The Nude Cask -7ページ目
<< 前のページへ最新 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7

思ひ出すこと③

 警戒心が突き刺さった状態の俺がタクシーに乗り込もうとする時だ。まだ小学生ぐらいでアーリア系の顔立ちをしたボロを着る男の子が俺の赤いザックを力強く引っ張った。俺は取られまいと踏ん張るのだが、少年は引っ張る。俺は平静さを装って場違いの英語でのーと言い放ち、少年を振りほどこうと荷を強く引きあげた。ザックの赤い色は警戒色だということが頭をよぎる。闘牛で赤い旗を使うのは、牛ではなく人が赤に興奮するからだとどこかで聞いたことがあった。なにかと目立つし、赤のザックは失敗かもしれない。少年はそれでもしつこく引っ張り続け、恐らくネパル語でなにか喚いている。少年の顔にはどこか悲壮感も漂っている。何かを必死に訴えようとしているのか、少年の指はタクシーのトランクを指していた。なるほど、トランクに俺の荷を入れてくれるつもりなのか。すまん。勘違いした。俺はこんな少年にさえ警戒する臆病者なのだ。恥ずかしい気持ちがムンッッと広がる。俺は精一杯の余裕を演出し、切れ長の少年に荷を預けた。流暢に話そうとして失敗した英語でてんきゅうと礼を言い、リクライニング機能の全くない固い直角の後部座席に乗り込んだ。と、同時に、半開きの窓から少年が手を挿し込んでくる。「バクシーシワンダラプリース、バクシーシ、ワンダラワンダラ」。タクシーが少し動き出しているにもかかわらず、窓越しに、無理に顔を覗かせて、掠れた声で少年は続ける。「バクスィーワンダラ、ハンダァ」。貧しく黄ばみ、汚れた小さな両手を、強引に捻じ込んできた。眼つきがさっきよりも大人びて、鋭く見える。いやひゃっっ。こころの中で俺が小さく悲鳴をあげている。何か得たいの知れない気持ち悪いものを見てしまったような気がした。呆気にとられた。金か。1ドルを彼は要求しているのだ。少年だ俺のこれまでいた地平と全く異なるのかだるまになるのかどこだ。要求だ。頭部にあったはずの正しい血液は下へ、下へと下りていく。―― 頭が無機質になっていくような仄白んだ感覚と、激しい生への生々しい執着。混乱を悟られてはマズイ・・・。運転手が要注意だ。俺は毅然を掴もうとして、煙草をまさぐり、髪をねじった。もっとねじった。俺が愛した常識に、受けつづけた義務教育に、国家という幻想に、必死になって掴まろうとした。の~~と間抜けに俺が、軽く叫んでいた。――― 「君は支払うべきじゃないのかい。サービスの対価をね、ジョークじゃないよ」と心の中でつぶやくような、そんな大人びた少年の蔑んだ、それでいて卑屈なあきれ顔が、そこにはあった。

注目アーティスト・ヌルマユ「函館本線」 ↓続き

正しくは、ヌルマユ 「函館本線」という楽曲でした。


メジャーなのかインディーズなのかもよくわかりません。

楽曲はかなり格好良かったっす。


ナンバーガールのメロディに、エレカシのソウルが入ってるって感じでした。

この表現が正しいかどうか、一度しか聞いていないのでわかりませんが・・・

個人的には断然、追っていきます。


もう一ッ度聴きてぇ~~~


http://www.sambafree.com/nu/

祖母へのインタビュー①

 Little Boy.全長3.12m、最大直径0.75m、総重量約5t。その丸みを帯び、つるつると黒光りした肢体と、愛くるしい幼子を思わせるネーミングからは想像しがたいが彼は、広島で普通に暮らす生活者を、昭和20年の12月までに14万人を焼き殺した。

 そこに、19歳の美江も居合わせていた。彼女は大正14年8月7日生まれで、翌日は20歳の誕生日である。証券会社の集まる銀山町(爆心地から約800M~1kmに位置する)で彼女は陸上小運搬業統制組合で経理をしていた。サマータイムのあった当時、夏は8時が始業時間だったらしい。暑い夏の、普段と変わらないはずの朝の1日である。美江は8時を前に扇子を扇ぎ、始業に備えていた。同年代の女友達である中山さんと、始業を前に、女子に特有の、あの他愛のない会話に耽っていた。いつもと同じ光景である。地鳴りのように蝉が、うわんうわん鳴いている。

 「B(B29)がまた来てるねぇ」。扇子を扇ぎつつ、窓越しに空を見上げ彼女は、中山さんに同意を求めた。

8時が過ぎ、彼女はたまたま、実に偶然、書類を金庫に取りに行った。金庫は彼女の身長が154cmであることを考慮すると、縦1m、横1mと、彼女にとってはかなり大きなものである。その金庫が彼女に比して巨大であったことが、深刻なダメージを彼女が被らなかった大きな要因なんだろう。彼女が書類を取る為、金庫の中へ体を預けたその瞬間、閃った。金庫の大きさが彼女の体を覆い、大きく開かれた扉が彼女を隈なく影とした。

 蝉の鳴き声が一瞬止む。シャ―――――。静寂と耳鳴り。仄白んだ眩しい空気は奇妙に歪んでいる。圧倒的に眩しい、青白い光が目の端から否応なく侵入してくる。彼女は異変に体を収縮させる。生温い熱風が鉄筋2階建ての陸上小運搬業統制組合の建物をゆっくりとなでた。ゆっくり天井が落ちてくる。

 「美江さん、下に来なさい」

 彼女は突如、強い力で引っ張られた。常任理事の近藤さんが机の下に彼女を引っ張りこんでくれたのである。とほぼ同時に頑強なはずの建物は、すっかり倒壊した。美江の倒壊した建物から5,6人ほどで這い出た。(そのあたりの記憶は曖昧なようである)中山さんに目をやると、半袖の白いシャツの、肌が露出したすべての皮膚が爛れ落ち、爪で引っかかっていた。中山さんは光った瞬間、窓際にいたらしい。美江自身も腕から血を流していた。暑い日なのに、なぜか来ていた2枚のシャツの1枚を脱いで、中山さんの爛れた朱色の背中に掛けてあげた。

 

 「戦争についてどう思う?」と俺は祖母に尋ねた。

 「戦争はいけないことなんだろうけど、もう忘れたわ。」

 祖母は快活に笑った。

 祖母の手は、緑色の血管が浮き出ていて、皺だらけだった。

思い出すこと②

 世界がどんなものなのか確かめたかった俺は、旅へ出た。ネパールのカトマンズからインドのデリーへ。二ヶ月にわたるエアーチケットを手にバクタプル空港に降り立つ。初めて足を踏み入れた異教の地。29日だった。空港でビザの手続きを済ませカウンターを出たが、泊まる場所も決めていない上、インドのガイドブックしか持っていない。――というのも、当初インドへ行く予定だったのだが、カトマンズ・イン、デリー・アウトのエアーチケットの方が安く、さらにはネパールにも行ける、という旅行会社の女性の勧めでカトマンズ経由を選んだ。ネパールにも行けるという蠱惑がその時の俺を奇妙に惹きつけたのだ。空港で宿泊先を紹介してもらい、そのホテルへ行くため空港を出て、泥濘をよけつつタクシー乗り場まで行くと、客引きの人集かりができていた。俺は少し怯んだ。誰が信用できて信用できないのか、今からどこへ連れて行かれるのかもわからない。殺伐とした嫌な雰囲気も漂う。「コニチウヮニホンジデシカ」――日本語らしき言葉で周囲のネパール人が次々に話し掛けてくる。どこか胡散臭い。皆、一様に背が低く、やさぐれた、少し崩れた雰囲気がある。眼が鋭く、廋けていて、貧しさが充満していた。

思ひ出すこと①

 その露店で甘ったるいチャーイをすすりながら俺は、途方に暮れていた。腐ったミルクと香辛料、そして体液の入り混じったような饐えた臭いが鼻を突く。「ビィービィーッ」と、けたたましいクラクションを騒がせながら、舗装されずにぬかるんだ狭道から、古びた日本車が排気ガスの煙を立ち昇らせている。人と牛、自動車がひしめき合い、信号はこの地においてあまり意味をなさない。クラクションがあたり中むなしく響きわたる。1400メートルもの高所に潜むこの盆地では、厚手のニットを着ていても肌寒く、重い。砂埃に覆われた、モノクロのナーシンゲートストリート沿いの露店を前に、投げやりに置かれた長椅子で俺は、生温くなったチャーイを手に佇んでいた。どうして俺は、こんな場所へ来てしまったんだろう。鈍く霞んだ空は厚い雲に覆われて、太陽の光を隈なく遮ぎる。寒く暗い道に落ちた赤い唾液の斑点だけが不安を携え、恐いぐらい鮮明に浮かび上がってくるようだ。
<< 前のページへ最新 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7