根府川寺山神社(と境内の道祖神) | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

釈迦堂を見た後は、川をはさんだ対岸にある
寺山神社へも行ってみました。


社号の記された扁額の掛かる鳥居の向こうに 祭などの行われる広場(←もっとも平素は ほとんどのスペースが月ぎめ駐車場なのですが...)。 その奥に社殿。


↓由緒書。

↑「寺山神社
 神社の創建は不明であり、古くは寺山権現といわれてたが明治初年寺山神社と改称した。
 祭神は武甕槌命(←鹿島の神)であり、浅間神社、山神社の2社を鎮座している。
 例大祭は7月15であったが、近年7月の第3日曜日となった。毎年、この日鹿島踊りが神輿の宮出、宮入の際に奉納されている。
 往古からこの地根府川は、通称「根府川石」の産地として知られており、これに関連する業として石船(石材運搬船)があり、これにかかわる人達が多いことから、海や船、航海に関係のある鹿島信仰が定着し、鹿島踊りもつたえられたものであろう。しかも鹿島踊りは村に入ってくる悪疫その他を退散させる効果のある踊り故、村の若い衆によって伝承されてきた。
 踊りは、男子青年によってのみおこなわれるのが特徴であるが、近年後続者の育成を図るため少年も参加している。
 舞態は円舞と方舞の組み合わせであり、人数は5行5列25人が定型である。踊りはまず太鼓、鉦、三役の順序で斎庭に現われて、左回りの大きく演習を描いて一巡し、静止して弥勒歌をうたい、終わって円舞・方舞を2度繰り返す。踊りは全部歌が付き、衣装は警個と歌上げを除き白丁を着る白張り浄衣で、平礼烏帽子(ヒレエボシ)をかぶり白足袋、白緒の草履をはく。
 なお寺山神社の鹿島踊りは、神奈川県無形民俗文化財に指定されている。(神奈川県教育委員会編、ふるさとお文化財より一部引用)」

(↑子供も参加するようになった という鹿島踊り。)

↓拝殿の方へ。


↓虹梁の上には龍 前垂れつきの注連縄 お賽銭箱には三つ巴。

↓社号の書かれた扁額。

_ご挨拶。

社を横から拝見。


火伏の波の意匠が屋根のあちこちに。

社殿右手に小社。



↑左に「天王社」、右に「姥社」の札がかかっています。/中には祠が二つ並んでいました。左の小さい方の祠の前には 右足を俵の上に置いて踏みながら 右手の小づちを振り上げる大国様の木彫りの像が置かれー、 右の大きい方の祠の横には 磁器の狐像が一対。_はて どんな神様が祀られているんでしょう?(天王社は祇園系? 姥社は姥権現系?)

神社の左側へ回るとー


庚申さんの石の祠(だと思います、三猿が彫られていますので)の前に四体の石の像。

道祖神、だそうです。

時に小田原市の「有形民俗文化財・小田原の道祖神 10基」という頁には⇒
「根府川95-2(←寺山神社境内地)」にある「丸彫単座像合掌型(マルボリタンザゾウガッショウガタ)」の道祖神が 三体 登録されているのですが・・・
_すると この四体のうち 一体は「登録外」?
(そういえばー 2010年9月に撮った写真には3体しか写っていない_↓)
https://blog.goo.ne.jp/numabe3/e/9d13db22a794c367c6641d0af1f1b31b
いつの頃からか 左端に一体 お仲間が増えた、みたいですね? / で_色んな方が撮られた根府川の道祖神さんの写真を見ていて気付いたのですけど、 三体時代も 今の四体時代も 「揃いの衣装」なんですよ。(ワンループマフラーだったり 帽子とティペットだったり 鉢巻だったりー) どなたかが かつては三体分、そして今は四体分の専属ドレッサーなんですねー^^) 素敵な奉仕! 是非これからもお続け下さいませ、 って思いました。



その他 境内で見たもの_


(↑浅間大神 と彫られた石)

(↑皇紀二千六百年を祝う石碑 奥に彰忠碑)

(↑「根府川樹園地かんがい事業 完成記念碑」)

<+>
境内の外、道を渡った先には釈迦堂へ下りる階段がありました。


↑少し先に見えているお寺が岩泉寺。(根府川の釈迦堂は 元々は岩泉寺境内にあったもの。江戸時代の洪水で流され、お寺は現在地に移りましたが、岩に刻まれたお釈迦様の像は 元の場所に残された、んですねー。)
根府川に 又ちょ っと詳しくなれたようなー。// おしまい。