立ち直る過程1:心療内科 | 中絶、うつ病、そして明日への希望

中絶、うつ病、そして明日への希望

望まなかった中絶、それを思い出して苦しむ日々。同じ体験をした女性たちにとって、少しでも救いになるとともに、一人でも多くの女性が同じ苦しみを味わうことのないように願います。

いくつかコメントも頂きましたのに、なかなかお返事ができずに申し訳ございませんでした。
2013年12月29日も無事に過ぎました。
あれから丸4年経過したことになります。

年末年始に時間が少しあったので、続きを書いたのをアップしていきます。

ちなみに、今はもう全然元気です。
思い出して涙することはあるけれど、なんというか、悲しみと一体化している感じはなくなりました。苦しい当時は、悲しみとか怒りの感情が、完全に自分の肉体や精神と一体化していて、
その思いこそが、一番自分を苦しめていたんだと思うのです。


あと、いまでも思うのは、他の悩みや秘密と違って、中絶したことの話は、同じ体験をした人でないと話しにくい(というか、話す気が起らない)。性的暴行被害も同じかもなと思う。

ここにこうしてブログとして残す理由は、

私は、中絶の是非を話したいのではなく、自分が産まなかった心の弱い人間だったことと、そして、もう二度と同じ経験はしたくないこと、そのために強くなりたいことなどを話したい。同じ決意の人と励ましあったりしたい。

だから、当時に相談した数人の友人以外、中絶の話をした人は一人もいない。
新しい友人も何人か出来て、いろんな話をするけれど、中絶のことは話す気にはならない。
話したいわけではないから、それでいいんだけど。
もしかしたら、話せる人がいたら、立ち直りはもっと早かったのかなと思うときはあります。


中絶してから3か月後くらい、2010年3月下旬くらいからだったと思う。

だんだんと体調が悪くなりはじめた。何がどう悪いというとうまく言えないけど、気分が毎日すぐれなくて食欲もなくて、でもお酒は大量に飲み、ほっておくと涙が出てしかたない状態になっていた。

仕事も一応行っていたけれど、はっきり言って当時の記憶があまりない。
覚えているのは、
会社ではとにかく泣くのを我慢していたこと、
お昼になってもお腹がすかないこと(パンを1個食べるのがやっとだった)、
会社が終わって家に着くと、「やっと泣ける」と思ってほっとしたこと、
お酒の量が増えたこと。

そして、救いのようなものを求めて、いろんなカウンセリングに手を出してみたこと。

覚えている限り、書いてみようと思う。


1.一般的な心療内科(精神科)

新宿駅の近くにひっそりとある、某心療内科。
ネットで調べて行ってみた。
なかなか予約が取れないということは、それだけニーズがあるということだろう。

でも、先生は年配の男性だか、表面的な話しか聞いてくれなかった。
二言目には「薬でよくなる」という。
私の顔ではなく、カルテばかりに目が行っている。
何だか話を切り上げたがっているようにも思える。

うつ診断のペーパーテストなどもしたけれど、いま思えば、それでどんな結果が出たところで、医師からどんな診断が下ったところで、私が欲しいのは、そういうことではなかったんだと思う。

私は、うつの診断が欲しいのではないし、薬で楽になりたかったのでもない。「なんでこんなことになっちゃったの?」の答えが知りたかったんだと思う。

そんなの、医師が答えをだせるわけないんだけど、私はそれを医師、つまり他人に求めていたんだと思う。その答えを出せるのは、私だけなのに。


書きながら気づく。私は周りから見たら「しっかり者」と思われていると思う。
仕事もちゃんとやるし、結果も出している。
でも、こういう肝心なところでは他力本願だった。
だから、望みのない相手と付き合えるし、中絶できたんだと思う。
相手が私を変えてくれるとか、手術すればつらい状況から救われるんだとか、そういう期待をどこかで持っていた。

大人として最も肝心なところで、私は非常に弱い人間だったんだと気づく。

ただ、当時はそれに気づいていなかったので、心療内科に行けば何とかなると思っていた。
でもそうじゃないから、行っても無駄にモヤモヤが増えただけだった。

この心療内科には結局2回行って止めた。


ここでは薬を3種類出されたけれど、睡眠導入剤以外は飲むのを1週間で止めた。
効いている感じもないし、何より処方している医師が信頼できない。

でも、睡眠導入剤は面白いくらいに効いたし、助けられた。
寝る前に悶々と考え、泣き、泣き、泣き疲れて寝るというのを避けられるという点では、身体的にも精神的にも役に立った。

まるでPCのシャットダウンのように眠りが自動的にやってくるから。


もちろん、薬で回復したって人もたくさんいると思うので、心療内科に行くなとか効果がないとかを言いたいのではないです。ただ、


「本当は、本当の本当は、私はどうしたいのか、どうなりたいのか」


がわかんないと、何をしていてもモヤモヤしてスッキリしないとは思うのです。
それが、私にとっては、「なんでこんなことになっちゃったの?」に対する答えさがしだったというわけです。


あぁ、そうだ。いま思い出した(思いついた?)。

うつの診断が欲しいわけじゃないと書いたのですが、それは、「なんでこうなった?」の答えとしては欲しくなかったという意味です。

私は、彼に、「私はこれだけ苦しんでいる!!」というお墨付きを突き付けてやりたかったんだと思う。
そういう意味では、うつの診断は欲しかった。

「ほら、ちゃんと診断が下っているのよ、あなたのせいでこうなったの。だからその責任はとるべきだし、あなたも同じように苦しむべきなの」。

診断を突き付けて、こう言ってやりたかった。

こうして書くと、性格黒すぎだろって思うのですが、
当時を振り返ると、それに近いことを思っていたと思う。

私の彼に対する思いは、すさみきっていた。
でも、それを意識していなかったとも思う。
無意識のうちに、彼を責め、彼を苦しめる材料を探していたように思える。