↓馬喰坂(バクロウザカ)を下りてきたところ。

↑続いては「宝鏡寺」を訪ねます。(道の分岐点に「宝鏡寺/地蔵尊
↓あれ、坂の脇に小石の塚・・・?


(ありそうなところでコンクリートで法面を処理して 元々使われていた石がここに集められた とか?)
道なりに進むと 目指すお寺が見えてきました。



すれちがう 小学生や中学生がみんな「こんにちはー」と挨拶してくれる。気持ちがいい。
真静法師の歌_
あしがらの関の山ぢを行人は
しるもしらぬも うとからぬかな
(足柄関に至る道を行き交う人は 知る人も 知らぬ人も 親しげだなあ)
_を思い出しました^^) この地域の人は昔からフレンドリーだったんですね。
着きました。

↑右の石には「曹洞宗 大雄山 宝鏡寺/竹之下/地蔵尊」と刻まれています。(本尊仏がお地蔵さんなんですね?) 門に彫られているのは「大道無門 千差有路」「透得是関 独歩乾坤」。(←難しい言葉ですねー)
↓本尊仏について書かれた駒札。

↑「静岡県指定文化財
寶鏡寺の木造地蔵菩薩坐像
一、寸法 像高七七・一糎
二、品質及び形状 桧材 寄木造 内刳(ウチグリ) 漆箔 白亳に水晶球 玉眼嵌入(ギョクガンカンニュウ)
三、年代 南北朝期
四、所在地 駿東郡小山町竹之下一、四六二番地
五、管理者 (同上)宗教法人寶鏡寺
六、指定年月日 昭和六拾ねん参月拾九日
本尊は古くから善男善女参詣の霊像で特に延命地蔵・子育て地蔵。身代地蔵・そば切り地蔵・水子地蔵と変化する霊験をもち御厨地蔵横道一番の札所である 又、本尊は秘佛であり 六拾年に一回の本開帳がある。
昭和六拾年八月弐拾参日
静岡県教育委員会
小山町教育委員会 」
次の御開帳は 2036年 だそうです。(生きてるかな私^^;)
↓手前左手には石造物群。

↓山門へ向かいます。


(お寺のHPで知りましたが この三門は明治26年に平塚の松岩寺から譲り受けた物、だそうです。/へー。)

↑扁額には山号「大雄山」。
↓柱には「霊場 御厨内 地蔵菩薩一番札所」と書かれた札が掛けられていました。

↑首輪をした猫。とてもフレンドリーな子でした^^)
(お寺のHPをご覧ください⇒*←表紙頁に猫。お寺の子だったのね^^)仁王さん達。


↓山側にお寺の由緒書。


↑「小山町観光十二選
大雄山宝鏡寺
「竹之下のお地蔵さん」とよばれ、人々から親しまれている宝鏡寺の歴史をたどると、天平年間(740年代)審祥禅師と云う僧がこの宿場をゆききする旅人達の道中安全を願って堂を建てたと伝えられています。
御本尊は聖徳太子のつくられた地蔵菩薩で一刀三礼のご神作であると伝えられているが、堂はその後守護する僧がなかったので時代と共に忘れさられていたが 文治元年(1185)領主の竹之下孫八左衛門が自分の屋敷のそばに一寺を建て「善光寺」と名づけてお地蔵様を迎えたので再びさかえる様になった。
しかし建武二年(1335)南北朝廷を二分するもととなった竹之下合戦の戦火によって御本尊様と残して善光寺は、ことごとく焼失してしまった。
このように堂は時代と共にあちこちと建てかえられたが康永三年(1344)村の人達が力をあわせて今の地に堂宇を建て「金龍山宝鏡寺」と称して真言宗の僧によって護寺をされてきたが、大永元年(1521)密堂秀厳禅師によって禅宗にあらため現在に至っている。
なお宝鏡寺と縁のある大雄山最乗寺(神奈川県南足柄市、道了(ドウリョウ)さん)を遠くから拝む風習がいつしかでき、宝鏡寺のお地蔵さんを拝むことにより「大雄山まいり」といって人々の信仰を集めたので寺は大変にぎわい、山号も「大雄山宝鏡寺」と定着した。
江戸中期より夏の大祭として縁日を催しているが当日は門前市がたち 境内は四州(駿河、伊豆、甲州、相模)からの参拝人や寺相撲で終日にぎわい、特に乳児の健康祈願をする「七つ坊主まいり」は大きな功徳があると伝えられている。
1200余年も続く寺史の霊験記の承伝は、そば切り地蔵、地蔵尊の池、ロマンを秘めた乙女峠の由来など二十有余話をかぞえ、人々の心をとらえてはなさないのは、お地蔵さまの霊験であると感じさせられる。
本尊 延命地蔵尊(伝 聖徳太子作)兼重要文化財
行事 大祭 八月二十三、二十四
開帳、60年に一度
平成三年三月
小山町観光協会 」
↑へー。こちら宝鏡寺と最乗寺は 宗派も山号も同じなので てっきり開山者が同じ~ とかかと思いましたが 「道了さんの遥拝」がご縁 でしたか。
↓塀側に石のお地蔵さん。


↑小石を抱いています。(箱根や丹沢のお地蔵さんは なぜかよく小石を抱いています。どんな謂れがあるのかなあ? (賽の河原のように石積みが供養と理解されているのかしら?)) / その左の石は「木食観正碑」のようです。
あらここにも「猪の目」の石灯籠。(このエリアではよくある物のようですね?)

では本堂へ~

_と思ったのですが・・・
手前に半月型の池が現れ、更にその向こうにトンネルが見えたので そこで立ち止まると_


↑池脇の柱に「銭洗弁財天」と書かれているのに気づきまして まずそっちへ行ってみようという事に。
↓弁天さんというと 大抵池の中の祠などに祀られていますが もしかしてあの石が 弁天さんだったりするのでしょうか?


↑が 違う角度から見ても弁天さんには見えないなー でした^^;)
↓池の周りには 他にこんな物も。


↑「獅子岩」ですって。 んー どこらへんが獅子に見えるんでしょう?
トンネルに入ってみます。



あれ? 向こうに通り抜けられる?


! と行き過ぎかけて トンネル内に弁天さんが祀られている事に気づきました。
↓失礼しました。


↑ここでコインを洗う、の かな?/それとも ここはコインを入れるところ?
トンネルを出てー

↓振り返ったところ。

本堂。

その前に屋根付きの香炉。



↑香炉にはお地蔵様の種字がついていますね。
↓本堂の屋根の宝珠

↑その下には、寺号由来でしょう「宝」の文字がつけられていました。
↓本堂。

(↑お賽銭箱には「海 徳 功」の文字。/あ、すみません この場合は左から「功徳海」と読むようです。)
↓鐘をたたいてお参りします。


扁額の文字は「願王延命殿 / ■■(←名前の上に書きそうな文字的には公爵?) 近衛篤麿書」(←揮毫者は細川元首相のひいおじいさんですね?)
境内をくるりと見渡すとー
↓北に山門。

↓参道東に茶筌塚。

↓六地蔵。

↓参道西に手水舎。


↓鐘撞堂。


などがありました。
「ありがとうございました」
↓西から退出いたします。


(↑塀越しに見る山門。)
この後はJR足柄駅に戻り、



御殿場線→小田急線 と乗り継いで小田原に戻りました。
良い一日でした。/おしまい。