レニの光芒 ④
瀬川深
急な夕立のせいだ。降りこめられてレニの家の軒先を借りたおれは、結局夕食までごちそうになってしまう。その席で、レニの父親から社会正義についてのご高説を賜ることになったからだ。次の時代を作るキミたち若者は公正ということに目を向けなきゃいかん。できるかぎり悲劇のない、だれもが幸せになれるような社会を……。夕食どきには場違いなぐらいの演説に、レニの母親は苦笑しながらうなずき、当のレニは顔をしかめていた。おれは緊張のあまり説法にも焼肉の味にも身が入らなかったけどね。
いまになってみれば、娘が突然連れてきたボーイフレンドにうろたえた父親なりの行動だったんだろうと考えることはできるし、ほほえましい気分にもなる。もっとも、あのころのレニがおれのことをどう思っていてくれたのか、それはわからない。
たしかに、おれたちは何度だって話をした。うんざりするような暑さと湿気がいつのまにか去り、汽水湖のほとりに秋が訪れても、堀割を流れる清冽な水がいっそう冷えて厳しい冬の到来が明らかになっても。古びた町の奥底をうろつきながら、学校のことだって写真のことだって自転車のことだって、将来のことだって話しさえしたのに、いつだってそうだ、おれはいちばん大切なことだけは口にすることができない。未来の野望は臆面もなく語るくせに、次はいつになったら会うことができるのか、その約束を取り付けるのもおぼつかないありさまだ。
そのかわり、おれはレニのカメラを借りて光りの魔術を試みてみようとした。自転車や橋のたもとの陋陋屋屋(ろうろうおくおく)がまずは撮影できたことに気をよくして、戯れたふりをしてカメラを向けてみても、レニはからかうように笑うばかり。はたして、暗室のなかでおれは失望した。赤色灯の下に浮かび上がってくる像はぼんやりとぶれ、黒く輝くまなざしを見て取ることなどできなかったからだ。
不器用だと言われればそのとおりだ。意気地なしと言われれば返す言葉もない。でも、あのときのおれの精一杯だったんだと思う。自転車にまたがるばかりが楽しみだった生活に差し込んできた、ひとすじの光りみたいなもんだった。その光りを遮っちゃいけない、かき消さないように、そっと。無類の喜びに浸りながらも、おれはいつだって息を潜めているような気分がしたものだ。例のカメラを構えているときみたいに。光りを光りのままにしておくために、できるかぎり長く。
どんなものであっても、永遠なんかありえないのに。
レニの光芒 ⑤につづく
作者紹介
瀬川深(せがわ しん)
1974年生まれ。岩手県生まれ。東京医科歯科大学卒業。同大学院博士課程修了。医学博士。
2007年『mit Tuba』(『チューバはうたう』に改題)で第23回太宰治賞を受賞。
作品に、『ゲノムの国の恋人』、『ミサキラジオ』などがある。
イェール大学で遺伝学・神経生物学研究にたずさわりながら、執筆活動を続けている。
(作者紹介文は、小学館文庫『ゲノムの国の恋人』などを参考に作成しました。にゃんく)
*『レニの光芒』の無断転載を禁じます。作品の著作権は、瀬川深さんに属しています。ネットでの公開権は、『にゃんころがり新聞』のみが有しています。
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