淡海公(=不比等)十三重塔 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

談山神社を拝見した後は、遠回りして 花見をしながら駐車場へ向かう事に_。

(↑この道を下れば すぐ駐車場だったんですけどねー)

↓神社の向かいにも立派な石垣が残ってます。お寺に関係する建屋が建っていたのかなあ?

↓電動自転車を押すご夫妻。(そっかー電動自転車でも上れなかったかぁー)))

「名物 釜めし 旅館 南山荘」って看板が出てる。

こ・・・ここ なのかしら???

おっと おいてけぼりを喰らってしまう_。


振り返って見た坂。(結構きつかったですよ)

上りきるとそこには~
丁度見頃、な花が並んでいました。



あ、一本の木に紅白(桃白)の花_
という事は「桜じゃない」ね?(源平桃や源平梅はあるけど 源平桜 は無いと聞くから)

・・・桃かしら?(教えてワカルヒト)

花の名はわかりませんでしたが 「見事!」でした。/植えて下さった方 ありがとう。



この後は 車道をそれてー


石の十三重塔を見に行きました。(近くに「淡海公 十三重塔」って案内の札が立ってましたので)

これですね。


「淡海公十三重塔」ですって。

(へー「淡海公」って藤原不比等(フジワラノフヒト)が国から送られた諡(オクリナ)=国公)なのかー)
1298年に建てられたといいますが 建てた人「井行元」ですかー。この方は知りませんけど 多分 東大寺再建のため 1253年に来日した宋の石工_伊行末(イ・ギョウマツ)さんの子孫ですね?(後の代では「井」「井野」「猪」という姓を名乗ったと聞きますから) / 石の十三重塔は 日本では般若寺(コスモス寺)の物が最も古いそうですが それを作ったのが伊行末さん。 井行元さんは・・・孫、位かなー? ここに十三重の石塔を建てるにあたって 般若寺の石塔 見に行ったりしたかなあー?

井行元 というお名前を 見る前と 見た後では 十三重塔に対する気持ち 全然違うものになってましたよー^^)

では駐車場へ。


この後は山を下りて 石舞台古墳へ行ってみました。/つづく。



<よだん>
私、不比等が国から諡を貰っていたのを知りませんでしたが_ そも「国公」の第一号が 在職中に亡くなった不比等 なんですってね? (当時の物指では「功績ある人が俗名のママ亡くなるとは お気の毒」だったらしい)))
にしても「淡海公」って どこから? もしかして「談山」をひねった?
のかと思ったら 不比等は「近江(=淡海)国十二郡に封じられていた」のでした。
ひねりなしの ストレートな贈り名でした^^;)