勢でこちらを見つめている。看護婦は「あら」と言いたげに眉をあげ、黒っぽくのぞいている陰部を隠すために女の子らしく脚を内に傾けた。まるで自分は覗きをされている被害者と言わんばかりの表情で。
夢人は軽く咳払いをし、見たくないもの、関わりになりたくないものを封じ込める手つきで、扉を押して閉めた。
それから部屋は際限なく続いた。何段もの棚の設えられた薬置き場、フライパン、ガスコンロの設備が整った厨房、フラスコや人体模型の人形、ネズミなどの剥製、ホルマリン浸けにされた乳児などが並べられている、嫌な臭いの漂う実験室、大型テレビが設置され、高価な音響設備が揃っている映画鑑賞室、サウナ室も併設された温泉、卓球台のある遊戯室、いろんな型のマッサージチェアが置かれたリラクゼーションルーム、……。螺旋状の階段はいつ果てるともなく伸びている。
「くそっ、理事長の部屋は何処なんだ」
と夢人は言った。あたしはもう、フラフラで、歩けなくなってしまった。息切れがし、貧血気味の目眩に襲われる。
「駄目、なんだか気持ちが悪いの。もう歩けない……」
あたしは夢人の手を離し、鉄骨のうえに蹲る。
「ぼくひとりで、捜して来るよ」
そう言って、夢人はあたしを置いて、ひとりで階段をのぼって行こうとする。
「待って、行かないで」
とあたしは叫んだ。
「あたしを、ひとりにしないで、お願い」
夢人は片手で頭を掻き毟っていた。そうして、
「くそっ、どうすりゃいいんだ!」
そう言って、鉄骨の階段を靴底で蹴った。そのとき下の階から何かの金属がぶつかりあう物音がした。階段から顔を覗かせて見ると、二周半ほど螺旋階段を下がったところに、モップを持った用務員さんがいて、あたしたちを見あげていた。
「理事長の部屋は何処です?」
と夢人が用務員さんに訊ねた。夢人の声が果てしなく続く奈落の底に呑み込まれていった。用務員さんは、首をふった。彼は頭を垂れて階段を降りて行こうとしている。
夢人が階段を一段飛ばしで駈けおりて行った。すぐに用務員さんのもとに辿り着くと、詰め寄って言った。
「お願いです、あの子の命がかかっているんです、理事長に直談判をしに行かなければ、ならないのです。教えてください、理事長の居場所を。御存知なんでしょう?」
用務員さんは、かわいそうなくらい縮こまり、顔をそむけている。
「わしの口からは、とても……」
「あなたから聞いたということは、絶対内緒にします、ですから、お願いです」
夢人は用務員さんの手を両手で握って、さらに懇願している。
「あの子は、つい数日前まで、女子大生だったんです。それが、この病院で手術を受けてから、あんなふうな老婆になってしまったのです。こんな理不尽なことがあっていいのでしょうか?」
首をすくめるような仕種をしている用務員さんの足元に、夢人が這いつくばり、土下座をする。用務員さんは、迷惑そうな顔つきをしながら、何度も頭をさげている夢人の手をとり立ち上がらせると、あたりをキョロキョロ見回した。そして観念したように、斜め三十度の方向にある部屋の扉に向け震えた指先を伸ばしていた。
「そこに、理事長がいるんですね?」
と夢人が訊ねると、用務員さんは静かに頷き、もうこれ以上は一言も話したくないというふうに、くるりと振り返り、とぼとぼ階段を降りて行った。あたしはゆっくりと、壁に手をつきながら、鉄骨の階段を下りて行った。すぐに夢人が数段のぼって来て、用務員さんが指差した部屋の前であたしたちは合流した。
「でも変ね、此処はあたしたちがもう、中を開けて確認した部屋よ」
夢人も、そのことには気がついていたふうだった。
「たしか、誰もいない、サウナ室のある温泉だった筈だ」
あたしたちが視線をうつしたときには、用務員さんの姿は消えていた。
「謀(たばか)られたかな」
と夢人は呟いた。あたしはその部屋の扉をノックしてみた。しばらくしても、予想通り、何の応答もなかった。
念のため、扉のノブを回して開けようとしたとき、中から遅れて、「どうぞ」
という高い声がし、あたしは石になったようにそのままの姿勢で固まってしまった。夢人の瞳の色が動いた。彼が力強く二度、頷いた。半信半疑のまま、思いきって扉を開くと、そこはサウナ室でも温泉でもなかった。部屋の奥の窓ガラスの向こうには百万ドルの夜景が透けて見え、左手の本棚には、厚手の本が数段にわたりぎっしり並べられている。正面には高級木目の机があり、最新型のデスクトップのパソコンが横向きに設置され、画面から青白い光が漏れている。中央の、本革張りのソファに坐っている男のうなじが見えた。
「よくここまで辿り着いたね。褒めてつかわす。ひひ」
あたしたちは身の危険がないことを確認したうえで、扉を閉めると徐々に部屋の入口に身を入れた。男が組んだ脚をかけているガラスのローテーブルのうえには、ウィスキーの瓶と液体の入ったグラスが置かれている。
「君たちが此処までやって来るということは、どうやら多数の裏切り者、そして任務怠慢者が出たということだね」
と男が言った。
「まあいい。それについては、追って厳しい処分がくだされることだろう」
「あんたが、理事長か」
と夢人が問い質した。
男はテーブルのうえのグラスを手に持ち、ぐいと呷った。カランという氷の音がした。
男はグラスを手に持ったまま、立ちあがり、此方に向き直った。理事長でさえなければ、かわいいと思えるくらいの、十二歳がらみの少年だった。
「いくつに見える?」
と少年は小首をかしげてみせた。
わたしたちが黙っていると、少年はひとりで続けた。
「患者から採取したエキスを飲むほどにどんどん若返っているんだ。ほんとうは、六十九歳だよ。吃驚だろ? とても終戦の歳に産まれたようには見えないだろう?」
ひひひ、と少年は笑った。グラスのなかの氷がカランと鳴った。
(つづく)
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今回ご紹介するのは、麺屋武蔵の系列店です。
豚をメインに、魚(かつぶし系?)もスープに使っているようで、こってり系の甘めスープです。注文時に、トッピングを選択できます。すなわち、チャーシュー2個か、チャーシュー1個とソーセージ1本の選択です。が、ソーセージの方がオススメです。
現在はやっていないようですが、以前は、ソーセージが人気のため、テイクアウトで売られていたほどです。
こちらはつけ麺の画像になります。
値段は、税抜きで1000円くらいでした。
若干、高めですが、食べてみる価値はあると思います。
麺の量は1キロまで増量無料ということですので、たくさん食べたい方は、どうぞ(笑)。
以前ご紹介した、川口駅ちかくのラーメン店「102(テツ)」と味の系統は似ていると感じました。
http://ameblo.jp/nyankodoo/entry-12209429450.html
(「102」の記事はこちら)
にゃんくのこのラーメンの評価4,5
*レーティング評価(本ブログ内での定義)
☆☆☆☆☆(星5) 93点~100点
☆☆☆☆★(星4,5) 92点
☆☆☆☆(星4) 83点~91点
☆☆☆(星3) 69点~82点
「麺屋武蔵 虎洞」
場所 武蔵野市吉祥寺本町1ー1ー7
本記事執筆者/にゃんく
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アリアとカレン
文/nekonooo56
イラスト/よりすぐり
私はアリア、田舎の小さな村に産まれました。辺りは畑と森林、そして、小さな村には似合わないほどの美しく大きな教会がありました。日曜日になると礼拝をしに他の村からも遠い村からも人が集まってきます。私たち家族も必ずその礼拝に行っていました。
私は一人っ子で父は農夫、母はその手伝いをしていました。父も母も私を宝物だと言って大切に優しく育ててくれていました。
しかし、私が7歳の時に父と母は嵐の夜、私を家に残し、畑を見に出たところ水害による事故で亡くなりました・・・
そして、私は教会にある修道院の中の孤児院にひきとられました。私はそれがとても嫌でした。なぜなら神を信じられなかったからです。父と母は献身的なクリスチャンだったのに・・・毎日の祈りも礼拝もかかさなかったのに・・・どうして神は父と母を奪ったのか・・・という気持ちでいっぱいだったからです。しかし、抵抗するも幼かった私は大人達のいいなりになるしかありませんでした・・・
孤児院での私は酷く悪い子でした。お世話をしてくれるシスターたちの言う事も聞かず、与えられた部屋に独り閉じこもったままでした。そんなおり、私と同じ歳のカレンと出会ったのです。
「今日から、この部屋で一緒に暮らしてもらうカレンよ」
と、シスターが部屋に連れてきたのです。私がここに来て5日目のことでした。
「2人とも挨拶くらいしなさい」
と、シスターが言うものの私達は無言で頭を下げました。そして、シスターはその子を私の部屋に残して行ってしまいました。
すると、シスターが行ってしまうと同時にその子は床に伏せ泣き出したのです。
「・・・・・・」
私は何も言えず、その子は泣き続けました。
1時間経ち、2時間経ち・・・私はいつまでも泣き止まない、その子に困り、強く言いました。
「私だって、私だって悲しいわよ!パパもママも死んじゃったんだから!」
するとその子は泣きながら顔をあげ言いました。
〈私だって、同じよ!〉
と・・・
「えっ・・・どうして?」
〈この前の嵐で・・・交通事故で・・・〉
驚いたことに、その子も私と同じ境遇だったのです。
「・・・私もあの嵐で・・・」
私は自然にその子に近づいていました。そして、自然に私達は抱き合い、一緒になって泣きました。同じ境遇だと、私だけじゃないんだと、お互い悲しみの中で安堵したのです。
それから私達はお互いの事を話しました。
その子、彼女の名前はカレン。私と同じ歳、私と同じ一人っ子、隣の村で、カレンはあの嵐の夜から、ここに来るまで1人で両親が亡くなったことを知らず家に居たそうです。そして、同じく両親は献身的なクリスチャンで、日曜日にはこの教会に通っていたそうです。
私達が仲良くなるのに時間はかかりませんでした。まるで双子の姉妹のように仲良くなったのです。そして、時は経ち私達はシスター達の言う事も守り、シスター達の手伝いもし、良い子であるようにつとめました。
お互いの夢のために・・・
その夢とは16歳になったらここから一緒に出ようという夢でした。そんな話を夜、消灯後、窓辺で星を見ながら話しました。
「ねぇカレン、ここを出たら、どうしたい?」
〈私は1度、村に戻って、それから1番好きな思い出の旅行で行った海のある街に住みたいの、アリアは?何も無かったら一緒に暮らさない?〉
「海が見える街かぁ・・・いいね。でも、私はうーんと都会に住みたいの」
〈そっか、じゃあ一緒に出ても別々かぁ・・・〉
「住むところが違っても、私達はずーっと姉妹よ、それにいつでも会えるわよ」
〈うん、そうだね〉
「後少し、後3年・・・」
〈うん、もう少しだね・・・〉
そうして私達の時間は早くあっという間に過ぎ16歳になりました。
「カレン!誕生日おめでとう!やっとだね」〈うん、うアリア、待っててくれて、ありがとう〉
私は5月生まれ、カレンは9月生まれでした。
「一緒にって、ずっと言ってきたじゃない、明日、言いに行って一緒に出ようね」
〈うん・・・〉
そうして私達は一緒に教会を出ました。
「みんな、びっくりしてたね」
〈良いシスターになると思ってたって言われたね・・・〉
「この夢の為に頑張ってたのにね」
〈うん〉
「カレン、隣の村まで一緒に行こうか?」
〈ううん、予定通りここで・・・〉
「わかった、じゃあここで・・・」
隣の村までのバス停と私が目指す街のバス停は、違う道にあったのです。
〈アリア・・・〉
カレンは泣きながら私に抱きつきました。
「カレン・・・泣かないって約束したのに・・・」
私も涙がこぼれました。
〈うん・・・ごめん・・・〉
「こうしてると、初めて会った時を思い出すね・・・」
〈うん・・・アリアに出会えて良かった〉
「私もよ、カレン・・・そろそろ行かなくっちゃ、私が乗るバスは1日3回しか来ないんだから」
〈うん・・・〉
「じゃぁ行くわよ、手紙忘れないでね」
手紙はお互い、教会に送るように約束をしていました。どこにいてもシスターがお互いの住所に送りなおしてくれるように頼んだのです。
〈うん、じゃあね〉
「うん元気でねカレン」
そうして私達は別々の道を歩みました。お互いの幸せを祈りながら・・・
それから時は経ち、カレンは海のある街のパン屋で働いていて元気に過ごしていました。
しかし・・・
私は都会でレストランで働くも都会の物価の高さで、それだけでは暮らして行けず、夜に酒場で働くことになり3年が経ち、カレンからの手紙の返事も出さなくなっていました。
そして、カレンからの手紙も途絶えました。5年ほど経った頃、私は悪い男にだまされ、さらに落ちぶれていました。そして、色んなことがあり、私は7年が経った頃、自らの命を断とうと思うほどに・・・
その時、やっと封も開けていないカレンの手紙の山に手を伸ばし、今更ながら順に読んだのです。そこには私を心配する内容から、カレンが住む街で一緒にまた暮らそと・・・
そして、最後に来た手紙には
「私はあの教会に戻り、アリアの無事を祈りながら、いつまでも待っています」
と、あったのです。それが4年前の手紙でした。私は何もかも投げ出して、身ひとつであの生まれ育った教会へと最終のバスで向かいました。
村は何もかも、あの頃と変わっていませんでした。そして、あの教会も・・・
教会は夕日で美しく輝いていました。私は立ちすくみ
「今更・・・私なんかが来ていい所じゃない・・・」
と泣きながら、背を向けて、もう朝まで来ないバス停に向かおうとした、その時・・・
〈アリアー!〉
と、後ろの教会からカレンの声が聞こえたのです。私は立ち止まり、ゆっくり振り向きました。
「カレン・・・」
シスターの格好をしたカレンが走って来るのが見えました。そして、息を切らしながら私の前に立ちました。
「カレン・・・私・・・」
すると、カレンは優しく私に抱きつきました。私は何も言えず泣き崩れました。初めて会ったあの時のように・・・
〈おかえりアリア・・・もう離さないからね・・・〉
私は初めて心から神に感謝しました。
(おしまい)
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本日は、東京は、JR国分寺駅の南口にある、「中華そば ムタヒロ 1号店」に行ってまいりました。
こちらは、人気の店で、たぶん、国分寺では、いちばん有名な店でしょう。
客席も、7人~10人ほどしかなくて、店内狭く、よく行列ができてます。
駅から徒歩3分で着きます。
本日注文したのは……
「アハハ煮干つけ麺 800円」です。
麺は、200gと300gを無料でえらべます。
お味のほうは……
ちょっと油っこいかな。
食べていくにつれて、つゆが冷めてつめたくなってしまうのも、マイナスポイント。
評価のほうは……
3,5とさせていただきます。
中華そば ムタヒロ 1号店
住所
東京都国分寺市南町3丁目15-9
*レーティング評価(本ブログ内での定義)
☆☆☆☆☆(星5) 93点~100点
☆☆☆☆★(星4,5) 92点
☆☆☆☆(星4) 83点~91点
☆☆☆(星3) 69点~82点
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本記事執筆者/K・Kaz
STORY
ニューヨークに生きる殺し屋・レオン。
凄腕ですが孤独で、窓際の鉢植えだけが友達です。
ある日、12歳の少女マチルダが、隣人レオンに助けを求めてきます。マチルダは、買い物に行っているあいだに、自分の家族を惨殺されていたのです。
そんな境遇のマチルダに、戸惑いながらも、レオンはマチルダを自分の部屋にかくまいます。
レオンが殺し屋だと知ったマチルダは、復讐するために殺し屋になりたいと懇願します。REVIEW
言わずと知れた名作です。映画館どころかレンタルビデオですらろくに映画を見たことが無い時に見ました。殺しの時とは打って変わって私生活では子供の様に純粋なレオンと、大人びた魅力を持ったマチルダが印象的でした。
ゲイリー=オールドマン演じる悪徳刑事のイカレっぷりも好きです。
騙しあいばかりで、誰も信用できないような薄汚れた世界の中で、レオンとマチルダの会話だけが純粋で、心の底から信頼しあっている感じがして心に残っています。
エンドロールで流れる曲も切ない感じで、雰囲気にマッチしていて大好きな作品です。K・Kazのこの映画の評価↑
製作国/フランス・アメリカ
公開/1995年
出演者/ジャン・レノ、ナタリー・ポートマン
上映時間/133分ブログTOPへ
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2月の嘘景色
文/山城窓
イラスト/蛇の目(イラクサ)
雨でもなく雪でもないものが降ってきた。堅い氷のつぶ。ヒョウってやつ? ま、雨よりマシね。ヒョウはコートの上を跳ねて、アスファルトを転がっている。濡れずにすむってすばらしい。
くだらない幸せを感じてから私は再び歩き出した。とりあえずバスに乗ってしまおう。面接の時間にはまだ間があるが、時間をつぶす余裕が今の私にはない。自堕落な灰色の雲の下で私は歌を口ずさんだ。声はヒョウより透き通る。たぶん透き通るのが好きなのだろう。大通りに出ても人の気配はない。それを確認すると私の声は自然と大きくなる。楽しい楽しい歌の時間。ずっと歌っていられたらいいのに、なんて思う自分がまた愛しい。
バス停には人が一人だけいる。残念ながら歌の時間はこれで終わりだ。透き通ったままの声に別れを告げると、今度は私が透き通りそうになる。だからしっかり地に足を着ける。私は現実を踏みつけて、現実と同化する。だけどそこに埋まってしまいたくはない。足が埋まればもちろん歩けない、と一人合点。
見知らぬ男の後ろに並ぶ。黒いコートの男。顔は見えない。かっこいいコートを着ることで、プラス10点を目論む男。たぶん、顔はイマイチだろうな。なんて思った瞬間男は振り返る。目が合う。すぐに目を逸らす。それほど悪い顔じゃない?っていうか少しかっこいい? そう・・・・・・85点。コートの分を引いても75点。そこそこってところ? 食事に誘われたらどうする? うん、ついていく。面接なんか面倒くさいし、どうせ落ちるし。さあ、声を掛けてきなさい。緊張なんかしないでよ、そういうのって面倒くさい。私は好みじゃないってこと? そんなの本当は関係ないくせに。誰でもいいくせに、勇気の無さを誤魔化そうとする。男ってそんな生き物だ、って女も所詮はそんなもの。きっとこの人は大事な用事があるから、私に声を掛けてる場合じゃないのね、って言い訳を勝手に作ってしまって、あ、バスが来た。
乗降口のドアが開いて、私は歩を進めようとする。けれど男は動かない。待ってられない私はその横を通りすぎる。と、そこで男の足元に目を留める。この人の足、ちょっと埋まっちゃってる。なるほど、そりゃ声掛けてなんかいられないわね。
そんな男を横目に私はさっさとバスに乗りこむ。吊り革にしっかりと摑まってから、振り向くと男はやっぱり突っ立ったまま。何かを待ち続けたまま、現実に飲まれていった男が少しずつ遠ざかっていく。
(おしまい)
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