皆春荘(カイシュンソウ / 旧-清浦奎吾別邸) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

(江嶋さんでお茶を買った~ 続きになるのですがー)

板橋の高台に建つ 皆春荘(旧-清浦奎吾別邸) へ行ってみました。 / 以前住んでた頃は非公開で、門しか見た事がなかった建物ですが、 ブロ友さんから 今はお庭の他 室内も見学できると聞きまして。(公開日は土日祝の11-15時。室内が見学できるのは13-14時の一時間)_ 

↓旧・小田原城 三の丸外郭新堀土塁を歩いて来たので 坂を「上」から下っています。(尚、右手の塀の向こうは 旧-大倉喜八郎別邸 共寿亭跡)

↓竹のあるところが皆春荘ですね。

↓門。

↓門の奥に 建屋の戸口が見えます。

↓では 伺いましょう。

↓「小田原市指定 歴史的風致形成建造物 / 明治の元勲 山縣有朋の別邸 / 皆春荘 / 主屋玄関とお庭を公開しています / 時間 午前十一時~午後三時 (入館は午後二時四五分まで)// 観覧無料」



↓説明板。/ 敷地面積-2836.60㎡。 建築年代- 明治40年~大正3年頃(1907~1914)。 建築主-清浦奎吾(ケイゴ 1850-1942)(第23代内閣総理大臣)のち、山形有朋(第3+9代内閣総理大臣)の別邸「古稀庵」に編入。 庭園は、山縣の作庭とされる。 (補足/ 山縣が古稀(数えの70才)の時に古稀庵を持った後、 元側近 清浦を小田原へ呼んで 古稀庵の上手にこの別邸を建てさせ 作庭には自分が関わっています。が1914年に皆春荘は古稀庵に「編入」されます。/ 1914年というと完成するやいなや? 又1914年は 清浦が総理大臣の候補者となり「組閣の大命」を受けながら 組閣に失敗した年_。関係あるやら ないやら ですが・・・。 ともかくそういう訳で 清浦さんはここにはさして居住実績はなさそうですね?)

↑不思議な形の建屋です。が現在はまだ全てが公開されている訳ではなく、 今回見せて頂けるのは庭と 南の庭に面した座敷 玄関、のみ。(いや それだけでも ありがたい。)

玄関。



↑不思議な形の式台・・・。
↓玄関の間の奥には「皆春荘/含雪(←山縣さんの号)」と書かれた額。

↓しかし ここからは入室できませんでした。

↑「入室可能時間は13:00~14:00です。 入室の際は、お庭側へお回りいただき、係員の指示に従って入室していただきますようお願いいたします。」

という訳でお庭の方へー




↓説明板。

↑「山野や川の流れなど自然の造形をそのままに表現する山縣有朋の作庭の特徴がよく示されているとされています。 展望も良く、南側の石垣山や箱根山、東側の相模湾などが借景に取り入れられています。」

なるほどー。 ではまず お庭から拝見しますかー。

今は流されていませんが 昔はここを せせらぎが~。


水はどこからきていたのかな?

涸れ沢(?)を上っていくと_

竹やぶの際にー

石組のあるポイントがありました。

多分ここに 湧き出し口が作られていたんでしょうね?

↑尚、ここへの水は あの山縣水道水源地 から引かれているそうですよ?

建屋の方に戻りましょう。

(↑おー 目の前が一夜城だー)
↓東の部屋は閉め切りのようですねー。


(↑小壁に下地窓風の明り取り。趣がありますねー)

↓南の縁側が 見学者用入口 でした。


こんにちはー。

↓説明板。

↑「皆春荘 // 皆春荘は、清浦奎吾が明治40年(1907)から大正3年(1914)頃に別邸として建築したもので、その後、隣接する山縣有朋の別邸 古稀庵として編入されたものです。清閑亭(旧 黒田長成別邸)や小田原文学館(旧 田中光顕別邸)と同様、明治から大正・昭和初期にかけて、この地の温暖な気候や豊かな自然等に惹かれた政治家や財界人らが建築した別邸遺構のひとつですが、建物の意匠・構造とその配置の面で、建築当時の原型をよくとどめている点で貴重なものとなっています。 主屋については、装飾性の高い数寄屋建築と厳格な書院造の装飾要素を併せ持ち、随所に秀逸な伝統技術が見られます。」

↑「山縣有朋と貞子夫人 // 皆春荘は、山縣公の命名した別業のひとつであり、古稀庵の後方に位置し、海と山の景勝を一眸の中に集め、古稀庵の景勝に勝るとも劣らないものとなっています。また、庭園は山縣公が自ら作庭を指揮したと伝えられており、古稀庵の庭園と同様に大事にしていることがわかります。  このような皆春荘を貞子夫人に寄与したことからも、山縣公がどれだけ貞子夫人を大切にしていたかを知ることができます。  貞子夫人は、晩年の山縣公に付き添い、親身に介抱したこともあり、古稀庵で最後の時を迎えた山縣公は貞子夫人の手をとり、「いろいろお世話になりました」と言って亡くなったと伝えられています。」 
(↑補足/ 皆春荘は山縣公の後妻である吉田貞子(益田鈍翁の妾たき子の妹)の住いとして利用されたそうです。)

↑「庭園 // 皆春荘の庭園は、人工的でなく自然さを重視した山縣有朋の作庭の特色を示したものとなっています、山縣水道から取水した水景を配置しています。展望がよく南側の石垣山や相模湾を借景に取り入れています。  また、下手に続く本来は一体であった古稀庵の庭園は、京都の無燐庵(無鄰菴)、東京の椿山荘とともに近代日本庭園の傑作といわれています。」

東の間の 床。

含雪 のサインがあります。山縣公の筆になる物ですね。

西の間との間の欄間が 涼やか。(それともこれは 春夏用?)

襖は傷んでいるけれど 古い物をそのまま使っているんだとか。

(↑穏やかな波が表現されているのかな?)
↓西の間から 畳廊下へ出ます。

↓畳廊下を西へ(画面奥側へ)進みます。

(↓因みにこの 畳廊下は お客様用。家族は右手(北側)の障子の向こうの 板張り廊下を使った そうです。)

畳廊下の先には 玄関。

内開きの戸の格子、モダンです。

(↑本当は画面奥に 門 が見えていたのですが 写真ではわかりませんねー・・・)
↓改めて、の「皆春荘 / 含雪」。


引き返します。


ありがとうございました。



おしまい。


<おまけ>
帰りは、

旧 大倉男爵別邸「共寿亭」跡、 山月 跡」の前を通りー

山形有朋が住み そして亡くなった「古稀庵」前を通りー

更に坂を下った先にあったー

無人の農産物販売所でー

はるか と 里芋 と フキノトウを買って(お代の600円は缶の中にー)、


如春園で休憩してー

こゆるぎ紅茶の 春摘み と 夏摘み + オレンジのチョコレートケーキ 抹茶のバスク風チーズケーキを頂きー

「おだひゃく」(←板橋のスーパー)でこごみとタラの芽を買って帰りました。

そして 夜は天ぷらとお蕎麦を食べましたとさ。

(↑フキノトウはあと七つ揚げた のですが 盛りすぎると美しくないので この辺 で 写真を撮っておきました^^)

おしまい。