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すいかの想いごと

摂食障害、解離性障害、発達障害(ADHD、ASD)などを抱えながら、介護業界で看護師をしています。
その時の想いごとなどを綴っています。

入院してます

携帯が自由に使えません。

だから、
落ち着いたらまた更新しますね!
今日の日記は
気分を害される方もいらっしゃると思うので、
もしそのような方は読まないで下さい。




今、主治医のいる街に来ています。
昨日は先生に会いに行ってきました。

ICU退院から24時間経っていないわたしは、
とても元気だったのですが、
先生に会うには更なる元気が必要と
「やぁ!」(   ̄▽ ̄)ノ
と手をあげて診察室に入りました。

先生はすべてを知っており、
「薬のんだべ。もう出さないからな」
と言われて、眠剤もろもろはもちろん
出されませんでした。

ただ、退院ギリギリまで入れていた
尿カテのせいで
出血性膀胱炎になっており
「せんせぇぇ、お願い、膀胱炎の薬だけだしてぇぇ」
と懇願してきました(笑)
もちろん出してもらえて
症状も徐々に緩和しています。
おそるべし、クラビット!(* ̄∇ ̄*)

先生の病院で友達になった人の家に
泊めてもらったのですが、
早速ゴタゴタに巻き込まれ(;´д`)
昨日は怒りと悲しみの感情が沸きました。


上記の話からずれますが、
わたしのスマホの未送信メールに
息子宛の書き覚えのないメールがありました。
「大切な命をなんだと思ってる」
などなどのお説教。
ここには書けないすごい言葉たち。

書いたのは息子でした。
小学6年生でよく書けるなといった文章。

今回の練炭騒動で
家にもパトカーや警察が来たらしく
彼を傷つけたと思っています。
でもわたしは
怖くてスマホにロックをかけました。

息子は
わたしとは全く違います。
正直、自分から産まれてきたと思えるのは顔だけで、
性格はかなり違います。

でもこの一件で、
わたしは、
息子を家族だと思えなくなりました。
怒られて拗ねてる子どものようですが、
わたしの闇に気づいてもらえない悲しさ。
小学6年生にそれを理解してもらいたいとは思いませんし、
それを願うのは自分勝手すぎますが、
死にたかったわたしは実在します。

自分を肯定も否定もしてませんよ。
うまく言えてないだけです。

闇に気づいてほしいとも思わないけれど、
攻撃されるのはもう勘弁してほしい。
親にべったりの息子は
親の子になったんだと思ってしまいます。
わたしは、
子どもを産んだだけで
愛情表現もままならないで
今は自分が
息子という名の子どもを育てる
お金マシーンにしか思えません。


話は戻ります。
無事にクラビットを処方してもらったわたしは、
先生に聞きたかったことを聞いてみました。

「先生、わたしはどうして生きづらいの?」

先生は少し考えて言いました。
「やっぱり、抱き締めてもらいたいんだろうな」

その言葉がストンと落ちました。
愛情不足。
でもこれは責められるものではない。
だってわたしも
息子を傷つけてばかりいるだめ人間。
愛してるけど、もう息子は怖い存在。
出来れば怖くて会いたくない。


先生の言葉を聞いて
「先生、だっこして」と言ってみました。
すると
「だっこできないしょ」と。
わたしは確実に先生より重いです(笑)
なので
「痩せたらだっこして」と言っておきました。

あと、
「先生、先に死なないでね」とも言いました。
先生は
「確実に俺の方が早く死ぬ」と言いました。
でもわたしは先生がいないなんて考えられない。

先生は言いました。
「同じ医療従事者として対等に話ができるようにならないとだめ。今みたいに甘えてたら進めないよ」と。

そうなんだと思います。
昨日の先生の言葉がストンと落ちて
わたしは益々先生が好きになりました。

「先生、しばらく札幌にいるから、来週もくるね」
と、はじめて促されずに診察室を出ました。
「その返事はしない」と笑った先生。


先生に会えてよかった。
先生が大好きだ。
高校生の時は
先生のことが嫌いで
動物園の飼育員のおじさんみたいって言ったりして。
でも、先生はわたしを見棄てなかった。

先生のところへ
遠方から来る人も少なくないそうです。
わたしが一番遠いですが(笑)


ちょっといざこざがあった看護師さんと
ICUを退院した日に
電話で喋りました。
その看護師さんは、先生と一緒に働いていたことがあります。
「先生からの年賀状に、○○ちゃん(わたし)が入院したけど甘えて退院させたって書いてたよ」と教えてくれました。

先生の年賀状にわたし登場!
その看護師さんと先生のやりとりには
必ずわたしが登場するようです。
愛されてるなぁ~( *´艸`)笑


札幌にいる間は
本当は忘れちゃいけないいろんなことを
忘れて非日常を送ろうと思います。

だめ人間だけど、
それは自分が一番わかってるけど、
今は何をしても
心のダメージになるだけかもしれない。
わたしは最低なのは
自分がよくわかってるけど、
現実世界から離れる時間も必要だと思わせてほしい。

今日は友達おすすめの
スープカレーを食べに行きます。

食べる、方も
せっかくだから
リバースなしに楽しみたいな。

でもほどほどにしないと、
帰ってからの体重計で
反動ダメージが大きいので気を付けます。
探し出した唯一の眠剤を
飲んだのですが
まさかの中途覚醒。

13錠くらいあった
MAXで飲んでた頃のなのに
カラダはどうなっているのでしょうか

これからわたしは
4時間高速を走ろうか悩んでいます。
それは
入院中の友達に会いに。
地元はわたしがメンタルをやんでいることを知らない人達なので
(私は言ってないけど知ってるかも)
主治医にも「元気だよー!」と会いたい。
会ってくれるか微妙ですが。

荷造りだけせっせと。
うーん、どうしよう。
落ち着きません。
落ち着かないわたしはどうしたらいいのでしょうか。




かぶってみました(笑)

1月5日

わたしの誕生日

33歳になりました。


いちごの日。

誰にも祝われないのなら

せめて悼まれようと

車の中で練炭を炊き

睡眠薬を大量に飲みました。


でも

やっぱり勇気がなかったのでしょう。

わたしは

職場の上司に電話をしたみたいです。


発見されたわたしは

一酸化炭素中毒で、

元職場の総合病院に運ばれて

今の今まで

ICUに入院していました。


入院中、

高圧酸素療法を4回やって、

無理やり退院してきました。

さっきまで尿カテーテル入ってました。



死ななければこの世は冷たいものです。

生き残ったのもにこの世は冷たいものです。



さみしいもの同士が一緒にいればさみしくないのかな。

でもさみしい人だれかいるかな。

近くにいるかな。


悪口をたくさん言われました。

医師、看護師に。

わたしは反応できなかったけど聞こえていました。


人間、最後まで聴力が残るというのは

実感しています。


腕の傷をからかわれ、

存在をからかわれ、

これが妄想であってほしいと思ったけど

現実でした。


帰ってきたわたしは

食べ物を詰め込んで

吐きました。


ストレス発散、

こんなことでしか

世の中に反抗できない。


みんなみんなに迷惑をかけて

わたしは今日も生きています。



いちごの日、

誰にも祝ってもらえないと思ったけれど、

友だちが何人もlineやメール、スカイプにメッセージをくれました。

涙がでるほどうれしかった。


もうめでたくない年齢かもしれないけれど、

やっぱり誕生日は特別。


精神科への通院は

たらいまわしです。

運ばれた総合病院では

「みたくない」気持ちがあらわ。


主治医の先生が紹介状を書いてくれた病院へ行くことになりました。

本当は4月中旬といわれて諦めたけど

Dr to Drで1/20になりました。

大切な人がついていってくれることになりました。


わたしは病院に行って何か解決になるんだろうか。


病院不信。医者不信。


助けてもうこわいのはいやだよ。

わたしは、

いったいどうなっているのでしょうか。


記憶も

行動も

想いも

すべてがバラバラで


わたしは

本当のわたしは

どこにいるのでしょうか


好きな人がいます

だけど

顔が思い出せません

名前は、「わたし」が書いていた日記で知っています。

わたしはその人に愛されたがっていたけれど、

それが無理なことも書いていました。


好きなの、と。


もうわたしがバラバラすぎてつらい。


なのに

食べたくない気持ち、食べたときの罪悪感、

そういうものはたぶん変わっていない。


痩せたい。

そうか、痩せれば心配してもらえる

一緒にごはん食べられるかもしれない


そう思うわたしは汚いですね


あぁ。

楽しいうれしい報告ブログを書きたい。

人間関係がうまくいきません。


新年早々、乱れています。

自傷行為なのかな。

いい年して何やってんだろ。


ありとあらゆることがうまくいきません。


身体だけを求める人を喜ばせても

わたしは何も得られない。


自分を傷つけるようなことを自分でしていて

何やってるんだろう、わたし。


今年は

安定して過ごせますようにって初詣でお願いしたけど、

まだ3日、

なんにも安定なんかしてない。


おみくじは中吉。

小吉常連のわたしにとってはとてもいい。

「今は誰にもわからないつらさがあるかもしれないけど、信じればよくなる」みたいなことが書いてて

泣きそうになったのに。


なにをやってるんだろう。

自問自答ばかり。

それでも生きていく。


言霊。


わたしは自ら人間関係に終止符を打ちました。


悲しい思いをするなら知らない方がいい。


死ぬための紐はほどかないまま。


摂食の方は落ち着いているけど

体重の減少が緩やか。


お正月あけたらプールとジムに行こう。


来月から復職できるかな?


そんなんでもいいかな?


死ねないから、

死ぬその日まで生きてていいかな?

もうすぐ終わりますね

わたしは
2015年を生き抜きそうです。

いろんなことがあって、
一番つらかった19歳と同じくらいの年でしたが、
大晦日の午後からは、
テレビを見て笑ったり、
掃除をしたり、
湯槽につかったりと、
いつもできないことをできました。

死ぬ用の紐は
そのままにしています。
でも、死なないんじゃないかと思います。
だったら、
前を向いて生きていきたい。
楽しいこといっぱいしたい。
嬉しいこといっぱいありたい。

夜は実家に呼ばれましたが、
わたしは行きませんでした。
今覚えていることを忘れたいと思う気持ちが
思い出すのが怖い気持ちに変わりました。

母がご飯を持ってきてくれました。
あまりの量に
完食・嘔吐が頭を過ったけれど、
残すことができたのは、
前進だと思います。

全身あざだらけで、
筋肉痛で、
わたしはいつどこでなにをしてるのか
自分でもわかりませんが、
落ち着きを取り戻して
安定して
笑って生きていきたいです。

みなさん、
いろいろ本当にたくさんありがとうございます。

来年もよろしくお願いいたします。

よいお年を。
落ちて
寝てただけ

どん底から這い上がれない

解離と
摂食と

死ぬ死ぬ詐欺すぎてごめんなさい。

かまってちゃんでごめんなさい。

本当は

今日は死んじゃいけません。

なぜなら

1/2の甥っ子の誕生日を

笑って祝えなくなるから。


だけど

もう我慢できません。


ブログでコメントくれたみなさん、

本当にありがとうございました。


わたしは

このブログの存在に助けられました。

リアルでは伝えられないことを

ここで吐き出すことで

発散できていました。


だけど、

もう限界です。


解離しながら

電話をかけまくるわたしは、

甘えてると言われました。


調子が悪いと言ったら

横になってたらと言われました。


わたしに対してもう

なすべきことがないということだと思います。


わがままで自分勝手で

それは性格であり、

病気ではありません。


誰も誰も悪くありません。

わたしだけが悪いのです。


ごめんなさい。

ここまで生きてしまってごめんなさい。


わたしのこと忘れてください。


さよなら。

おやすみなさい。