根府川関所跡+釈迦堂 | (又)おだわらぐらし はじめました

(又)おだわらぐらし はじめました

 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

(つづき)

では ”健脚さんお二人”を 根府川関所跡にご案内いたしましょうー。

坂を下り切った白糸川の川縁に 跡地 を示す石碑がありました。


(↑石碑の文字は「根府川関所」)
↓説明板。

(↑「根府川関所跡
 東海道の脇街道であり、熱海や伊豆へ通じる根府川道の関門として、この地に根府川関所は設置されました。
 新編相模国風土記稿などによると、江戸時代初期の元和元年(1615)頃に設けられたとされており、以後、明治維新のため明治2年(1869)に廃止されるまで約250年間にわたり、明六つ(アケムツ/午前6時頃)の開門から暮六つ(午後6時頃)の閉門まで、破れば磔により罰せられることもある厳しい掟により通行が取り締まられていました。
 箱根関所のほか、小田原藩内には、仙石原、矢倉沢、川村、谷ヶ(ヤガ)にも関所が設けられましたが、根府川関所は常駐する役人の数が箱根に次ぐ多さで、要衝として重要視されていたことがうかがえます。
 根府川関所は白糸川の南側にありました。関東大震災前までは礎石もあり、当時の様子がうかがえたそうですが、震災により埋没し、その後の新幹線の麹等により川の形も変化してしまい、関所址は、現在、川底となっています。」
↓「関所の風景」部分。

関所があった、という事は この近くに「白糸川にかかる ゆいいつの橋があった」という事でしょうかね? / 漁民は自由に舟で海を渡れていたのかな?各港で漁師が舟に不審者を乗せたりしていないか チェックがあったのかな?

川沿いの道を海側へ下り、「釈迦堂」を目指します。(↓川を見下ろすと斜面地に桜が咲いていました。あれもオカメかな?)

↓頭上には赤い白糸川橋梁(通称「根府川鉄橋」)。

(↑右、真鶴駅方向。)

(道脇に咲いていたのはハナモモ)

(↑左、根府川駅方向。)

鉄橋の下に「釈迦堂入口」と彫られた石。

案内、に従って川の方へ。


↑赤い欄干の橋を渡ります。
↓橋から川下を見たところ。(手前の赤い橋は「白糸歩道橋」。その向こうに国道135号線が走る「新白糸橋」が架かっています。)/ 海はすぐそこ。


釈迦堂、到着。

階段を下りて お参りします。

(↑かつては 岩泉寺境内 においでだったお釈迦様。震災による山津波で今は「地下」に埋まっていますが、かつては見上げて拝んでいたといいます。/ 尚 岩泉寺は 対岸の少し高い場所に移っています。岩に直接刻まれたお釈迦様は移せないので ここに残った、んですね。災害の大きさを 身をもって 教えてくれるお像です。)

↓釈迦堂について 詳しくは以前の記事を_。



釈迦堂へのお参りの後は 岩泉寺横の石段を上がりました。

(↑結構 歩き甲斐 ありましたよー)

上がり切ったところに建つ寺山神社へも伺いましょう。




今日一日 元気に歩けた事を感謝。

↓お客様には お地蔵さんだかお坊さんだか のように見える ”丸彫単座像合掌型”の道祖神さんもご紹介ー。

~これで 一通りのご案内、できたかな?


根府川駅へ戻ってきた時は 陽は西へ傾いでいました。




↑朝 根府川に着いて最初に見たオカメザクラはこれ、ですね。

ホームへ下りましょう。

↓改めて、JR根府川駅。

↓小さな無人駅、です。

↓跨線橋を渡ります。

↓ホームで。

↓電車が来た。

「普通 上野東京ライン 宇都宮線直通」


ゲストの皆さま、お疲れ様。花の頃の根府川、楽しんでいただけたでしょうか? / 是非又どうぞ小田原へ。 / おしまい。