生きていく命 | すいかの想いごと

すいかの想いごと

摂食障害、解離性障害、発達障害(ADHD、ASD)などを抱えながら、介護業界で看護師をしています。
その時の想いごとなどを綴っています。

忘れていく出来事に気づくのは
覚えてる自分からのメッセージ。

ポロポロと剥がれていく記憶。

認知症ってこういう感じなのかな。
あれわたしは認知症かな?


そんなわたしが
今、考えたのは、
息子さんのこと。

11歳。
小学6年生。

わたしは結婚しないで彼を産んだ。
それはわたしの希望だった。
未婚で産むということを踏まえた妊娠。
愛した人のこどもが産めるという喜び。
しあわせだった。

息子さんを産むときの話。
独り暮らしのアパートから
信号なく行ける近所の産婦人科は、
おじいちゃん先生がひとりの
小さな病院だった。

3月31日。
予定日を4日すぎて検診の日。
「陣痛起きてるよ?わかんないの?」と言われて、
全くわからなかったわたし。
「4月2日まではもたないよ。今日か明日かいつ産む?」
先生から放たれた言葉。

学年が変わるか変わらないかという瀬戸際。
3月31日か4月1日のどっちかに決めなさいと言われても、
陣痛わかんないんだから
産む実感もない。
でも急げと言われて、友人や親に電話。
「早く産んじゃえば?」
「エイプリルフールより今日の方がいいんじゃない?」
意見が一致して「今日産みます」と告げた。

陣痛室には3つ並んでいるベッド。
窓側に1人の女性がいた。
わたしはベッド挟んで廊下側。
11時。
促進剤の点滴が始まった。

なにもかもが初めての経験。
21歳になったばかりのわたしは、
ひとりで過ごしていた。

彼女に対して
「寝てばかりだとすすまないよ!」
「しっかりしなさい!」
キツイモノの言い方をする助産師さん達。

わたしも
あんな風に言われるのかな、とビクビクしていた。

でも、わたしには、
「大丈夫?」
「寝てていいんだよ?」(←ずっと座っていた)
みんな、とても優しく声をかけてくれた。
ひとりで産むわたしに、
マッサージしてくれたり、
カーテンを開けて、詰所から見えるようにしてくれてた。

彼女が叫び声をあげる。
そして、分娩室に入った。

もうすぐ生まれるんだ、って思ったっけ。

しばらくして、
彼女の叫び声は聞こえなくなった。
だけど、
産声も聞こえなかった。
彼女が分娩室を出てきた。

そこでわかった。
彼女は、生きてく命を産み出したんじゃないんだって。

それからまもなくして、
わたしはその分娩室で、
息子さんを産んだ。

わたしは、
陣痛から出産に関しては
とても冷静だった。
もちろん分娩室では叫んだけれど、
陣痛を起こしてから3時間半くらいの安産。

産まれてきた息子さんを見て
「本当にわたしが産んだのか?」と思ったっけ。

「今、里子に出しても、わたしは寂しいと思うのか?」
なんて思ったこともあった。

でも息子さんは、
全くわたしに似ないで、
とてもいいこに育ってくれた。

あの日、
生まれてこれなかった命と
生まれてきてくれた命が
小さな産院に、確かにあった。

わたしは
生まれてきたことを後悔はしてはいけない。
だって、わたしがいなければ、
息子さんは生まれてこなかったんだから。

だけど、
やっぱり、
わたしは、
この世界から消えたい。

息子さんは泣いてくれるだろう。

わたしはハハにもなりきれなかった。
息子さんが望むハハにはきっとなれていない。

いつ死ぬのかな。