『レニの光芒 ⑦』瀬川深 | 『にゃんころがり新聞』

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レニの光芒  

 

 

 

 

 

 

瀬川深

 

 

 

 

4.

 

 

 惨めったらしい遁走からほどなくして、おれはダメ親父を見限る覚悟を決めた。がむしゃらにバイトしてカネを貯め、東京に逃げたのだ。専門学校に潜り込んで最低限のコンピューター技術を身につけ、渡り歩いたバイトのさなかにコネをつかんでウェブコンテンツ製作会社に潜り込み……。時代にも助けられたんだとは思う。インターネットというものが猛然とこの社会に根を張りはじめたころだった。とにかくそういったものを扱えるやつならば黒猫だって白猫だってかまいはしない、そんな雑駁な空気があればこそ、おれみたいな後ろ盾のない若造もメシを食っていくことができたんだろう。
 そんな折りのことだ。古い時代からの手紙が舞い込んできた。沖浦の高校の同級生が東京で結婚式を挙げるという。失踪したにも等しいおれを捜し出してくれたのも、インターネットのたまものということになる。ありがたいことだ。さんざん迷い、最後には出席にマルをつけて返信した。唯一無二のチャンスになるかもしれなかったからだ。
 乏しい蓄えから絞り出してスーツを新調した。知る限りでいちばんいい美容院に行った。祈るような気分で電車に乗った、その努力はたしかに報いられたのだろう。ざわつくカフェレストランの奥まった一隅に、レニが座っていた。ロングヘアに黒く輝くまなざし。なにも変わっていなかった。
 八年だ。長かったが、これほどの時間があればこそ、むだに感極まることもなく失われた時間を埋めあわせていくことができたんじゃないかと思う。最初はいささかぎこちなく、やがてゆったりと。
 おどろいたことには、いまではレニは工業デザイナーなのだそうだ。大学で建築を学ぶうちに、感化されたものであるらしい。理屈と合理性が最優先される工業製品と、非合理の権化のような人間生理の仲立ちをするもの。翻訳家であり仲介者であり調停者であり、芸術家でもなければならないもの……。あいかわらず、レニは熱を込めて話した。いま自分が挑みかかっていることについて繰り広げられる奔放な言葉は、まぎれもなくレニのものだった。たとえおれの両目が塞がっていたって、レニだと確信が持てたことだろう。
  ――すごいね。すばらしいな。
  ――まだまだ駆け出しなのよ、ぜんぜん。
 レニは謙遜していたけど、まぎれもなく本心だったよ。同時に、気後れしたことも告白しておく。あのころのおれが身を投じていたことといえば、スポンサーの提灯持ちになって善男善女をだまくらかす記事をウェブサイトに書き飛ばし、嘘八百の星占いや恋愛相談をでっちあげるような、危なっかしい商売でしかなかったからだ。実にひどいありさまではあったことはわかっている。でも、おれは、手を口につなげることで精一杯だったんだ。
 そんなことにレニは頓着しなかった。インターネットという新興の技術を面白がってみせた。
  ――奔流ね。すごい。濁流かもしれないけれど、がんばって泳いでね。
 そんな言い方をした。そして、付けくわえた。
  ――そのうち、わたしだって泳ぎに行くかもしれないから。
  ――え? それはどういうこと?
 おれは問い返したが、レニは謎めいた微笑みを浮かべたきり、それきり口をつぐんでしまった。
 さて、そうとなると、むしろ写真の話はしにくかったな。ごく若いころの情熱なんて、いまさらほじくり返すようなものじゃないのかもしれない。なにかしらの挫折や紆余曲折があったのかもしれない。あの汽水湖のほとりでの思い出は酔いのなかにまぎらせてしまい、おれたちは他愛のないことばかりを話していたように思う。

 

 

 

 

 

 

レニの光芒  ⑧につづく

 

 

 

 

 

 

作者紹介

 

瀬川深(せがわ しん)

 

1974年生まれ。岩手県生まれ。東京医科歯科大学卒業。同大学院博士課程修了。医学博士。

2007年『mit Tuba』(『チューバはうたう』に改題)で第23回太宰治賞を受賞。

作品に、『ゲノムの国の恋人』、『ミサキラジオ』などがある。

イェール大学で遺伝学・神経生物学研究にたずさわりながら、執筆活動を続けている。

 

 

(瀬川深様のイラストは、hiroendaughnut様に描いていただきました。)

 

 

 

『レニの光芒』①

『レニの光芒』②

『レニの光芒』③

『レニの光芒 ④』

 

 

 

 

*『レニの光芒』の無断転載を禁じます。作品の著作権は、瀬川深さんに属しています。ネットでの公開権は、『にゃんころがり新聞』のみが有しています。

 

 

 

 

 

 

 

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