石垣山一夜城辺りの桜 | (又)おだわらぐらし はじめました

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では 石垣山一夜城に着いたところ、からー。

桜は見ごろのようですが 陽が陰り始めてます。急いでー。(←亭主に言ってます^^;)


(↑明るい色の桜。種類は何かな?)

↑(以前も打った事ですが_) 石垣山の一夜城は小田原攻めの折に秀吉が「速攻」で造らせた城。残念ながらその後は放置され 折角の石垣もあちこち崩れております。 このスロープは上の曲輪へ入るため近年便宜的に付けた もので、元々の物ではありませんー。


_とはいえ このルートのおかげで 簡単に本丸曲輪へ近づける、んですけどね^^)





本丸曲輪到着。



↑櫓台跡。
↓小田原の街を見下ろす。



↑三の丸ホール、三の丸小学校、右に「ういらう」さん(←お城風の建物)も見えますねー。
↓本丸曲輪では このあたりの桜が見頃、だったよう。



戻っております。




道の向こうの一夜城ヨロイヅカファームへ。

お店は「定休日」だったようですが・・・。

敷地は歩けます_。

ここの桜は河津なので 「終わっちゃいました」な感じですね^^;)

ま、こんなことも(よく)あります。



さて、駐車場の端の東屋付近にー

石丁場の石が並んでいました。

以前からありましたっけ? 気づかなかったなあー。

↓説明板。

移設された石垣用石材
 国指定史跡石垣山(石垣山一夜城)の西側斜面の一帯には、17世紀前半の江戸時代初期に江戸城修築のための石垣用石材を調達した「石丁場」(石を切り出した作業場)があり、早川石丁場群関白沢支群の遺跡名が付されています。
 平成17~18年(2005~06)に小田原市早川の広域農道小田原湯河原線(市道2390)建設に伴って発掘調査が実施され、石を割って石垣用石材に加工する作業が行われていた後が多数確認されました。ここに置かれている石垣用石材は、この時の発掘調査によって発見されたものです。
 これらの石垣用石材には、石を割るための彫られた「矢穴」が一列に並んでいます。また、石材の面のひとつには「〇に十」の刻印が刻まれていますが、これは石を切り出した石工の集団が何らかの目的で刻んだマークであると考えられています。
 これらの石垣用石材は、事業者である神奈川県及びこの場所の土地所有者のご理解とご協力によって移設されたものです。
  小田原市教育委員会

なるほど、ここに置かれているのも (一つ前の項に打ったところの_) さっき通って来た石丁場から運ばれたもの、なんですね? // んー それにしても・・・ 打ち捨てられた石垣山一夜城に こんなに「石材(?)」があるのに、 どうして「流用」しなかったのだろう? (戦国時代の城の石垣ったら 臼 だの 墓石 古墳からの出土品 だのまで混じってますよねー?) 平和な江戸時代 将軍様のお城 に豊臣の城の石は 使えなかった、のかなあー???


えーさて この後亭主は 石垣山の東斜面の花の咲き具合を見に行っております。


もうあたりは「西陽色」に染まりかけてますが どんな写真を撮ってきたのかな? (撮影日3/22-水) / つづく