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すいかの想いごと

摂食障害、解離性障害、発達障害(ADHD、ASD)などを抱えながら、介護業界で看護師をしています。
その時の想いごとなどを綴っています。

と何度も心の中で繰り返す。


助けられたはずなのに、

わたしはどこまでわがままなのか。


入院後数日間はなにも食べず飲まず、

主治医のことさえ忘れて「誰だおまえ」と暴言を吐き保護室へ。

その後、病衣をくるくる紐のようにしていたらしく、

取り上げられたら暴れて看護師さんを噛んだらしい。

四肢、体幹抑制されて24時間の安定剤入りの点滴。

その頃から記憶が戻ってきたけれど、

全く安定なんてしなかった。


先生のことは大好きだ。

でも主治医ではなくなった。

パワーをくれる医師に変わった。


だけど先の見通しは立たず、

先生は今悩んでいる。


本当は地元の病院に転院する予定だったが、

その病院の予約が4月中旬だった。


薬がなくなってしまう。

先生は今後のわたしの行く末を悩んでくれている。


食べなかった反動なのか、

退院後の食欲のすさまじさ。


食べて食べて食べて・・・吐いて。


先生が言った。

「患者としての〇〇さん(苗字)は診ないけど、元気な〇〇(名前)だったらいつでも会いにおいで」

その言葉で退院を決めた。


でも、先生、さみしいよ。

思い出せないこといっぱいだよ。

用意されたロープや刃物は捨てたよ。

だけど、だけど先生、

わたしはどうしたらいいの?


なんのために、いきているの?


退院して3日。

落ち着かない。


薬なんて効かない。


1月5日。

わたしは1歳年をとる。


その日までに

いろいろ決めなくちゃ。

ただいまです。

入院になりまして、
昨日、退院してきました。

もう少し落ち着いたら更新します。
バスの予約をしました。

朝1番で行きます。

約6時間揺られます。

わたしのこと知ってる人に
助けてもらわなかったら
もうどうしようもないから。

なんだかもういろんなことに
押し潰されそうです。
忘れていく出来事に気づくのは
覚えてる自分からのメッセージ。

ポロポロと剥がれていく記憶。

認知症ってこういう感じなのかな。
あれわたしは認知症かな?


そんなわたしが
今、考えたのは、
息子さんのこと。

11歳。
小学6年生。

わたしは結婚しないで彼を産んだ。
それはわたしの希望だった。
未婚で産むということを踏まえた妊娠。
愛した人のこどもが産めるという喜び。
しあわせだった。

息子さんを産むときの話。
独り暮らしのアパートから
信号なく行ける近所の産婦人科は、
おじいちゃん先生がひとりの
小さな病院だった。

3月31日。
予定日を4日すぎて検診の日。
「陣痛起きてるよ?わかんないの?」と言われて、
全くわからなかったわたし。
「4月2日まではもたないよ。今日か明日かいつ産む?」
先生から放たれた言葉。

学年が変わるか変わらないかという瀬戸際。
3月31日か4月1日のどっちかに決めなさいと言われても、
陣痛わかんないんだから
産む実感もない。
でも急げと言われて、友人や親に電話。
「早く産んじゃえば?」
「エイプリルフールより今日の方がいいんじゃない?」
意見が一致して「今日産みます」と告げた。

陣痛室には3つ並んでいるベッド。
窓側に1人の女性がいた。
わたしはベッド挟んで廊下側。
11時。
促進剤の点滴が始まった。

なにもかもが初めての経験。
21歳になったばかりのわたしは、
ひとりで過ごしていた。

彼女に対して
「寝てばかりだとすすまないよ!」
「しっかりしなさい!」
キツイモノの言い方をする助産師さん達。

わたしも
あんな風に言われるのかな、とビクビクしていた。

でも、わたしには、
「大丈夫?」
「寝てていいんだよ?」(←ずっと座っていた)
みんな、とても優しく声をかけてくれた。
ひとりで産むわたしに、
マッサージしてくれたり、
カーテンを開けて、詰所から見えるようにしてくれてた。

彼女が叫び声をあげる。
そして、分娩室に入った。

もうすぐ生まれるんだ、って思ったっけ。

しばらくして、
彼女の叫び声は聞こえなくなった。
だけど、
産声も聞こえなかった。
彼女が分娩室を出てきた。

そこでわかった。
彼女は、生きてく命を産み出したんじゃないんだって。

それからまもなくして、
わたしはその分娩室で、
息子さんを産んだ。

わたしは、
陣痛から出産に関しては
とても冷静だった。
もちろん分娩室では叫んだけれど、
陣痛を起こしてから3時間半くらいの安産。

産まれてきた息子さんを見て
「本当にわたしが産んだのか?」と思ったっけ。

「今、里子に出しても、わたしは寂しいと思うのか?」
なんて思ったこともあった。

でも息子さんは、
全くわたしに似ないで、
とてもいいこに育ってくれた。

あの日、
生まれてこれなかった命と
生まれてきてくれた命が
小さな産院に、確かにあった。

わたしは
生まれてきたことを後悔はしてはいけない。
だって、わたしがいなければ、
息子さんは生まれてこなかったんだから。

だけど、
やっぱり、
わたしは、
この世界から消えたい。

息子さんは泣いてくれるだろう。

わたしはハハにもなりきれなかった。
息子さんが望むハハにはきっとなれていない。

いつ死ぬのかな。
わたしのブログ、
わたしが?ってわたししかいないのですが、
予約投稿されてる記事があるらしく、
わたしの記憶の代わりになっているようです。

過去のわたしが、
思い出しなさいって予約してくれてるのかな?
いろいろとビックリです。

あまりアメブロを使いこなせてません。


わたしが10代の時だと思いますが、
実家にインターネット環境が出来ました。

その頃、
わたしはとあるサイトに入り浸りました。
チャットで毎日顔を合わせて、
わたしの居場所でした。

病んでる者同士だからわかること。

数年後、
わたしと同じ年のRが
自死しました。

ネットの中の彼女でしたが、
わたしがひどく落ち込んだときには
電話をくれたりしていて、
わたしは彼女に会ったことはなかったけれど、
声も言葉も優しかった。

信じたくない、
ネットの世界なんだから嘘だ!と
思いましたが、突きつけられた現実。

それからまもなく、
またその場所にいたMちゃんが亡くなりました。
結婚してまもなかったはず。
信じたくなかったけれど、
やっぱり事実だという現実。

そして、
またそれからまもなくして、
仲良くしていたYちゃんが亡くなりました。
Rが亡くなったとき、
寂しいねって話していたのに。

次々と突きつけられた事実に
若かったわたしは
ひどく混乱しました。


あれから何年たったのか…

今もそのサイトで仲良くなった1人と
数年に1度メールをしています。

わたしは
友人の死を見ても
患者さんの死を見ても
家族の死を見ても

やはりその世界に行きたいと思う。


カウントダウンかな。

意外なところで、
死ねる環境を
我が家で見つけたから。

月曜日には
職場に来いとメールがきました。
休職の更新です。
外に出られないわたしが
生けるはずもなく。
行かなければ、
傷病手当てももらえなく。

お金も仕事も、
なくなる。

11/11に
この世界から飛び立つはずだったのに、
その思いを
12月になっても引きずるわたし。

気持ち悪い。

わたしはもう
これ以上大人になりたくない。
だから
わたしの誕生日の
1/5までには
この場所からいなくなりたい。

わたしの予約投稿は
いつまであるのかな?
知りたいけど知らなくてもいいや。
書いたものが消えた


いろんなことがわらなくなってきてて、
自分のことも忘れちゃうんじゃないかという思いが強い。


下剤投下。
気づけばあんまり出てなくて
おなかの形がぼこぼこしてる。

この前、
いつも飲む量よりちょっと多めに飲んだはずだけど出なかった気がする。

だから今日は倍量。
だめじゃん。
結局食べた。



バニラシェイクも。

美味しかったぁー!
意外なことにあまり後悔なくて、
クーポン番号言ったらLサイズがきて、
S~Lまでどれでも150円でした。
でも罪悪感が出るほど
みっちり詰まってなかったおかげかな?

むしろ食べ終えてから
もうちょっと食べたいと思ったくらい。

まぁすぐに
お腹いっぱいになったんですけどね。

反動とかムラとか
そういうのなしにして
美味しいなぁと思えるような吸収がこれからもできればいいなと思いました。
久々にのった体重計。

意固地になって
動かなかった体重が少し減った

すごく嬉しい( ;∀;)

なのに
ポテトがすごく食べたいとか
自分、悪でしかない。。。

もう自分の生活サイクルがわからない


昨日は朝8時前には眠くなった。

1度起きたのか?物の位置が変わっていた。

17時に目覚めた。


それから今まで。


なんだかもうよくわからなすぎる生活サイクル。


パソコンかTVかラジオ。

何かを見るか聞くか。

カーテンなんてあけない。

物音もたてない。

日中は物音が怖い。

携帯は見えないようにしてる。


なにもかもがこわい。


なにもかもがこわすぎて

もう本当にいろんなものを放棄したい。


このまま死んでいきたい。


そしたらわたし、

しあわせだったよって笑って言うから、

このままぽっくりしなせてくれないかな。


記憶を消したい。


でも消えるのも時間の問題かなとか思っちゃう。


わたしは

喋れなくなったり、聞こえなくなったりっていう感覚を失うことを体験して、

気づいたらここどこ?っていうことは高校生のときから繰り返していて、

そして自分でも、

やっかいな病気になったなってくらいの自覚。


嘘だと言いたい。

そんなことあるわけないよっていわれたら、

「そうだよね、そんなことあるわけないよね」って笑って返したい。


でも残念ながら現実。


あーでも今日は食欲がない分いいな。

食欲はあるけど抑えられてるってことかな?

もうよくわかんない。


こわい。

自分がこわい。

いろんなことがこわい。

十分逃げてるけど、逃げて逃げて逃げまくって、しにたい。



しぬのをあきらめる、いきることを覚悟する。



文字にしたら短いのにやっかいなこと。


あーたぶんそろそろ職場に行かなくちゃならない時期なのに

外に出られないわたしはどうするのかな。


戻りたかった居場所を失うだけかな。


今は自分が看護師に戻るとかまったく考えられないよ。



あー

なんかもう

なんかもうっていうことすぎて

たぶんわたし混乱してるのかなぁ。