レニの光芒 ⑤
瀬川深
3.
光りを遮ったのはおれじゃなかった。ダメ親父だ。儲けばなしに目がないくせにツメは甘い。お人好しのくせに山っ気ばかりは強い。もとより商売ができるようなタチじゃなかったのに、それこそが天分だと当人は思いこんでいたんだから度しがたい。冬の寒さがようやくやわらぎかけたころ、これといった日でもないのに寿司桶が出前されてきたのでおれは警戒した。親父の神経が昂揚しているときの常だからだ。
――いやあ、大切なのは人の縁だなァ。誠実にやってればいつかは渡りの舟がくるもんだ。
鮪の寿司をほおばりながら、ヌケヌケと親父はそんなことを言った。
――レアメタルってわかるか、稀少金属だけどなあ、そういうのがホレ、ケータイとか半導体とかああいうのの需要があって、ま、高止まりってやつよ。むかし世話してやったやつがいま大阪でさ。そっち方面の輸入とかやってるらしいのよ。リサイクル関連からもずいぶん取れるらしいんだな。都市鉱山って知ってるか? なあ母ちゃん、知ってるだろ、西田のやつがさぁ、ずいぶん力になってやったじゃないか、あのころは素寒貧だったってのに、いまじゃずいぶん羽振りがいいらしいのよ、えらく。猫の手だって借りたいッてんだけどさ、ま、借りるなら気心知れた手のほうがいいわなあ。そのへん、阿吽の呼吸ってやつよ。
どこまでアテになるのかもわからないような話を、ほとんと他人ごとのような顔をしながら親父はウキウキと喋りつづける。おふくろがひっそりとため息をついた。口のなかが乾くと感じた。シャリが頬の内側にへばりつくような気がした。
――いつのことなのさ、つまり。
親父の与太話をさえぎって、おれは訊いた。冷静なつもりだったが、声がうわずるのがわかった。
――早い方がいいって言うんだよなあ。とりあえず体だけでも移しておいてさ、ま、そのほかのことは、おいおいと。
おふくろがふたたびため息をついた。おれは頭をかきむしりたいような気分だった。要するに、夜逃げだ。恥ずべきことにそれが初めてじゃなかったから、なにがどのように運ぶのかは痛いぐらいにわかっていた。椅子に座っていなかったら膝から崩れ落ちていたことだろう。
絶望的な気分だった。泣きもせず錯乱もしなかったかわり、ただ、無力であるという思いだけが苦い潮みたいに這い上がってきた。さんざん自転車に乗って体を鍛え、いつしか背丈も腕力も親父を上回っていたのに、こうとなってはおれのできることなどなにもなかったんだ。この夜が明けきらないうちに、おれはこの町を離れることになるのだろう。汽水湖のほかにはたいした思い出もない田舎町を。未練なんかないはずだった。それはあながち強がりでもなかった。ただ、ひとつきりのことを除いては。
おれは自転車を走らせた。非常識な時間だということはわかっていたけれど、ほかに方法がなかった。あの社会正義に燃える外科部長にぶん殴られる覚悟もしていたが、レニはそっと玄関口に立ってくれた。
――そうなんだ……。会えなくなるね、しばらく。
レニの光芒 ⑥につづく
作者紹介
瀬川深(せがわ しん)
1974年生まれ。岩手県生まれ。東京医科歯科大学卒業。同大学院博士課程修了。医学博士。
2007年『mit Tuba』(『チューバはうたう』に改題)で第23回太宰治賞を受賞。
作品に、『ゲノムの国の恋人』、『ミサキラジオ』などがある。
イェール大学で遺伝学・神経生物学研究にたずさわりながら、執筆活動を続けている。
(瀬川深様のイラストは、hiroendaughnut様に描いていただきました。)
『レニの光芒』①
『レニの光芒』②
『レニの光芒』③
『レニの光芒 ④』
*『レニの光芒』の無断転載を禁じます。作品の著作権は、瀬川深さんに属しています。ネットでの公開権は、『にゃんころがり新聞』のみが有しています。
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