小田原市 田島の津島神社+曽我別所の水準点 | おだわらぐらし

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

先月愛知県は津島市の津島神社へ行った折⇒ 、そこが「全国の津島社の本社」と学びまして_

で、神奈川県にも(6月に行った真鶴の岩⇒ 以外にも)津島神社があるのかな? と思ってググったところ、なんと小田原の田島に津島神社がある とわかったので_

(↑下の二つの鳥居マークは_ 一番下が真鶴町真鶴の「伊藤商店(←デビット伊藤さんのラーメン屋)」近くの津島神社、そのすぐ上が先日訪ねた真鶴町岩の津島神社、です。// 一番上の鳥居マークは大井町山田の津嶋神社。こちらはAIによると祭神が「綿津見神(=海神)」との事なので 愛知県の津島神社からの勧請ではなさそうですね...

_さっそく訪ねてみました。(二宮でラーメン食べた日の帰り の事ですけどね)

(↑「田島駐在所前」交差点の西側に建つ社)

↓神社の由緒書か、とプレートに近づいたらー


↑保存樹林の説明板でした。が、確かに社を囲むケヤキの古木を含む豊かな緑_ 守られるべき杜 ですね?

(↑因みに お訪ねしたこの日は、この木の周辺で「ツクツクホウシ」が盛んに鳴いておりました_)

↓鳥居。

↓その脇に手水舎がありましたが、水はありませんでした。

(↑昔ながらの 手桶で水を汲んで来て 水盤に注ぐタイプのようですね_)

境内に入ると、積もった 桜の落ち葉を踏む事になりました。(さく さく)

そしたら_ あら~桜餅の匂い(クマリン臭)が♪ (青葉は香らないのになんだか不思議ですが 乾燥した葉は 裂くと良い匂いがいたします^^)

おっとイケナイ いきなり脱線。
社殿へ向かいましょう。


↓屋根の千木に神紋。てっきり津島社と同じ織田木瓜紋かと思ったら「祇園守紋(京都祇園 八坂神社の神紋)」です!

_という事は こちらは祇園から牛頭天王を勧請した~のかなと思ったのですが (因みに 津島社も祇園社も主祭神は牛頭天王(ゴヅテンノウ))_

いえ、由緒書に 「鎌倉時代(貞応二年=西暦1223)に津島神社の祭神・牛頭天王(インド祇園精舎の守護神)を勧請」とありますね。(ではなぜ津島社ではなく祇園の神紋を用いる事にしたのでしょう?/疑問は晴れませんが それはおいておいて_) 

↑写します。
上の板、「住所 小田原市田島1489番地 
 元村社 津島神社 
 祭神 素盞嗚命 
 例祭日 毎年4月7日 
 神社の由来 源実朝死して、北條政子が尼将軍となって5年目の貞応2年(西暦1223)北條政子より社地を貰い嘉禄元年(西暦1225)神社が竣工した。丁度北條政子の死んだ年であった。疫病平癒のため尾張の津島神社を勧請して「午頭天王」と称した。明治2年(西暦1869)になり、祭神「午頭天王」とは印度の舎衛国祇園精舎の守護神だと云う事から、日本の神様「素盞嗚命」と改称した。」

下の板、_前半は上と重なるので 後半のみ_
「一、明治ー昭和期には出生戦士の武運を祈り、弾丸除け神として近隣から多くの方が参詣された。
一、 山車は江戸時代(文政5年=西暦1822)に奉納、彫師は信州松本村(長野県)の彫刻師・岩吉(イワキチ)作である。
一、 神輿は(昭和10年=西暦1935)に奉納、鳥居清吉作=彫刻は松野良光作である。
一、 祭礼=村祭りは例年四月の上旬、盛大に行われる。
   令和5年正月
    津島神社氏子 」

↓お参りいたしましょう。


(↑賽銭箱の向こうにお供えのお酒が数本~)
↓社殿の後ろも拝見。

↓平入りの拝殿→妻入りの幣殿→平入りの神殿~ という造りですね。(関東に多いタイプ)


境内を歩かせてもらいます。


↓社殿の左手_西に 山車や神輿が収納されているらしい蔵がありました。

↓その脇に 小さなお稲荷さんの祠と 「堅牢地神」と彫られた石。


↓蔵の前の木の根方には、

↑「奉納氏子中」と彫られた笠付きの石柱、(注連縄でよく見えませんが 上には祇園の神紋が記されているようですね?)と 石の祠。そばに擬宝珠と見える石が落ちていました。元は石柱の笠の上とかに載っていたものかも?

↓境内の西側にも石造物が並んでいました。

↓「富士の山形の線刻図 / 天下泰平 / 海乃大神 / 左読めず」(上に富士の線刻~というのは富士講関連の石碑には多いデザインですが 富士山+海乃大神の組合せは初めて見ます。どんな方が奉納されたのでしょう?)

↓これは・・・ 字が全く読めませんでした。。。


↓境内の南東の隅には「明治百年記念事業境内整備施工記念碑」。

↓北東には 屋根付きの竿置場。

(きっとお祭の時の旗の竿でしょうね?)

「ありがとうございました」


 - - - - -

<+>
津島神社を出て道を北へ上がると_

左手に小社が現れました。

↓↑社に扁額の類は見えませんでしたが、地図には「津島神社」と表示されます。

↑きっと津島神社の分霊社 なのでしょうね?

 - - - - -

<++>
津島神社から北へ車を走らせたのは 実は曽我別所の「水準点」を見るためでした。

↑↓道に面して立つ説明板。/ここまでの情報はネットで得ておりました。

が、実際にどんな水準点があるのか、までは分かっていなかったので_ 
↓このハンドホールの蓋には すぐには気づけませんでしたよ。(紀伊(キイ)神社鳥居そばの「水準点」のような 四方を石で囲んだタイプ⇒ かと思ってしまってて。/ 本町1丁目の蓋⇒ とは又違うデザイン、ですね?)

(↑この下に 水準点のプレートがある、、、 はず。)
_因みにこのポイントの標高は~

↑「30.1(m)」だそうです。
^^)曽我別所の水準点について「1」詳しくなっちゃった?