レニの光芒 ⑥
瀬川深
――うん。
レニは驚いたようだったが、静かに応対してくれた。おれが胸の痛みを覚えるぐらいに、落ち着き払った態度で。ちょっと待ってて、レニはそう言うと家のなかに入っていき、きびすを返し、しばらくして戻ってきた。
――これ、あげる。お餞別に。
――ありがとう。大切にするよ。
それが精一杯で、ろくすっぽ気の利いたことも言えなかった。それ以上のことなど、できるはずもなかった。
――向こうで落ち着いたら遊びにくるよ。
そう言ってはみたものの、そんな甘いもんじゃないだろうということはよくわかっていた。おれですらわかっていたんだから、あの聡明なレニにわからないはずなどなかっただろう。
おれは、この町の最後の夜の底を疾走した。冷たい水の流れる堀割沿い、かつて米屋だった蔵の前に落ちる街灯の下に自転車を停め、託してくれたカメラを見た。補強された厚紙の箱にうがたれた小さな孔はテープで塞がれ、印画紙の入っている音がする。笑っちゃうほど簡素な作りだ。こんなものを携えて、おれは、おれとレニは、この田舎町でのわずかな時間を過ごしたのだ。日数で数えれば、三百日に満たないぐらいの。
そのときおれは、箱のすみになにかが書かれているのを認めた。いま書いたばかりなのだろう、それがLeni.のサインであることに気付いたとき、不意に涙が湧き上がってきた。小便が漏れるように鼻水がたれるように涙はいくらでもあふれ、とどめようがなかった。おれはカメラを抱きしめ、薄暗がりに隠れてみっともなく泣いた。
レニの光芒 ⑦につづく
作者紹介
瀬川深(せがわ しん)
1974年生まれ。岩手県生まれ。東京医科歯科大学卒業。同大学院博士課程修了。医学博士。
2007年『mit Tuba』(『チューバはうたう』に改題)で第23回太宰治賞を受賞。
作品に、『ゲノムの国の恋人』、『ミサキラジオ』などがある。
イェール大学で遺伝学・神経生物学研究にたずさわりながら、執筆活動を続けている。
(瀬川深様のイラストは、hiroendaughnut様に描いていただきました。)
『レニの光芒』①
『レニの光芒』②
『レニの光芒』③
『レニの光芒 ④』
*『レニの光芒』の無断転載を禁じます。作品の著作権は、瀬川深さんに属しています。ネットでの公開権は、『にゃんころがり新聞』のみが有しています。
「読者登録」もよろしくお願いいたします。