レニの光芒 ③
瀬川深
2.
そんなことがあったのだ。夏がはじまる前に、二回も。どちらもまったくの偶然だった。奇蹟と言ったっていい。もちろん、奇蹟はそう何度も起こらないものだ。そんなことはわかっているさ。
にもかかわらず、あの小さな町で、そのあともおれは幾度となくレニに出くわすことになるのだ。ときにあの豪奢な一眼レフを、ときに魔法の小箱を携え、いつだってなにかに対峙しているレニに。どうしてそんなことが起こったかって? ……まあ、つまり、そういうことだ。レニが全身全霊を賭けて挑もうとしているもの、たましいの奥底で感応すると感じているものがどこにあるのか、おれはおれで、全力をあげて探り当てようとしていたのだ。
もっとも、理解できていたなんてことはおこがましくて言えたもんじゃない。それでもおれはレニのかたわらに居ようとした。できるかぎり言葉を交わそうとした。おそろしく他愛のないことばかりであったけれどね。いまそよいでいる風が次はどちらへと向けて走ってゆくのか、そんなことを。
――どうして写真を撮ってるの?
訊いてみたことがある。いまだったらそんなバカげたことは訊きゃしないだろうが、十代半ばの若造の知恵なんてそのていどだ。ほんとうだったら自分自身の力を尽くして探り当てるべき相手の秘密を、いちいち言葉にしてもらわないと安心できないぐらいにはケツが青かったんだ。
――リーフェンシュタールって知ってる?
不意を打たれて首をかしげるおれを、レニはほとんど哀れむような目で見つめた。
――二十世紀最高の映像作家よ。天才、ほんとうの天才。オリンピックの映画を撮ったんだけど、美しすぎたもんだから、ヒットラーにまで愛されちゃって。ナチスが崩壊したあとには世界じゅうから非難されたけど、ものともしなかった。毅然と立って、アフリカに出かけていって人間の肉体を見つめて、海の底に潜って地球のいちばん美しいところを探り当てて……。リーフェンシュタール。百年生きて、歴史になったんだよ。
おれはほとんど感嘆しながらレニの言葉を聞いていた。なにごとであれ、これほどの熱を込めて話す人間におれは初めて出会ったように思う。その意味で、明らかにレニは特別だった。田舎町で生きるのは気の毒なぐらいに早熟だった。
――好きなの?
――憧れのひとよ。
レニは断じた。おれが嫉妬を覚えるぐらいに、迷いなく。そして目を伏せ、恥じらうようにそっと付け加えた。
――ファーストネームはレニって言うの。わたしと同じ。
――いいね。あやかったのかな。
――わたしはそういうことにしてるけどね。パパはレーニンってひとの方が好きみたい。
レニは真顔になって肩をすくめた。おれたちの世代ではすでにピンとこない名前になってはいたが、そのことはやがて明らかになる。
レニの光芒 ④につづく
作者紹介
瀬川深(せがわ しん)
1974年生まれ。岩手県生まれ。東京医科歯科大学卒業。同大学院博士課程修了。医学博士。
2007年『mit Tuba』(『チューバはうたう』に改題)で第23回太宰治賞を受賞。
作品に、『ゲノムの国の恋人』、『ミサキラジオ』などがある。
イェール大学で遺伝学・神経生物学研究にたずさわりながら、執筆活動を続けている。
(瀬川深様のイラストは、hiroendaughnut様に描いていただきました。)
『レニの光芒』①
『レニの光芒』②
『レニの光芒』③
*『レニの光芒』の無断転載を禁じます。作品の著作権は、瀬川深さんに属しています。ネットでの公開権は、『にゃんころがり新聞』のみが有しています。
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