中絶、うつ病、そして明日への希望

中絶、うつ病、そして明日への希望

望まなかった中絶、それを思い出して苦しむ日々。同じ体験をした女性たちにとって、少しでも救いになるとともに、一人でも多くの女性が同じ苦しみを味わうことのないように願います。

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精神科医との対話だけで問題を解決する、というスタイルのカウンセリング。

前の記事で書いたように、まともに話を聞かないわりに
やたらと薬を処方したがる心療内科に不信感があったので、
薬は処方しないという点が気に入って、何度か通った。


医師が何名かいて、選べるらしい。
初めていった時は空いている先生にお願いした。
私とそれほど年齢が変わらないであろう女性医師だった。


ふつうの部屋で、机を挟んで対面して座り、話していくスタイル。


この1回目で、私は話しながら泣いた。

泣くつもりはなかったし、同年代の女性の前で泣くのは恥ずかしいという気持ちも残っていたけれど、もう涙が止まらなかった。
話していると、少しずつ凝り固まった思いの糸みたいのがほぐれていく感じはした。



医師は何もしていない、ただ聞いているだけ。
でも、こうして中立的な立場の人に話を聞いてもらいたかったのかもしれないと思う。


友人のように励ましてくれるでもなく、
中絶した女はバカタレだと蔑まされることもなく、
ただ、私の思いを受け止め、私の思いに色を付けて判断せず、聞くだけの人。


そして私は話しながら、ひとつのことに気付く。それは、
「私は、私が好きではなかった」ということだった。


どんな話の流れかは忘れてしまったけれど、
話しながら、これが私自身の口から出てきたときに、はっとした。

自分で言っておきながら、その言葉が雷みたいに身体を打った感じがして、
その瞬間、胸がもっと苦しくなったけど、何かの栓が取れたような感覚もあった。


そうなんだ、私は私が好きじゃなかったんだ。
たったそれだけのことに、ようやく気が付いた。


私は、外見は鏡を見て親を怨むほどひどくはないし、
私は、勉強がわりとできたし、
私は、わりと名のしれた大学を出ているし、
私は、卒業してちゃんとした会社で働いているし、
東京で楽しく一人暮らしできている。
高給ではないけど生活には困っていないし、
友人もいて、一人の時間も、そうでない時間も楽しんでいる。
恵まれている方だと思う。


それでも、私が私を好きになっていなかった。


これまでにも、「私が私を好きになる」的なキャッチフレーズは、
本でも雑誌でもネットでも、たくさん目にしてきた。
仕事柄、そういった内容の本を読むこともあった。


それらを見るたびに、実はちょっとイラッとしていた。
「自分のこと好きなのなんて、あったりまえじゃん」と思っていたし、
そういう弱さみたいなのをバカにしていた気持ちがあった。


でも、イラッとしていたのは、私が私を好きじゃなかったからだと思う。
自分のことを言われているようで、居心地が悪かったのかもしれない。
「お前は自分のことが好きになれない、劣った人間だ」って言われているようで、それを否定したかったのかもしれない。


このカウンセリングには確か4~5回通った。
保険適用でないため値段が張るのがちょっとイタかった
(医師にもよるけど、当時は60分1万~2万円でした)。


ただ、最初に受けたときの発見
「私が私を好きではない」が、
頭ではなく、身体感覚として初めて感じられたことは収穫だった。


少しだけ、前に進めたような気はした。

いくつかコメントも頂きましたのに、なかなかお返事ができずに申し訳ございませんでした。
2013年12月29日も無事に過ぎました。
あれから丸4年経過したことになります。

年末年始に時間が少しあったので、続きを書いたのをアップしていきます。

ちなみに、今はもう全然元気です。
思い出して涙することはあるけれど、なんというか、悲しみと一体化している感じはなくなりました。苦しい当時は、悲しみとか怒りの感情が、完全に自分の肉体や精神と一体化していて、
その思いこそが、一番自分を苦しめていたんだと思うのです。


あと、いまでも思うのは、他の悩みや秘密と違って、中絶したことの話は、同じ体験をした人でないと話しにくい(というか、話す気が起らない)。性的暴行被害も同じかもなと思う。

ここにこうしてブログとして残す理由は、

私は、中絶の是非を話したいのではなく、自分が産まなかった心の弱い人間だったことと、そして、もう二度と同じ経験はしたくないこと、そのために強くなりたいことなどを話したい。同じ決意の人と励ましあったりしたい。

だから、当時に相談した数人の友人以外、中絶の話をした人は一人もいない。
新しい友人も何人か出来て、いろんな話をするけれど、中絶のことは話す気にはならない。
話したいわけではないから、それでいいんだけど。
もしかしたら、話せる人がいたら、立ち直りはもっと早かったのかなと思うときはあります。


中絶してから3か月後くらい、2010年3月下旬くらいからだったと思う。

だんだんと体調が悪くなりはじめた。何がどう悪いというとうまく言えないけど、気分が毎日すぐれなくて食欲もなくて、でもお酒は大量に飲み、ほっておくと涙が出てしかたない状態になっていた。

仕事も一応行っていたけれど、はっきり言って当時の記憶があまりない。
覚えているのは、
会社ではとにかく泣くのを我慢していたこと、
お昼になってもお腹がすかないこと(パンを1個食べるのがやっとだった)、
会社が終わって家に着くと、「やっと泣ける」と思ってほっとしたこと、
お酒の量が増えたこと。

そして、救いのようなものを求めて、いろんなカウンセリングに手を出してみたこと。

覚えている限り、書いてみようと思う。


1.一般的な心療内科(精神科)

新宿駅の近くにひっそりとある、某心療内科。
ネットで調べて行ってみた。
なかなか予約が取れないということは、それだけニーズがあるということだろう。

でも、先生は年配の男性だか、表面的な話しか聞いてくれなかった。
二言目には「薬でよくなる」という。
私の顔ではなく、カルテばかりに目が行っている。
何だか話を切り上げたがっているようにも思える。

うつ診断のペーパーテストなどもしたけれど、いま思えば、それでどんな結果が出たところで、医師からどんな診断が下ったところで、私が欲しいのは、そういうことではなかったんだと思う。

私は、うつの診断が欲しいのではないし、薬で楽になりたかったのでもない。「なんでこんなことになっちゃったの?」の答えが知りたかったんだと思う。

そんなの、医師が答えをだせるわけないんだけど、私はそれを医師、つまり他人に求めていたんだと思う。その答えを出せるのは、私だけなのに。


書きながら気づく。私は周りから見たら「しっかり者」と思われていると思う。
仕事もちゃんとやるし、結果も出している。
でも、こういう肝心なところでは他力本願だった。
だから、望みのない相手と付き合えるし、中絶できたんだと思う。
相手が私を変えてくれるとか、手術すればつらい状況から救われるんだとか、そういう期待をどこかで持っていた。

大人として最も肝心なところで、私は非常に弱い人間だったんだと気づく。

ただ、当時はそれに気づいていなかったので、心療内科に行けば何とかなると思っていた。
でもそうじゃないから、行っても無駄にモヤモヤが増えただけだった。

この心療内科には結局2回行って止めた。


ここでは薬を3種類出されたけれど、睡眠導入剤以外は飲むのを1週間で止めた。
効いている感じもないし、何より処方している医師が信頼できない。

でも、睡眠導入剤は面白いくらいに効いたし、助けられた。
寝る前に悶々と考え、泣き、泣き、泣き疲れて寝るというのを避けられるという点では、身体的にも精神的にも役に立った。

まるでPCのシャットダウンのように眠りが自動的にやってくるから。


もちろん、薬で回復したって人もたくさんいると思うので、心療内科に行くなとか効果がないとかを言いたいのではないです。ただ、


「本当は、本当の本当は、私はどうしたいのか、どうなりたいのか」


がわかんないと、何をしていてもモヤモヤしてスッキリしないとは思うのです。
それが、私にとっては、「なんでこんなことになっちゃったの?」に対する答えさがしだったというわけです。


あぁ、そうだ。いま思い出した(思いついた?)。

うつの診断が欲しいわけじゃないと書いたのですが、それは、「なんでこうなった?」の答えとしては欲しくなかったという意味です。

私は、彼に、「私はこれだけ苦しんでいる!!」というお墨付きを突き付けてやりたかったんだと思う。
そういう意味では、うつの診断は欲しかった。

「ほら、ちゃんと診断が下っているのよ、あなたのせいでこうなったの。だからその責任はとるべきだし、あなたも同じように苦しむべきなの」。

診断を突き付けて、こう言ってやりたかった。

こうして書くと、性格黒すぎだろって思うのですが、
当時を振り返ると、それに近いことを思っていたと思う。

私の彼に対する思いは、すさみきっていた。
でも、それを意識していなかったとも思う。
無意識のうちに、彼を責め、彼を苦しめる材料を探していたように思える。
最後に更新してから、2年3か月も経過していることに、まずは驚いた。
あれから、いろいろあった。
もう、鬱は克服した。会社も辞めずに続けられている。例の彼と最後にあったのは、2010年の6月だったと思う。それ以来、連絡もしていない。

少しずつ、書いていきたいと思う。

中絶して鬱になった苦しみは、なかなか(というか、ほとんど)他人には理解してもらえない。

「自分の都合で命を奪っておいて、何いってんの?」という感じなのだろう。

生まれてこなかった命からしたら、私は100%の加害者だ。
だから、苦しんで当然だ、と、自分でも思うし、他人もそう思うのだろう。

今も時々、苦しくなる。
だけど私は、中絶してようやく自分の心の問題にも気づくことができた。
私が抱えていた、心の闇、傷、自分をないがしろにしてきたこと。
自分を愛することができていなかったということに、ようやく気づけた。


「中絶されることをわかっていて、赤ちゃんはあなたのために来た」といったことを書いている人もいる。スピリチュアル的に言えば、そうなんだとか。

ときどき、そうかもしれない、と思う。
でも、そんなわけない、と思うときもある。

答えはまだ、出ていない。

でも、こんな私にもできることがある。
それは、迷っている人、中絶後につらい思いをしている人の、力になること。
私は、そういう仕事をしていきたいと、少しずつ思い始めている。

いまとても悩んでいるお気持ち、本当によくわかります。

身体的にも精神的にも万全の状態でない中で、
人生における大きな決断をしなければならないことの重さは、
なかなか他の人には分ってもらえないでしょう。
かといって、あまり悩んでいる時間もない…。

私も、結局最後の最後まで、覚悟を決めることができないまま手術をしました。
妊娠6週目のことでした。
いま、ときどき後悔することがあります。
(だから、心の機能が低下している=うつ状態なわけですが)
罪悪感に襲われることもあります。
いつもではないけど、
「よかった」と言い切れない瞬間は
本当に重く、苦しく、つらいです。

私個人の、現時点の意見(中絶3ヵ月後)ですが、以下、参考になれば幸いです。



もう少しだけでも、考えていたら。
あと1日、長く考えていたら。



もしかしたら、私の気持ちは固まって、
今も赤ちゃんと一緒にいたのかもしれない
ふとした瞬間に、そう思ってしまうのです。
いま、自分が過ごしているこの現実とは違う人生が
そして、お腹の赤ちゃんの分の人生が
あったかもしれないのに。
そう思うと、胸のあたりが苦しくなって、呼吸できないくらいになります。

逆に。

中絶するということの覚悟を
もっと固めていることができたかもしれない
そしたら、いまこんなに後悔することはなかったかもしれない


ぜんぶ「かもしれない」です。今の私の現実ではないのですから。
もちろん。最終的に選択した
今の人生も価値があるものだと思います。
どちらにも、価値はある。


だけど、自分が選んだほう(私の場合は中絶)が、
選ばなかった方(私の場合は産むこと)よりも
絶対に価値がある、って言えるかは、
私には、今のところ、その自信はありません。
だから、こうして心が疲弊してしまっているのだと思います。


だからと言って、
もし産む方を選んでいたとして、
その選択に100%の自信を持っていられただろうか、
というと、
そうも言いきれない気がします。


何が言いたいわけ?ってなってしまいますね…すみません。


結局のところは、どちらを選んでも、100%ではない。
どちらが正しい・間違ってるの話ではなく、
心に正直になって選択して、
そして自分の選択を大切にしてあげること

なのかな。


ある程度時間が経ったとき、
ようやく、「あのとき、こっちを選んだから今がある」
と、肯定的に受け止めることができるように
選んだ道を大切にして、精一杯生きていくしかないのかな…



いろんな人が、いろんな意見を言ってくると思います。

「宿った命を奪うなんて、最低だ!」
「ろくに育てられもしないなら、産まない方がいいんじゃない?」
「そもそも、避妊してないのが悪い」



でも、それらに流されないでください。
それらは、その人それぞれの、「個人の意見表明」であって
「あなたにとって、絶対にためになる」
とは言いきれないからです。
それらに頼った判断をしてしまうと
私のように、あとあと苦しむことになりかねません。



心の声は、何と言ってますか?
産みたいですか?
そうじゃないですか?
お金とか世間とか、彼との未来とか…
気になることがあると思います。

それらを理由に、どちらか選択して
あなたは、それでいいですか?




すみません。明日に続きます。
私の中でも、ここまでしか答えが出ていません。


最後に。
何の参考にもならないかもしれません。
あくまで、私個人の意見です。
みんながこうなるというわけでは、絶対にありません。

ただ、少しでも何かの役に立てば
とてもうれしく思います。

私は、選んだ道を
大切にしたい。でも今はできてない。

ただ、自分の選択を否定することは
自分だけでなく、天国の子にとっても
よくないような…

まだまだ気持ちがぶれる毎日ですが、
今日はそう、思えています。
2009年12月25日

クリスマス。
今日は会社の最終日。

周りの人は、私が妊娠してるなんて
まったく気付いてない。
当たり前なんだけど、不思議。

私は今、私の命と、赤ちゃんの命
ふたつの命を持っているんだ。
体は一つなのに、命はふたつ入っている。


でも、外見ではひとつの命、ひとつの体。
命って、繋がっているんだって実感する。
今は私と赤ちゃんと、ふたつの命が重なっている時期。
リレーのバトンを渡すとき、一瞬二人の人がバトンを確実に持っている瞬間がある。
今の私は、その前走者にあたるのかな。





子どもと一緒の、最初で最後のクリスマス。


定時で終えて、帰宅する。
地下鉄に乗ると、友人Y子からのメールが来ていた。

「うちにおいでよ。一緒に過ごそう」

Y子は中学の時からの親友で、今回の経緯もすべて知っている。

ちょうど次の駅は青山一丁目。
浅草に住むY子の家まで、銀座線で一本だ。

私は青山一丁目で降車し、「行く」と返事した。

本当は、家に帰って、お腹の子と向き合うつもりだった。
だけど、こんな日に一人はきっと辛いだろう。
現に、今だって泣きそうなのを必死でがまんして電車に乗っているんだ。

私は浅草に向かった。
予約を入れておきながら、中絶する覚悟が定まらない。
私は電車内で、彼にメールを送った。



天国の赤ちゃんへ

もっともっと、強い人のもとへ行けばよかったのに、
どうして私だったんだろう。
私は弱すぎて、あなたに2度目のクリスマスを
過ごさせてあげることもできなかった。


きっと、これからも
毎年思い出していく。
来年からのクリスマスは、
私には楽しむ権利なんてない。